磨知 亨/Machi Akira

元新聞記者。40年余の取材活動を糧に、故郷・足利(栃木)を主な舞台に物語を手掛けていま…

磨知 亨/Machi Akira

元新聞記者。40年余の取材活動を糧に、故郷・足利(栃木)を主な舞台に物語を手掛けています。趣味は畑・庭仕事、フライフィッシング。自費出版物に「国広、足利で打つ」、「山姥切にもう一度」、「雪月花は家宝だった」など。

マガジン

  • 小説「ある定年」

    新聞社の非正規記者だった江上はリストラで職を失った。奇しくも65歳の誕生月だった。余生をどう生きようか。遠隔地の地域おこし協力隊の試験に挑戦するが、あえなく落選。自分探しの旅に出て、ある女性から生きるヒントをつかむ。ようやく老後の生きる術を見つけたのも束の間、病魔に襲われる。

  • 「国広と足利」余話

    足利ゆかりの刀工・堀川国広にまつわる足利のこぼれ話を集めてみました。足利領主・長尾顕長の墓、刀剣の生き字引・田部井勇さん、足利の文献・資料、足利の鉄などを随時、紹介しています。

  • 小説「遊のガサガサ探検記」

    小学4年生の上清水遊は川にガサガサに行き、外来魚の席巻に心を痛める。ある時、ニホンイシガメを助けようとして溺れ、60年前の世界に入り込む。その世界では悪魔が人間の欲望を刺激し、生態系の危機が爆発的に進もうとしていた。遊は悪魔を抑え込む禁断の秘薬を手に入れようと、仲間と絶滅動物の調査、神のいる天空に上るための旅に出る。遊ら調査隊の前には、悪魔の執拗な攻撃が待っていた。

  • 小説「或る日の北斎」

    文政12年秋、浮世絵師・葛飾北斎は版元・西村屋与八から依頼された錦絵揃物「富嶽三十六景」の創作に悩み苦しんでいた。読本の挿絵、北斎漫画で絵手本のそれぞれ新境地を切り開いたが、細工師、曲芸師、人真似・敷き写しの雑音は止まない。ある日、与八の持参した古書「百富士」にも、「人真似させる気か」と激怒。親友・柳亭種彦に説諭され、北斎は絵師最後の勝負として富嶽図に向き合うことを決意する。

  • 小説「歌麿、雪月花に誓う」

    江戸時代の浮世絵師・喜多川歌麿は栃木県栃木市と深い関りがあります。当時、 同市内の豪商・善野家を訪れ、大作「雪」「月」「花」の3部作を仕上げました。 3作とも畳2~3枚分と巨大で落款はなく、作品の中に善野家の家紋を入れるなど謎に満ちています。天下の歌麿が地方都市で描いた思惑を小説でまとめました。

記事一覧

Every dog has his day.㉒

  第22話、 「何ですって、巴波醤油が店を畳むんですか」  江上は携帯を握ったまま、絶句した。衝撃の一報に、 (雪はどうなる、どうしたらいい)  と、切羽詰まった思…

Every dog has his day.㉑

  第21話、 「ご活躍で何よりじゃないか。今度は月と花の複製画を作るんだって。歌麿のニュースが載るのが楽しみでさ」  大倉は数日前の新聞を開き、江上の前に差し出し…

Every dog has his day.⑳

  第20話、  栃木市中心部を南北に貫く日光例幣使街道沿いには黒漆喰を塗りこめた見世蔵、白壁の土蔵など重厚な建造物が立ち並び、蔵の街の由来になっている。江戸時代…

Every dog has his day.⑲

  第19話、  雪は栃木市内にある、と実しやかにささやかれている。 「巴波醤油の猪野瀬さんが所蔵しているって言われていてね。あくまで噂で、真偽は分からないんだが」…

Every dog has his day.⑱

  第18話、 「一つの都市から肉筆画がまとまって見つかった記録はないので、栃木市と歌麿の関係は特殊であるとは言えるでしょう。大作を頼まれ、その合間にこれらの掛け…

Every dog has his day.⑰

  第17話、 「あっ、そうでした、少しお持ちください」  西郷未亡人は黒漆のお盆に急須を載せると席を立ち、襖を閉めた。湯茶を差し替えるらしい。  和室に通された後…

Every dog has his day.⑯

 第16話、  気が急く。車の走りがもどかしい。助手席の神村に気付いて、慌ててアクセルペダルを緩めた。  江上は神村を載せ、東北道を宇都宮方面に向かっている。西郷宅…

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Every dog has his day.⑮

  第15話、  神村はいつものように社長室で待っていた。ソファに腰を下ろし、思案深げに腕を組んでいた。テーブルの上に1枚の手紙が置いてある。 「いや、早いね。さす…

Every dog has his day.⑭

  第14話、  歌麿の肉筆画はある。所有者も分かっている。だが、動きようがない。仲介役の神村にしても、他人の懐に手を突っ込む行為だけに慎重には慎重を期している。…

13

Every dog has his day.⑬

 第13話、  玄関の窓ガラス越しに、見慣れた顔が見えた。玄関先で雨傘をたたみ、事務所の引き戸を開けた。長梅雨が続き、歩道の石畳も濡れている。 「こんにちわ。どうで…

Every dog has his day.⑫

  第12話、 「お話を聞いていると、所有者方にどかどかと土足で入り込んでいるようで、調査方法としていかがなものでしょう。他人様の私有物ですから、もっと穏やかに、…

Every dog has his day.⑪

  第11話、  薫風が川面を渡り、黒、赤、青、緑など多彩な大小の鯉幟をはためかせている。「いいこい」にかけて、その数1151匹。遊覧舟を運航する地元NPOの主催で、…

Every dog has his day.⑩

 第10話、 「いや、たいしたもんだ。今になって雪月花の写真を見つけ出すなんて。本当、奇跡に近いよ」  善野圭三郎は両目を輝かせ、研究会の成果に敬意を表するように頷…

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Every dog has his day.⑨

 第9話、   年が明け、寒い日が続いている。日本海側では記録的な大雪に見舞われ、交通機関、日常生活に支障をきたすこともしばしばのようだ。一方、太平洋側の栃木市…

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Every dog has his day.⑧

 第8話、   凍てつく寒さの中、峨峨たる山々の中腹を縫う山道を、赤い袈裟姿の僧侶が奥の頂きに聳える朱塗りの伽藍に向かう。弘法大師、空海に違いない。古歌に詠んだ…

Every dog has his day.⑦

  第7話、  民家の庭から金木犀の甘い香りが風に乗り、鼻をくすぐる。台風一過、蒼空は高く、赤とんぼが巴波川の川面で群れて飛んでいる。  江上は自転車のペダルをゆ…

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Every dog has his day.㉒

Every dog has his day.㉒

  第22話、
「何ですって、巴波醤油が店を畳むんですか」
 江上は携帯を握ったまま、絶句した。衝撃の一報に、
(雪はどうなる、どうしたらいい)
 と、切羽詰まった思いが駆け巡った。
 通報は市議の常本からで、会員でもある商工会議所に立ち寄った際、職員から耳打ちされたという。
「大手メーカーの攻勢で経営は厳しいとは聞いていたが、市内を代表する地場企業だったからね。猪野瀬さんは長く会議所会頭も務めた

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Every dog has his day.㉑

Every dog has his day.㉑

  第21話、
「ご活躍で何よりじゃないか。今度は月と花の複製画を作るんだって。歌麿のニュースが載るのが楽しみでさ」
 大倉は数日前の新聞を開き、江上の前に差し出した。
 激動の一年が明け、江上は新年の挨拶を兼ね、足利の郷土史家、大倉の元を訪ねた。江上が記者として栃木市に着任の際、大倉は「栃木市なら歌麿がいる」と調査を勧めた。江上にとって、大倉は歌麿調査の原点であり、年長の良き相談相手だ。
 紙面

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Every dog has his day.⑳

Every dog has his day.⑳

  第20話、
 栃木市中心部を南北に貫く日光例幣使街道沿いには黒漆喰を塗りこめた見世蔵、白壁の土蔵など重厚な建造物が立ち並び、蔵の街の由来になっている。江戸時代末期、大火が相次ぎ、当時の年寄りの肝いりで耐火性に優れた蔵造りが普及し、現在にその姿を伝える。その街道の西側に並行して巴波川が流れ、しっとりと落ち着いた情緒に一層の趣を与える。
 江戸初期、日光東照宮の造営を機に巴波川を利用した舟運が盛ん

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Every dog has his day.⑲

Every dog has his day.⑲

  第19話、
 雪は栃木市内にある、と実しやかにささやかれている。
「巴波醤油の猪野瀬さんが所蔵しているって言われていてね。あくまで噂で、真偽は分からないんだが」
 歌麿調査を頼まれた際、市長の末永は市内でも指折りの旧家の名前を挙げた。
 調査の過程で、約20年前、平成3(1991)年11月の新聞各紙に目が止まった。
 ーー歌麿の肉筆画あった!幻の雪発見
 江上の在籍した栃木新報の見出しはセンセ

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Every dog has his day.⑱

Every dog has his day.⑱

  第18話、
「一つの都市から肉筆画がまとまって見つかった記録はないので、栃木市と歌麿の関係は特殊であるとは言えるでしょう。大作を頼まれ、その合間にこれらの掛け軸を作った。歌麿の栃木市滞在の可能性は非常に高まったのではないか」
 歌麿研究の第一人者、漆原は時折、背面に展示された鐘馗図、三福神の相撲図を振り返りながら、淡々と解説を続けている。
 梅雨明けとともに真夏の陽光が照り付ける中、両図の発見

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Every dog has his day.⑰

Every dog has his day.⑰

  第17話、
「あっ、そうでした、少しお持ちください」
 西郷未亡人は黒漆のお盆に急須を載せると席を立ち、襖を閉めた。湯茶を差し替えるらしい。
 和室に通された後、彼女は神村に何度も頭を下げながら、近況を報告し、非礼を詫び続けた。神村が長く西郷夫婦と交流を持ち、未亡人となった後も相談に乗り、支えてきたことがうかがえる。江上は神村の脇で、2人の会話が一段落するのを静かに待っていた。
 床の間にはア

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Every dog has his day.⑯

Every dog has his day.⑯

 第16話、
 気が急く。車の走りがもどかしい。助手席の神村に気付いて、慌ててアクセルペダルを緩めた。
 江上は神村を載せ、東北道を宇都宮方面に向かっている。西郷宅には小一時間で到着予定だ。
 突然の訪問に所有者の西郷はどう反応するのか。手紙の文面から、彼女は心底、神村を信頼している。門前払いをしないだろうが、江上は初対面だ。同行目的を耳にして難色を示す懸念もある。彼女に非常識と受け取られれば、暗

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Every dog has his day.⑮

Every dog has his day.⑮

  第15話、
 神村はいつものように社長室で待っていた。ソファに腰を下ろし、思案深げに腕を組んでいた。テーブルの上に1枚の手紙が置いてある。
「いや、早いね。さすが記者上りだ」
「そりゃ、そうですよ、所有者からの連絡なんですから、一目散でやって来ました。ところで何て書いてあるんですか、この手紙に」
 江上は神村宛の手紙に釘付けになっている。
「そこにあるだろう。遠慮しないで、どうぞ読んでかまわな

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Every dog has his day.⑭

Every dog has his day.⑭

  第14話、
 歌麿の肉筆画はある。所有者も分かっている。だが、動きようがない。仲介役の神村にしても、他人の懐に手を突っ込む行為だけに慎重には慎重を期している。隔靴掻痒、もどかしさだけが募るが、焦っても仕方ない。目標は射程に入っている。幸運を祈り、その時に備えるだけだ。
 江上はパソコンに向かい、デスクトップのファイルを開けた。ファイル名は文献資料メモ。図書館で文献に目を通し、ネットで情報を調べ

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Every dog has his day.⑬

Every dog has his day.⑬

 第13話、
 玄関の窓ガラス越しに、見慣れた顔が見えた。玄関先で雨傘をたたみ、事務所の引き戸を開けた。長梅雨が続き、歩道の石畳も濡れている。
「こんにちわ。どうですか、その後 調査の方は順調ですか」
 栃木新報時代の元部下、後藤田は花柄のハンカチでブラウスについた雨しずくを拭った。
「まあ、何とか。知っての通り、歴史文化とか門外漢だったから、文献の下調べで結構、時間がかかって」
「幻の作品を見つ

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Every dog has his day.⑫

Every dog has his day.⑫

  第12話、
「お話を聞いていると、所有者方にどかどかと土足で入り込んでいるようで、調査方法としていかがなものでしょう。他人様の私有物ですから、もっと穏やかに、より慎重にやってもらったほうがよいのではないでしょうか」
 市博物館所属の男性学芸員、柏崎の発言に、江上は耳を疑った。怒りを通り越して、呆れてものが言えない。
(いちゃもんか、嫌がらせか)
 江上は腕を組み、顔を顰めた。
「そうはいっても

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Every dog has his day.⑪

Every dog has his day.⑪

  第11話、
 薫風が川面を渡り、黒、赤、青、緑など多彩な大小の鯉幟をはためかせている。「いいこい」にかけて、その数1151匹。遊覧舟を運航する地元NPOの主催で、春を告げる巴波川の風物詩になっている。
 綱手道を南に下り、黒板塀の続く塚田歴史伝説館を過ぎ、左に折れて路地に入ると、和菓子・文栄堂の看板が見えた。老舗の一つで、程よい甘さと絶妙な舌触りの餡を使った饅頭が評判だ。
「忙しいところ、呼び

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Every dog has his day.⑩

Every dog has his day.⑩

 第10話、
「いや、たいしたもんだ。今になって雪月花の写真を見つけ出すなんて。本当、奇跡に近いよ」
 善野圭三郎は両目を輝かせ、研究会の成果に敬意を表するように頷いた。
 釜佐の当主の計らいで、江上は釜伊6代目に当たる碩之助、堅次郎、圭三郎、川野嘉寿子の存在を知った。いずれも関東に在住で、80以上の齢を重ねているが、連絡すると健在だった。
 釜伊は栃木市内にあった善野3家の一つで、江戸時代、本家

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Every dog has his day.⑨

Every dog has his day.⑨

 第9話、 
 年が明け、寒い日が続いている。日本海側では記録的な大雪に見舞われ、交通機関、日常生活に支障をきたすこともしばしばのようだ。一方、太平洋側の栃木市は西風が吹く程度で、晴れ間が続いている。
 蔵の街大通り沿いの江上らの事務所内では、女性スタッフ3人が折り紙を器用に折り畳みながら大小、色とりどりの雛様、多面体や花の形をしたくす玉作りに忙しい。2月初旬から始める地元のイベント・あそ雛まつり

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Every dog has his day.⑧

Every dog has his day.⑧

 第8話、 
 凍てつく寒さの中、峨峨たる山々の中腹を縫う山道を、赤い袈裟姿の僧侶が奥の頂きに聳える朱塗りの伽藍に向かう。弘法大師、空海に違いない。古歌に詠んだ「高野の玉川」が一幅に仕立てられている。右下の落款は哥麿画に角印。
 都内にある堀之内家の関係者宅。専門誌に載った写真と対比しながら、江上は床の間の肉筆画を逐一観察し、幻の歌麿作品に辿り着いたことに胸は高鳴らせている。
 とんとん拍子に事は

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Every dog has his day.⑦

Every dog has his day.⑦

  第7話、
 民家の庭から金木犀の甘い香りが風に乗り、鼻をくすぐる。台風一過、蒼空は高く、赤とんぼが巴波川の川面で群れて飛んでいる。
 江上は自転車のペダルをゆっくり漕ぎながら、取材先に向かっている。旧市街地は古い町並み特有の狭い路地が多く、交通手段に自転車は最適だ。
 事務所は会長、立花の斡旋で大通り沿いの飲食店の空き店舗が借りられた。パソコン、事務机、椅子など事務用品をリースし、ハローワーク

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