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Every dog has his day.㉑

  第21話、
「ご活躍で何よりじゃないか。今度は月と花の複製画を作るんだって。歌麿のニュースが載るのが楽しみでさ」
 大倉は数日前の新聞を開き、江上の前に差し出した。
 激動の一年が明け、江上は新年の挨拶を兼ね、足利の郷土史家、大倉の元を訪ねた。江上が記者として栃木市に着任の際、大倉は「栃木市なら歌麿がいる」と調査を勧めた。江上にとって、大倉は歌麿調査の原点であり、年長の良き相談相手だ。
 紙面には、栃木市が大作3部作「雪」「月」「花」の内、「月」と「花」を所蔵する米国内の美術館の協力を得て、原寸大の精緻な複製画を作成する内容を報じている。昨年秋、江上の所属する研究会に、京都で文化財保護活動を続けるNPO法人から連絡があり、市に打診していた。
 鐘馗図、三福神の相撲図の発見、取得を受け、市は庁内にプロジェクトチームをつくり、特別顧問に歌麿研究の第一人者、漆原を据え、歌麿を活用した地域活性化に本腰を入れている。
「お陰様で、市民の関心も随分と高まってきました。今年秋には官民一体で歌麿まつりも企画され、まちおこしの機運も盛り上がっています」
「そりゃ、大いに結構だ。肉筆画の相次ぐ発見で、歌麿の栃木市滞在が裏付けられたからな。歌麿の知名度は世界的にも格段に高いから、栃木市のまちおこしにつながるんじゃないか」
「本当、そう願っています。研究会としてはこれまで通り地道に調査発掘を進め、できるだけ埋没した作品、裏付け資料を探し出せるかです。まちおこしの核を充実させるのが役割ですから」
 研究会発足当初、委託項目にカフェの開設運営なども含まれ当惑したが、江上の思惑通り、早期の肉筆画発見を契機に歌麿調査に傾注できている。
「とすると、やはり最大の関心事は幻の雪となるな」
「そういうことです。今回の複製画作成も、雪発掘の導火線にしたいという狙いがあります。まず雪の存在を広く知ってもらう、つまり世論喚起が重要ですから」
 機運は盛り上がっている。江上らの研究会は「幻の雪を栃木市に」のタイトルで、独自のポスター、チラシを作成し、情報提供を呼びかけることにしている。日本浮世絵学会の芳野会長に協力を求め、「探偵団に加わりましょう」との言質も得た。
「もう随分、調べているんだろう。やはり噂の巴波醤油で持っていそうなのか」
「えっ、知っているんですか、その噂話を」
「絵馬仲間の栃木市の友達から聞いている。結構、有名な話らしいじゃないか。少しは裏付けをとれたのか」
 大倉のような郷土史家らは独自のネットワークを持ち、耳聡い。40年前の林美一の調査報告で栃木市と歌麿がクローズアップされ、20年前の渡辺の著書では栃木市内の所蔵を仄めかしながら所有者を特定しなかったことが、ミステリーの謎解きとして関心を呼んでいるようだ。
「状況証拠はいくつかあるんですが……」
 巴波醤油社長の猪野瀬の所蔵発言も含め、江上は伝えた。
「なるほどねえ、噂話はあるが、実物を見た人はいないわけだ。名士中の名士だから、おいそれと尋ねる人もいなかったんだろう」
 江上は取引銀行の元頭取に取材し、「栃木市のお公家さんで、支店長でさえ簡単に会えなかった」と証言している。
「ところで、持っていると思いますか」
「火のないところに煙は立たんというからな。それに、栃木市民にとってはロマンだろう。里帰りしていて、いつかは見られると思いたいんじゃないのか。無論、公になれば美術界の大ニュースだろう」
「でしょうね。でも、誰が、いつ、どうやって確認するか」
「誰が、どうやるかは分からんが、いつやるかと言ったら、今じゃないだろうか」
「今ですか」
「そうだろう、これだけ雪探しで大いに盛り上がっているんだから。仮に噂の家で持っていたら、名士中の名士だけに、『噂もあるのに、なんで聞きに来ない』とへそを曲げるんじゃないか」
 確かに機は熟している気がする。肉筆画の相次ぐ発見がニュースで流れ、栃木市と歌麿が内外で認知されはじめ、市民の関心も一気に盛り上がっている。「幻の雪を栃木市に」と盛んに煽り立てられ、所蔵家とすれば水攻めに遭っている気分かもしれない。タイミングは今をおいてない。
「確かにチャンスかもしれません。でも、どう確認したらいいか」
「調査という大義があるし仕事だから、江上さんが尋ねるのが筋だろうが、本音を引き出さんと意味がないからな。最後の展示以来60年、秘蔵されているわけだ。表に出せない、もしくは出したくない訳があるかもしれん。決して一筋縄でいかない気がする。綿密に戦略、戦術を立てんとな」
 歌麿を世界に知らしめた美人画、しかも浮世絵でも稀有の巨大な肉筆画で、億単位とも噂される。調査とはいえ、相手の懐に手を突っ込む不遜な行為であり、しかも町の名士だ。慎重の上にも慎重を期さなければならない。
 所有者と懇意で仲介役になりうる人物はいるのか。市の受け入れ態勢は十分か。特別顧問の漆原ら研究者、美術商らの意見も聞かなければ……。課題が次々と江上の脳裏を飛び交う。
「そろそろ、栃木に戻らないと。また寄らせてもらいます」
「60年余も眠っておるんだから、そう簡単に姿は見せんだろうが、江上さんらの活動で地殻変動は確実に起きているんじゃないか。突然、突破口が開けるかもしれん。その機を見逃さないことだ」
 1か月後、大倉の予言がぴたりと当たるとはその時、江上は知りようがなかった。
                          第22話に続く。
第22話:Every dog has his day.㉒|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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