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小説「或る日の北斎」最終その9

 陽光が西に傾き、座敷の奥まで射し混んでいる。近くの社の木立から、百舌のけたたましい鳴き声が日没に抗うかのように鳴り響く。
 種彦が去った後、北斎は部屋に籠り、手垢にまみれた画帳に目を通しては、時折、庭に目を向けている。手元には既に見終えた画帳が10数冊積まれている。
 彼は画帳を閉じると、一区切りついたようにゆっくり息を吐いた。
「おーい、いつものを持ってこい」
「あいよ、分かったよ」
 阿栄が阿吽の呼吸で応じた。彼女は湯呑に白湯を入れ、小皿に柚子の煎じ薬を載せて運んできた。
 北斎は小匙で煎じ薬を白湯に入れ、かき混ぜると、2、3度に分け、飲み干した。次いで、両手の平と甲をこすり合わせ、時折、手のツボの虎口、指間穴を何度も入念に揉み下し、指先まで血が行きわたるように促した。
 半年前、突然、彼は立ち眩みに襲われた。例えようもない脱力感で数日間、煎餅布団に伏した。どうにか起居できるようになったが、右手は冷え、痺れが残った。筆を持ってもしっくりこない。中風の後遺症に身がすくんだ。心配した種彦が東奔西走し、ある漢方医から秘薬の調合法を聞き出し、以来、北斎は毎日、自ら調合し服用している。幸い、今では両手の痺れもほとんど薄れている。
 齢70を数える。
(もう時間がねえ)
 寄る年波が恨めしい。
 北斎は右手の親指の腹を中指の筆タコに押し付け、その固い膨らみに力を込めた。
 物心のつく6歳の頃から、庭先の花、虫、鳥、目にするものを細密に写し取ってきた。写生は画技の基本で、70となった今でも筆と画帳は常に身に着け、目新しい対象物を画帳に描き留める。北斎手製の粉本は部屋の隅に山と積まれ、度重なる引っ越しの際にも最優先で大八車に積み込む。
 勝川派を破門後、2代俵屋宗理たわらやそうりにやまと絵、琳派を学び、幕府御用絵師、浜町狩野家の狩野融川かのおうゆうせんに粉本の大切さを叩き込まれ、司馬江漢しばこうかんの西洋銅版画から遠近法、明暗法を貪欲に吸収し、ぶんまわしや定規の扱いも両手に教え込ませた。
 身に着けた画技、画風を駆使し、両目に映る森羅万象を錦絵、肉筆画、刷物、挿絵、春画、絵手本とあらゆる対象に描いてきた。
(それでも、まだ画境は開けねえのか)
 忸怩たる思いに唇を噛み締める。
 両目を閉じると、絵草紙屋の店先で錦絵が絢爛に競い合っていた情景が思い起こされた。30年前、天明、寛政期は錦絵の黄金期だった。師・勝川春章かつかわしゅんしょうの元を離れ、日本橋通油町の版元・耕書堂こうしょどうに厄介になっていた。店頭の平台には歌麿の描く妖艶な女絵の数々が山積みされ、多くの人々が群がり、買い求めていた。
「ちょっと見せてえ物がある」
 耕書堂店主・蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろうが座敷に、錦絵28枚をずらりと並べた。いずれも豪華な黒雲母摺の役者大首絵だった。個々の役者の特徴である鷲鼻、受け口などを見苦しいまでに極端に誇張し、奇想天外、前代未聞の錦絵に仕上がっていた。鳥居、勝川、歌川、各派の絵師がだれも手掛けたことのない代物だった。
「女絵の次は役者絵で勝負だ。写楽って絵師は才能がある」
 写楽に対する蔦重の傾倒ぶりに、北斎は嫉妬さえ覚えた。
 ーー歌舞伎役者の似顔をうつせしが、あまりに真を描かんとて、あらぬさまにかきしかば、長く世に行われず、一両年にして止む
 天下一の文人と呼ばれた太田南畝おおたなんぼが著書「浮世絵類考うきよえるいこう」で記している。写楽は彗星のように現れ、そして姿を消したが、東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらくの名は役者錦絵で燦然と輝いている。
(画技だけじゃねえ、発想力だ)
 北斎は両目を見開いた。
 庭に目を向けると、残照がたなびく白雲を薄桃色に染め上げている。庭先の虫が急き立てるように集き始め、夜のとばりが下りようとしている。
 一日がまた整然と暮れていく。思い悩み、逡巡する暇があるのだろうか。人真似と謗る輩は打ち捨てておけばいい。ましてや西与の思惑など埒外ではないか。
 北斎は再度、瞼を閉じた。
 脳裏に富嶽を思い浮かべた。山頂から裾野に向け、稜線がなだらかに伸びる。優美で泰然自若としたその姿をどう画幅に収めようか。浅草寺、相州江の島、甲州三坂峠と旅先で目に焼き付けた光景を思い起こす。新緑が芽吹き、入道雲から雷が轟き、雑木林が紅葉に染まり、雪がしんしんと舞い落ちる。春夏秋冬、季節の移ろいの中、田植えに精を出し、荷車を引き、瓦を葺き、大鋸を挽く庶民らの姿が蠢く。
 織り成す光景の中で、富嶽は超然と聳え立ち、万物流転を見つめ続けている。
 その崇高な存在に人々は恐れ、敬い、祈りを捧げる。有史以来、土佐派、狩野派ら宮廷や幕府の御用絵師、町絵師らが対峙し、その神の姿に迫ろうと競ってきた。
(富嶽を描き尽くして見せる)
 邪念が消え、胸の鼓動が高まり始めるのを北斎は感じた。
 諸所の情景とあの岷雪の百富士の描写が次々と乱れ飛び、富嶽が変幻自在にその姿を変容させながら、その一つ一つの情景や描写と融合、分離を繰り返しはじめた。創作への序章に入ったことを、彼は確信した。
 構図が次から次へと溢れ出て、その勢いは加速し、脳裏を駆け巡る。朧気ながら、一つ二つと情景の中に富嶽が収まり、また消えていく。思考を止めてはならない。構図の奔流から、彼は素材が1図に収斂するのを待った。
 閃きは苦悩の末、天啓のように訪れる。
 雲間に、富嶽が嫣然と浮かび上がった。
 激流が轟音を上げながら滔々と流れ、岩に砕け散り、水飛沫を上げる。川面にせり出す岩の上から、老漁師が両足を踏ん張り、渾身の力を籠めて投網を引き絞る。獲物は居付きの大岩魚か。水底の岩場に逃げ込もうと必死に暴れ、漁師との一進一退の攻防が続く。
 隠し細工はどうする。富嶽の稜線と、漁師を頂点とした岩と引き綱との傾斜を合わせたらどうか。斜めにせり出す岩と高波の波頭とを相似させてもいい。
 富嶽は気高く白雪をまとい、仄かに朝焼けが差す。岩は清冽な水蘚の緑で染め、清流はあのベロ藍で際立たせる。
 発想が泉のように湧き出て、止むことを知らない。
(自分を信じろ)
 北斎は創作の陶酔に浸る。
 日はとっぷり暮れ、邯鄲が逝く秋を惜しむように盛んに鳴き続けている。
                              (了)  

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