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小説「或る日の北斎」

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文政12年秋、浮世絵師・葛飾北斎は版元・西村屋与八から依頼された錦絵揃物「富嶽三十六景」の創作に悩み苦しんでいた。読本の挿絵、北斎漫画で絵手本のそれぞれ新境地を切り開いたが、細工… もっと読む
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小説「或る日の北斎」の掲載に当たり

 錦絵「富嶽三十六景」は、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎の代表作として知られています。  …

小説「或る日の北斎」その1

 蒼穹の果てまで、富嶽が遠のく気がした。 (どうにもしっくりこねえ)  葛飾北斎は筆を握り…

小説「或る日の北斎」その2

「ところで、お前さんはそんなに腕を磨いて、まだ本気で絵師を志すつもりか」  北斎はどうに…

小説「或る日の北斎」その3

 秋晴れに雲一つなく、穏やかな陽光が大川の川面に煌めいている。日本橋から日光街道で浅草ま…

小説「或る日の北斎」その4

 北斎は弥太郎に背を向けた。また庭先に視線を転じると、あの赤蜻蛉は既に姿を消している。彼…

小説「或る日の北斎」その5

 その古書の題箋には百富士と墨書きされている。  中身は見なくても推察できる。今の北斎に…

小説「或る日の北斎」その6

 西村屋与八、通称・西与が店主の永寿堂は、日本橋大伝馬町3丁目、鱗形屋三左衛門の林鶴堂、日本橋通油町、鶴屋喜右衛門の仙鶴堂などと並ぶ老舗の版元として知られる。初代は八頭身美人画の鳥居清長を世に送り出し、2代目は戯作者の柳亭種彦を育て上げ、滝沢馬琴に「売買にさかしき者」と言われ、商売上手で鳴らした。現当主は3代目西村屋与八となる。 「ご承知の通り、お上の禁令が相次ぎ、版元の商売も先細りでして。まったく厳しい情勢なんですが、とはいえ、ただ指をくわえてみてるわけには参りません。この

小説「或る日の北斎」その7

 浅草寺の鐘が昼八つを知らせている。時は配慮も躊躇もせず過ぎていく。聞き慣れた単調な音色…

小説「或る日の北斎」8

「富嶽よ」 「富嶽?富嶽なら錦絵や挿絵にこれまで何度も描いてきたでしょう。先生程の腕をお…

小説「或る日の北斎」最終その9

 陽光が西に傾き、座敷の奥まで射し混んでいる。近くの社の木立から、百舌のけたたましい鳴き…