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Every dog has his day.⑨

 第9話、 
 年が明け、寒い日が続いている。日本海側では記録的な大雪に見舞われ、交通機関、日常生活に支障をきたすこともしばしばのようだ。一方、太平洋側の栃木市は西風が吹く程度で、晴れ間が続いている。
 蔵の街大通り沿いの江上らの事務所内では、女性スタッフ3人が折り紙を器用に折り畳みながら大小、色とりどりの雛様、多面体や花の形をしたくす玉作りに忙しい。2月初旬から始める地元のイベント・あそ雛まつりに合わせた準備だ。期間中は民家や店舗の店先に伝来の雛飾りが展示され、道行く観光客らの目を楽しませる。
 江上らの研究会も受託事業の一環で参加することにし、事務所から程近い大通り沿いの空き店舗を新たに賃借しプチギャラリーを常設することにした。そのため江上は安田のほかに、新たな女性スタッフとして阿久津と長竹を雇い入れた。阿久津を事務所の事務員にし、接客にも手慣れた安田がギャラリー担当で、当面、新人の長竹を指導する。
 江上はパソコンのファイルに目を転じた。市長の末永宛に認めた調査報告書だ。
 昨秋、六玉川の調査を断念した直後、舞い込んできた神村の情報は鐘馗図と相撲図の貴重な内容だった。神村と懇意の未亡人が所有しているらしく、「歌麿の件は黙っていて」と神村は念を押された。未亡人の名前が、浮世絵コレクターの西園寺から得た情報と同一だったため、約40年前、浮世絵研究家の林が西園寺らの協力で確認した歌麿の幻の肉筆画と分かった。未亡人は家宝として大切に保管し続けていることになる。市長と協議し、神村と連絡を密にし、当面、推移を見守ることにしている。
「事務局長、会長の立花さんがいらっしゃったようです」
 安田の声に入口に首を向けると、ガラス戸越しに立花が右手を挙げた。
「特に用があるわけないんだ。江上君にすべて任せてあるからな。ただ近くに立ち寄ったから、足を向けたんだ。先日、新年会で市長に会ってたら、歌麿調査に期待していたよ。どう、何か進展はあるの」
 グレーのハンチングに濃紺のコーディロイのジャケットを羽織り、紳士然としている。齢73、血色がいい。家業は長男に譲り、愛妻とゴルフに旅行と悠々自適な日々を送っている。
「いや実は……」
 江上は新たな歌麿情報についてかいつまんで報告した。
「それは興味深いね。神村さんもよく知っているし、今度、お会いしたら、これまでのお礼と、今後の一層の協力をお願いしておこう。ぜひとも確認して、市のお宝にしたいものだ」
「会長からお口添えして頂ければ、心強いです。この件は当面、神村さん頼みなので」
「分かった。作業の邪魔になってはいけないから、そろそろ引き上げよう。ところで、何か、他に私にできることがあるかな。あるなら遠慮なくいってくれ」
「ご了承を頂きたいのですが、歌麿専属の調査員を新たに雇用しようと考えています。ご覧のように他の受託事業もあり人手が足りず、残された受託期間も2年余りとなっているのですから」
「雇用対策も兼ねているんだ、予算枠があるなら雇ったらいい。問題は適任者がいるかだろうが、誰か心当たりはいるの?」
「取材経験がなくても若くて意欲のある人材なら、私の助手として指導しようと思って。ハローワークに求人をお願いするつもりですが」
「いくら不況で求職者が溢れているといっても、雇用期間が2年間限定となると触手が伸びないだろう。その上、足で稼げて文章が書けてとなると、君のように新聞記者上りが適任なんだろうが」
「そうか、記者上りか……」
「誰かいるのか」
「ええ、早速、連絡してみます」
 江上の脳裏に、最適な人材が浮かんだ。同期入社、しかも同時に早期退職した郡上だった。在籍時は学芸部にも在籍し、美術関係は江上以上に頼りになる。再就職した話も耳にしていなかった。
 至上命題は肉筆画の発掘だが、調査し記録として残すことが重要だ。限られた少佐機関で、歌麿と栃木市の全貌を明らかにするのは困難に違いない。研究会解散後も、地元住民を中心に調査を継続してもらうために、詳細かつ正確な調査報告を残したい。
 2日後、江上は宇都宮に住む郡上の家を訪ねた。
「埋もれた歌麿の作品調査か、それは面白そうだ」
 江上の要請に、郡上は眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
 
 着任間もなく、郡上はまるで挨拶替わりかのように朗報を持ち込んだ。
「何だって、雪月花の写真が新たに見つかったって」
「そうなんだ。挨拶回りで、たまたま上山先生の所に顔を出したら、現物を見せられたんだ」
 郡上はカメラの電源を入れ、撮影した写真をモニターに映し出した。
 アルバムの一ページに上から雪、月、花のセピア色の写真が張られ、それぞれに添え書きがある。歌麿が釜伊宅で雪月花を描き、明治30年頃、釜伊が500円で売り出し、上山の家で買う約束をしたが破棄。栃木から姿を消すのを惜しんで写真に収めた、などの貴重な内容も含まれていた。
 上山は栃木市内の国文学者で、郡上の記者時代の知り合いだった。郡上が歌麿調査に加わったことを伝えると、上山は書斎から一冊のアルバムを取り出した。
 「絵で見る栃木市史」=昭和53(1978年、栃木市発行)には写真撮影の経過は記載されているが、掲載写真は上山の所有物とは異なり、添え書きもない。郷土史の基本文献としては余りにもお粗末な内容だ。郡上が詳細な調査報告を残すことにした。
 六玉川の所在確認に次ぐ埋もれた史料の発掘と、江上ら研究会の活動に追い風が吹き始めている。世論喚起を促す絶好の機会だ。事務所で記者会見を開き、新聞各紙、NHKや県域テレビが駆けつけ報道され、大きな反響を呼んだ。開設したプチギャラリーで初の調査報告展「栃木の歌麿を追う」を開くことにした。
 情報を入手するには、自ら情報発信するしかない。取材相手から本音を聞き出すには、相手の知りたい情報を懐に忍ばせて接触するに限る。記者時代に培ったノウハウだ。
 旧家に眠る歌麿作品を表に出させるには、まず所有者の関心を呼び覚ますのが先決ではないか。六玉川の失敗が江上の脳裏をかすめたが、何も動かなければ始まらない。失敗を恐れては虎の子はとらえられず、躊躇する時間もない。
(追い風を逃すな)
 江上の脳裏に幻の肉筆画群が浮かんだ。
                         第10話に続く。
 第10話:Every dog has his day.⑩|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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