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柝が鳴る~蔦重と写楽~⑨

  第9話、
「この夏より数多く摺るって、そりゃ、無茶ってもんだ。それで手が足りねえから、旦那はあっしに手伝えとおっしゃるんで」
 鉄藏は左手で顎をさすりながら、露骨に渋面を作った。
 江戸3座、桐座の男山御江戸盤石、都座の閏訥子名和歌誉、河原崎座も松貞婦女楠の各演目を題材に細判4、50図、目新しさを出すために間判10図前後も手掛ける方針を、蔦重は伝えていた。
「ここで引き下がるわけにはいかねえんだ。甘泉堂、泉市に笑われちまう。版元の意地がある。何としても写楽の役者絵でのし上がるんだ」
「旦那の心意気は分からねえ訳じゃねえが、絵師にはそれぞれの味や癖がある。他人が手を入れて、評判が上がるどころが、がた落ちするのがおちでしょうや。版元の旦那はよく承知しているはずだ」
「あくまで写楽が描くんだ。ただ、足りねえところを手を貸してくれって言ってるんだ」
「どうも分かんねえな。だったら写楽ができる範囲でやりゃあすむことで。わざわざ無理することはねえでしょうが」
 蔦重は居住まいを正し、畳に両手を付けた。
「無理は承知で頼んでいるんじゃねえか。ここは、この蔦重を助けると思って、一肌脱いでくんねえか」
「よしてくんなよ、旦那に頭下げられちゃ、断る訳にはいかねえ。まったく、しょうがねえな」
 鉄藏は右手で月代の伸びた頭を描いた。棒縞の薄汚れた着物の肩にはらはらとふけが舞い落ちた。
 鉄藏は役者絵で鳴らした勝川春章門下で修行した。順調に腕を上げて春朗の号を与えられたが、密かに狩野派の画法を学んだことで師匠の逆鱗に触れ、この春、破門になった。妻子を養うため、唐辛子や柱暦を売り歩き糊口を凌いでいるところを、蔦重が見るに見かねて声をかけ、食客扱いで面倒を見ている。写楽を見出す前、蔦重は役者絵に乗り出す絵師として白羽の矢を立てたこともあり、腕は確かだ。
「ありがとよ、恩に着るぜ、鉄藏。早速、打ち合わせだ」
 奥座敷では、写楽が捩じり鉢巻きで画紙に向かい合っていた。沈痛な面持ちが苦悩ぶりをうかがわせる。
 入室し、蔦重は鉄藏を脇に座らせた。
「先刻、話した通り、今度こそ豊国を粉砕、写楽の役者絵を確立しなきゃならねえ。この耕書堂にとっても店の命運を分ける大勝負だ。これまで以上、できりゃ3座で60図、店先に並べてえと考えてる」
 写楽の表情が陰った。すかさず、蔦重は彼に口を挟ませないかのように続けた。
「無論、その数こなすには写楽、お前さん一人じゃ到底無理だ。そこで鉄藏の手を借りることにした」
「鉄藏さんとの共作にすると、おっしゃるのか」
「いやそうじゃねえ。勘違いしねえでくれ。落款は写楽と刻むんだ。鉄藏は勝川春章から役者絵を直伝で学んでいる。その知恵を借りて、仕上げてもらいてえんだ」
「そうはおっしゃられるが、他人の手を借りては」
「合点のいかねえのも分かるが、私も版元だ。斎藤殿、いや絵師・写楽の技量は熟知している。手助けがなくちゃ、この数はこなせねえ。何度も言うが、今度は失敗が許されねえんだ」
 蔦重は声を荒げ、写楽を説き伏せた。
「鉄藏、後の段取りは任す。とにかく顔見世興行初日に間に合わせてくれ。頼んだぞ」
 そう言い残すと、蔦重はそそくさと座敷を後にした。
「やれやれ、蔦重の旦那にも困ったもんだ。難題押し付けて、期日までにどうにかしろってか。まったく人使いが荒くて仕方ねえ」
「私の力不足から鉄藏さんの手を煩わせることになり、申し訳ありません。蔦重殿の指摘した通り、60図を仕上げるとは、私一人では荷が重すぎます。鉄藏さんのお力添えを頂き、正直、安堵している次第でして」
「そうかい、そう言ってもらえりゃ、多少は気が軽くなる。ところでよ、士分と聞いたが、この先、絵師で身を立てるつもりなのか」
「江戸でも名うての版元、蔦重殿のお眼鏡にかなったのかと有頂天になり、最初の大首絵が毀誉褒貶相半ばの大騒ぎになって、邪心を抱いたこともありました」
「あの役者大首絵にはたまげたぜ。座元や千両役者の松山菊之助に怒鳴り込まれたって話じゃねえか。批判覚悟で、役者それぞれの素の姿を小憎らしい程に大胆に描き出していて、とてもじゃねえが、あっしにはあんな度胸はねえ。どうしてあそこまで描こうとした?」
「それは……」
 写楽は躊躇った後、重い口を開いた。
「怒鳴り込むのは分かる気もするんです。私の邪心を見抜かれているのかもしれません。士分とは言え、私はしがない無足の五人扶持の身の上、片や役者連中は河原乞食と蔑まれながらも華やかな舞台で千両役者とおだてられ世間の注目を浴びる。羨望、嫉妬が胸の底に蟠っているのは確かなんです。いけませんね、こんな気持ちで筆を握っちゃ」
「そんなことはねえ。動機が問題じゃねえ。出来た絵がいいか悪いかだ。一人前になる力はあると思うんだがな」
「とんでもありません。夏の役者絵も私なりに精一杯やりましたが、世間の評価は厳しいようで、蔦重殿の前ではとても口にできませんが、豊国さんの役者絵にはとても叶いません」
「よく分かっているじゃねえか、自分のことを。あっしなんぞ、十九の歳に勝川門を叩いて、すでに10数年、筆を握っているが、鳴かず飛ばずだ。二足の草鞋が履けるほど世の中甘くわねえ。お前さんはまだ技が追い付いていねえ。だからここにきて苦しんでるんじゃねえのか」
「鉄藏さんのご推察の通りでございます。描けば描くほどぼろが出てくるようで恥ずかしい限りです」
「だけど、受けた仕事はやり遂げなきゃならねえ。今回の揃物で版元には何か注文なり頼み事はしたのかい」
「はい、実は大首絵をやらせてもらえないかと」
「何、大首絵を」
 鉄藏は舌打ちした。
 蔦重からは細判4、50図は前回通り、立ち姿との指示で、5月に大首絵を仕立てた大判の予定はなく、代わりに間版10図前後の注文で絵柄は鉄藏に任されていた。
(間判でお茶を濁せってのか、写楽の思いを。しかも嫌な役回りを押し付けて)
 鉄藏は口をへの字に曲げた。
                          第10話に続く。

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