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We Can Work It Out by the Beatles
本日7月21日、思いたって浅草のブックマーケットに出かけた。去年も行って楽しかったブックマーケット、今年はいろいろやることに終われていて、行くかどうかと迷いつつ、そこはいつもの消極的な楽観思考で、行かずに後悔するより行って後悔したほうが良い、そう考えて浅草に向かった。 炎天下の浅草を歩きながら聴いていたiPod Touch のランダム再生で流れて来たのがこの曲で、繰り返される「We Can Work It Out(乗り越えられるさ)」に苦笑した。そうだ、今月の21日の音楽はこれで決まり。 1965年のこの曲は、ビートルズがよりクリエイティブな曲づくりに目覚めた頃の曲で、おそらくは関係がぎくしゃくしはじめたカップルを歌ったものだ。ポールらしい明快でポジティブなメインフレーズに、ジョンらしいネガティブなフレーズ「Life is very short and there’s no time(人生は短く、時間はない)」が挟まり、突如ワルツに変調するという、この後のSgt. Peppers〜以降のビートルズ音楽を予感させる実験的な構成になっている。後年ジョン、ポール、ジョージの個性が際立つので、バンドとしてのビートルズらしさで言えば、最もビートルズらしい曲のひとつじゃないかと思う。 ジョンが40歳で凶弾に倒れたことを知っているわたしたちは、この「Life is very short」になんとも言えない運命的なニュアンスを感じてしまうのだけど、当時は誰ひとりそんなことを考える者はいなかったはずだ。とすると、ここは明確にポールの陽に対するジョンの陰みたいな捉え方だったのかななんて思えてくる。 多分に東洋的かもしれないけれど、物事のプラスとマイナス、陰と陽はやはりあるのだ。 この曲がリリースされた1960年代なかばは東西冷戦真っ只中で、この曲に歌われるカップルには東西両陣営が反映されているのだなんて言説もあった。実際のところはわからないけれど、この視点は現代にも通じる。優れた歌はいつの時代にもメッセージを放つものなのか。 スケールを個人レベルに戻すと、わたしはブックマーケットの帰りにこのnoteのことを考えている。会場で買った本で重くなった、妻から借りたトートバッグに書かれているのは「Life is short Read more books(人生は短い、もっと本を読め)」。ジョンのフレーズとほぼ同じだ。 うん、こうして現実逃避気味に積ん読本を増やしたけれど、気分転換後にはやるべきことを済ませて、買った本を読んで、最終的にはうまく行くものと信じたい。 いろいろと不穏な世の中だけど、We can work it out って、良い考え方なのかもしれない。
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The Elfin Knight by Boann
本日は夏至。 夏至にはいつもシェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』を思い出す。洋の東西を問わず、最も昼の長い特別な日には自然界がとりわけ活気づくように感じられたのか、妖精たちも活気づいて、人間世界と妖精世界が通じ合う。 枕草子に「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる」とあるけれど、平安京の人びとも蛍を西洋の妖精みたいな存在みたいに感じていたか。 夏至の妖精はケルト神話なんかが有名で、それが英国のフォークロアとして残っている。サイモンとガーファンクルの Scarborough Fair がそうだし、その Scarborough Fair にも元になった民謡がある。 それがこの the Elfin Knight で、北ゲルマン的なメンバー構成のグループBoannは、じつにカッコいいアレンジでケルト的な世界観を聴かせてくれている。 Ye maun make me a fine Holland sark Blaw, blaw, blaw winds, blaw Without ony stitching or needle wark And the wind has blawin my plaid awa 古い英語表現かつ、おそらくスコットランド語の言い回しもあって、歌詞はとてもつかみづらい。そこがまたフェアリーテールの世界観を醸している。角笛を吹きつつ、女性と妖精の騎士のあいだで結婚するためにクリアしなくてはならない無理難題の掛け合いが繰りだされているという。なんだか竹取物語みたいでもある。 今月初めに参加した京都の「うさぎフェスタ」について書いたのを最後に、気がつけばいろいろと忙殺されて21日になっていた。それで急いで「21日の音楽」のnoteを書いている。 ああ夏至の今日、妖精さんが現れてたまっている仕事を片付けてくれないものだろうか。
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忘れちやいやョ by 渡邊はま子
先日、大吉原展を観に行った。これはまた別に書いておかなくてはと思っているのだけど、かつて存在した遊廓のさまざまな側面が、多面的に考察され、再現され、展示されている様は、たいへん見ごたえがあり刺激的だった。 昭和初期に公娼が廃止され、消滅した吉原。 その消滅の過程を、永井荷風が『里の今昔』でノスタルジックに書いていた。その荷風を主人公にした映画《濹東綺譚》(荷風の同名小説とは別)を思い出す。吉原消滅後の私娼が題材のこの映画は、吉原の名残を視覚的に伝えてくれている。 この「忘れちやいやョ」は劇中にも流れ、津川雅彦演じる荷風も口ずさんでいた当時の流行歌だ。じつは内務省から“娼婦の嬌態を眼前で見るが如き歌唱”だとして放送禁止にされた歌でもある。 月が鏡で あったなら 恋しあなたの 面影を 夜ごと映して 見ようもの こんな気持ちで いるわたし ねえ 忘れちゃいやよ 忘れないでね 歌詞の内容にはそれほど際どさは感じない。五七調が遊郭を連想させるのか。この官能的な「ねえ」が向けられる相手を恋人ではなく遊客とするなら、公娼時代を知る者にはそう聞こえてもおかしくはなさそうだ。 公娼制度は人権侵害だ。だから二度と現れない制度のはず。大吉原展を観てこれは痛切に感じた。もしも内務省が言うように娼婦の歌であるなら、「忘れないで」と言っているのはその負の側面も含むと考えられないだろうか。 当時を直接知る人がいなくなった現在、これは単なるラブソングかもしれない。同じことが、戦争にも言える。戦争に突き進んだ軍国主義は、二度と現れてはいけない体制だ。終戦からおよそ80年。戦後生まれの為政者による行政が、忘れてしまった大事なことはないか。 歌に吉原を思い、その負の側面から戦争を連想する。良いことも悪いことも、どちらも忘れちゃいやよ、渡邊はま子の甘い歌声は、そう聴こえる気がする。
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Moon River by Audrey Hepburn
昨日、東京の虎ノ門ヒルズで行われているTiffany Wonder展に足を運んだ。これはあのジュエリーブランドのティファニー社の大規模な展示会で、じつに500点ものアイテムをじっくりと観ることができる。 これは単なるジュエリーの展示会ではない。特別に制作された巨大タペストリーでの歴史紹介にくわえて、石留めや研磨、手彫りの職人さんの実演などもある。こうしたジュエリーの展示以外のひとつに、ティファニーの名を冠した映画「ティファニーで朝食を」のコーナーもあった。 ヒロインのホリーを演じたオードリー・ヘプバーンの衣装や小物とともに大型スクリーンで流れる映画の一場面。そこにはアパートの非常階段前の窓際でオードリーがテーマ曲Moon Riverを歌う映像もあった。 歌手ではないオードリーが口ずさむ飾らない歌声。彼女の狭い音域にあわせて作曲されたなんて話があるけど、だからこその自然さ、気取らなさが、ひとりの女性の本来の姿を浮かび上がらせている。そこにあるのは、歌手の歌声ではない、俳優の歌声の魅力とでも言うべきなにか。 ある人を想って歌う歌、思い出を振り返って歌う歌、そうしたテーマはありきたりだけど、それらをさり気なくにじませたこの曲の歌詞はこの場面のオードリーにぴったりだ。 映画の中ではティファニー社は、高級娼婦的なホリーの側面を象徴するラグジュアリーブランドとしての役割だった。しかし、この歌とオードリーのイメージがあったからこそ、ラグジュアリーなのにどこか清楚なブランドイメージが定着したのではないか。 たまたま昨日虎ノ門ヒルズで聴いたこのMoon River。歌のプロではない、市井の人びとの口ずさむ歌って、こうだよな。心を揺さぶる歌唱力や超絶技巧の演奏力はもちろん良いのだけど、これもまた素晴らしい音楽だという気づきがあった。