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Every dog has his day.⑱

  第18話、
「一つの都市から肉筆画がまとまって見つかった記録はないので、栃木市と歌麿の関係は特殊であるとは言えるでしょう。大作を頼まれ、その合間にこれらの掛け軸を作った。歌麿の栃木市滞在の可能性は非常に高まったのではないか」
 歌麿研究の第一人者、漆原は時折、背面に展示された鐘馗図、三福神の相撲図を振り返りながら、淡々と解説を続けている。
 梅雨明けとともに真夏の陽光が照り付ける中、両図の発見を発表する記者会見が栃木市内の文化会館会議室で開かれ、新聞各紙、テレビ、通信社のメディア関係者が多数詰めかけた。
 江上は最後列の事務方の席に座り、ある種の達成感に浸りながら会見内容に耳を傾けている。 
 約2か月前、西郷未亡人宅で神村とともに両図を確認後、江上は市担当課に朗報を知らせた。市は漆原に鑑定を依頼し、両図とも歌麿の真筆と判定。一方、未亡人から両図の取り扱いを一任された神村は江上に全権を委ね、江川が市との窓口役になった。
 「栃木市にお返ししたい」。未亡人の意向を踏まえ、江上は市への寄託を提案し、彼女の了解を取り付けた。正式に同市への寄託が決まり、記者会見の運びとなった。
 漆原によれば、両図は昭和初期の実地調査をまとめた専門誌・美術日本2号、昭和40年代に浮世絵研究家の林美一が専門誌・季刊浮世絵50号でともに紹介した作品と分かった。美術日本に地元に残る作品として掲載された6点の内、女達磨図を含めた計3点が約70年の歳月を経ても栃木市の旧家宅で大切に秘蔵されていたことになる。
「一時は難産かと心配したが、結局、収まるべき所に収まったということだ。栃木市所蔵となり散逸の懸念もなくなった」
 西郷未亡人から寄託の意向を受けたことを伝えると、神村は安堵の表情を浮かべた。江上も同じ気持ちだった。
 西郷宅には美術商が出入りし、あわや譲渡寸前だった。浮世絵、特に歌麿は北斎、写楽らとともに世界的に人気で、コレクターも多い。しかもこれまでに約40点しか確認されていない歌麿の肉筆画であり、幕末から明治期のように海外流出の恐れもあった。栃木市という公的機関に預けられ、今後、展示会も開催され、多くの市民や美術愛好者の目を楽しませるはずだ。
「歌麿の肉筆画は現存数で約40点ぐらいでしょうか。そのうち、2点所有するのは世界でボストン美術館と千葉市美術館で、3点以上はないと思う。その意味で栃木市の3点は非常に素晴らしい」
 会場では記者の矢継ぎ早の質問に、漆原が的確に応答している。
 見えざる力にここまで導かれたような感覚に、江上は身震いする。早期退職に応じ再就職活動に動き出す間もなく、棚から牡丹餅で歌麿調査の仕事が舞い込んだ。調査期間は2年半。遮二無二、足で稼ぎ、幻の作品・六玉川を見つけたと胸を躍らせたら、不調に終わり、落胆する間もなく、旧知の神村から新たなターゲットの耳寄りな情報が入り、不首尾覚悟で正面突破したら栃木市の宝に巡り合えた。
 記者を辞めなければ、市長の末永が歌麿調査を思いつかなかったら、神村と知り合いでなかったら、もし美術商が西郷未亡人に売却を迫らなければ……。タイミング、人の縁、運の不可思議さを痛感する。
 前から3列目の中央付近の女性記者が手を挙げた。元同僚の後藤田だ。指名を受け立ち上がった。
「大作の合間に描いたといわれましたが、その大作とは雪、月、花、ということでしょうか」
「大作の雪、月、花が栃木市にあったのは事実ですから、それを念頭においてもいいでしょう」
「すると、その3作は栃木市で描かれたということですか」
「3幅全部かもしれませんが、最低1幅は栃木市で描かれたんじゃないか、と考えています」
 歌麿の栃木市滞在説が濃厚となり、次のターゲットは3幅で唯一、所在不明の雪に絞られている。
 会見終了後、後藤田がやって来た。
「やりましたね。おめでとうございます」
「ありがとう。偶然と幸運、所有者の理解、それに多くの人の協力があったから見つけ出すことができた」
「実は心配していたんです。研究会発足の記事を仕立てようと取材に行ったら、担当課は歌麿調査よりミュージアム開設などに力点を置いていたので、江上さんの思惑とは違うなと。でも今回の発見で誰も文句を言わないだろうし、歌麿に傾注できますね」
「歌麿に対する市民の関心や理解も深まるだろうし、調査期間も2年弱しか残ってないからね。まだまだ歌麿で調べることは山積みだから」
「ところで、作品2点は今回、寄託扱いになりましたけど、今後、市が買い取る予定はないんですか」
 後藤田が探るような視線で、江上の顔を覗き込んだ。譲渡となればニュース性が高く、まして地元紙なら猶更だ。他社に先駆けて知りたいだろう。
 西郷未亡人は内々で譲渡の意向を仄めかしており、栃木市の宝になる日も近い。彼女から市との窓口となるよう依頼されている。
「それは市に聞いてもらえるかな。研究会が答える立場にないので」
「ということは、譲渡の話は進んでいるんですか」
「そういうことじゃない。まだ寄託されたばかりで、所有者の意向次第だから」
「でも所有者は栃木市にお返ししたい、とのことですが」
「それは間違いない。だから寄託したんだ。ただ譲渡となるとお金の問題もあるし、簡単に事が運べるもんでもないよ」
 後藤田は納得いかないように首を傾げ、取材ノートを畳んだ。
「寄託で、この件は一仕事終えたと思っているんだ。研究会の役割は発掘調査が第一だから」
「じゃ、次は雪ですね」
 江上は唇を引き締め、頷いた。
                      第19話に続く。
 第19話:Every dog has his day.⑲|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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