最近、劣等感の正体に気づいた。 親に、今まで選んだ選択肢を、一度でいいから褒めて欲しかったんだ。 うちの家庭が「うまくいっているときや、素敵なところはあえて口にしたりしない」のに慣れたつもりだったけど、寂しかったのか。言って欲しかったんだね。うまくやってきたよ。素敵よ。
人の役に立たなければ、生きている価値がない? 一度でも、間接的にでも、人を笑顔にすることができたら、それは「人の役に立った」と言ってはいけない? 生きている価値というものがあるのなら、その価値はどういう基準?誰が決める?