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可哀想な人や不幸な人の特徴とは何か? 今すぐに意識を変えることが最良の対策

私の読者の皆さんには、全員幸福になってほしいと願っています。私は自分や身内だけが幸福や成功を手に入れればいいというような烏滸がましい人間ではありません。将来の地球人口が100億人を突破するのであれば、その人たち全員が幸福になれる世界や社会を望んでいます。

なお、これに関しては、若い頃にこの考えに至っていたわけではないです。それなりに紆余曲折の人生があって到達した考えです。ですから、私の場合、「他人の不幸は蜜の味」などのような低次元の思考には全く興味がありません。

また、最後まで記事を読んだ人の中には、「これらにすべて当てはまらない人がいるのか」と疑問を抱く人も、もしかしたらいるかもしれません。しかし、少なくとも今の私はこれらすべてに全く当てはまらないはずです。だから私は、自分自身のことを可哀想な人や不幸な人とは微塵も考えていません。

今回は、現代社会において可哀想な人たちや不幸な人たちについて考えてみました。



その日やることがない人

私は朝起きた時にやることがない人は気の毒な人だと思っています。

大抵の人は、起床直後から仕事や家事、育児、雑用、アルバイト、パート、あるいは勉強などに追われ、忙しいからです。

ですが、休みの日になって、趣味や遊び、自分が大好きでやりたいことがない場合、人として相当やばいと思います。

これが、10代や20代の若者ならばまだ問題ないかもしれません。なぜなら、青年期のモラトリアムは

しかし、40歳以上にもなって休みの日にやることがない人は、自分の人生と真剣に向き合って来なかった可能性があります。

このような人たちの特徴は、その日暮らしをしており、暇人だということです。


 


他人の価値観で生きている人

100人の人間がいれば100通りの価値観があるはずです。これは1万人だろうが100万人になろうが、本来ならば不変のはずです。

しかし、自分に自信がない人は、他人の視線を気にして他人の価値観で生きようとします。

つまり、人は人、他人は他人、という基本的な考え方ができないのです。

断言しますが、自分の価値観で生きていない人は100%不幸になります。なぜなら、このようなタイプの人間は、いつも周りに振り回されるからです。

例えば、お金の使い方もそうです。

ある人が、身内や友人、会社の同僚などが高級マンションに住んだから自分もそれを購入しなければならないと判断したとしましょう。しかし、本来は買い物は、自分の身の丈に合ったレベルで行うべきです。

ところが、それらを他人に合わせてしまいますと、将来身を滅ぼすような選択をしてしまうことがあります。

このようなタイプの人間は、若い頃から自分の頭で物事を考えて来なかった人に多いようです。また、見栄や世間体を気にする人にも当てはまるようです。

自分の価値観を持つことは、18歳までに学ぶことです。しかしそれができないまま大人になりますと、不幸になることが多いようです。

他人のことが気になって仕方がない人

自分の価値観を持っていない人は、周りの言動が気になって気になって仕方がありません。そして、現実社会やネット社会で誹謗中傷や悪口、陰口を繰り返す典型的な俗人になってしまいます。

私はこれらのタイプの人間をチンパンジーと呼んでいますが(笑)、21世紀に入ってからもこのようなことが日常茶飯事ならば、その人は未開人と言われても仕方がないと思います。

正直に言いますが、これからの時代はこのような人たちは確実に淘汰されます。厳しい時代は誰もが自分自身を高め続ける人しか生き残れないのです。仮に一族が繁栄することがあっても、それは仮初(かりそめ)に過ぎないことです。

不平不満ばかりで生きている人

今の私には不平や不満はありません。それは、自分の価値観で生きているからです。そして、他人のことが全く気にならないからです。さらに、自分の成長と人類の幸福にしか興味関心がないからです。

不平不満ばかりで生きている人は、エゴの固まりです。要するに、自分さえ良ければそれでいいのです。

果たしてこのような人が幸福になれるでしょうか。私はそうは思いません。

自分自身が成功したり幸福になったりすることを目指すことは大切です。しかし、それが自分の欲やエゴを満たすためだけのものであれば、何事もうまく行きません。

「自分の行っていることがどこかの誰かに間接であれ直接であれ役に立つ」という基本姿勢がないと、その不平不満だらけの人生を変えることは永久できないと思われます。

なお、過去記事で何度も書いている「お金を使う人は偉い」という話ですが、お金を使えば他の誰かが潤うのです。ですから、消費者は、直接的にも間接的にも世の中の役に立っているのです。

余談ですが、日本人の中にも断捨離という考え方が浸透しつつあります。この考え方は立派だと思います。しかし、日本国内で1億人以上がこの生き方を選択しますと、大不況が起こり中小零細企業の多くは倒産します。ですから、何事も程々がいいと思います。

物欲が強い人 断捨離

私たち人間には欲があります。三大欲求である「食欲、睡眠欲、性欲」の他に、財欲、名誉欲、生存欲、怠惰欲、感楽欲、 承認欲などがあります。

そして、可哀想な人や不幸になる人の中には、異常に物欲が強い人がいます。

私は程々の物欲ならば誰にでもあると考えています。しかし、異常な物欲や見栄や世間体の意識が根底にある物欲は、その人の身を滅ぼす元凶になりやすいと思っています。

このような人たちは、物がないと心が満たされないのかもしれません。ということはやはり、可哀想な人たちや不幸な人たちと言えます。

それに対して、物への執着がない人、つまり、先ほど取り上げた断捨離ができる人たちは、それとは真逆の幸福な人たちと言えるのではないでしょうか。

ここからは余談です。

私が良く知っている将棋のプロが、私の年齢ぐらいの時に身辺整理を始めました。その一番の理由は、自分の父親が自分の年齢ぐらいで亡くなったからだそうです。

しかし、私はこの考えには共感できませんでした。30年も異なれば、社会のおける栄養状態や健康管理のレベルは数段上昇します。ですから、自分の祖父母や両親の寿命と自分のそれとを一緒くたにすることは良くないと思うのです。

ちなみに、今の私は、130歳以上まで生きる予定です(笑笑笑)。私の母方の曾祖父は90代後半まで生きました。そしてその娘である私の祖母は現在103歳です。ということは、母親は110歳以上、私は120歳以上生きても不思議ではないです。

ですから、私の身辺整理は、90歳や100歳を超えてから行う予定です(笑笑笑)。それまで、このnoteが残っているといいですね。もちろん、それを心から祈っております。

超多忙な人 あとで後悔しない人は別

現代日本人は多忙です。睡眠時間を削ってまで働いている人も多いです。

そのこと自体は否定しません。しかし、3年後や5年後、あるいは10年後や30年後に自分の人生を振り返った時に、その多忙さを後悔しない人生を送ってほしいものです。

あまりにも多忙過ぎると、人は中高年になってから後悔することがあります。特に、定年退職後に時間を持て余すようになると、自分の過去の人生を後悔する男性が多いようです。それは統計にも鮮明に表れていて、自〇に繋がることもあるようです。

ですから、時にはそれまでの人生を振り返って、「自分の人生はこのままでいいのか」と内省することも大切だと思われます。

笑わない人

私たちは自分の人生を楽しむために生まれてきました。それは自分たちの笑いや笑顔の回数とも深く関係があるでしょう。

私自身も過去を振り返った時に、40歳よりも前は笑ったり爆笑したりする機会が少なかったです。

これは私自身の選択や生き方にも問題があったわけですが、そのことに気が付いた今の50代は、笑ったり爆笑したり機会が非常に多くなりました。

それゆえ、中年後半になってからの私の方が若い頃の自分よりずっと幸福であると実感しています。

ストレスを発散できない人

若い頃に私が幸福でなかった理由の一つは、ストレスを上手に発散できなかったことです。

このストレスは非常に厄介で、発散できないと内面に溜まり続けます。

そのため、その欲求不満が食欲や物欲などの方へ向かってしまいます。私の場合それが食欲へ向かってしまい、20年前の私は今より25キログラムも体重が多かったです。

なお、ストレスは体温を下げます。それが、あらゆる病気の原因になりますので、やはり適度なストレス発散は健康上も大切なことなのです。

短時間で切り替えができない人

現在この気持ちの切り替えができない人は、たった今からできるようにしましょう。

やり方は簡単です。自分の感情に不快な感情や不安な気持ちがあった時に、他のことに取り組めばいいのです。最初の頃は大好きなことをしましょう。それがなければ、誰かと会話を楽しむこともいいのではないでしょうか。そうすればすぐに気持ちの切り替えができます。

不幸な人や可哀想な人は、同じことで悩み続けます。そして多くの場合、その悩みの対象は自分の力ではどうにもならないことです。

自力ではどうにもならないことをグダグダ考えても時間の無駄です。そんなことを数年間、数十年間と継続している人は、当然ながら無能なのです。

無能は人は、人生を台無しにします。だから、不幸な人と言えるのです。

傲慢横柄な人

過去記事で何度も取り上げていますので当記事では省略します。

マウントを取る人

過去記事で何度も取り上げていますので当記事では省略します。

思い込みが激しい人

昔、私の部下で絶世の美女がいました。その女性はアルバイトで20代前半だったのですが、あまりにも思い込みが激しくてこちらも辟易してしまいました。

その思い込みとは、彼女の身体に対する間違った劣等感でした。その劣等感は、いわゆる貧〇でした。要するに、胸の辺りの肉付きが非常に悪かったのです。

しかし、男性で女性の胸の大きさを気にする人は、極一部です。私の親しい友人たちには一人もいませんでした。

このようなタイプの人たちは、アニメや漫画、あるいはマスコミやマスメディアの情報の影響を受けすぎているのです。

そして、それらの情報が唯一無二の真実だと思い込んでいるのです。

人は誰もが正々堂々と胸を張って生きてもいいのです。外見など関係ありません。

劣等感で悩み続ける人

人には誰でも劣等意識や劣等感はあるものです。しかし、そのことを1日中考えている人や年がら年中思い悩んでいる人は不幸です。

確かに子どもの頃は残酷で、自分が気にしていることを一々指摘したりそのことを悪口を言ったりする人はいます。でも、大人になって環境が良くなれば、他人の劣等感に土足で踏み込んでくる人はほとんどいなくなります。

私もブラック企業にいたのでそういう人は何割かいましたが、そういう人に限って仕事ができないので、すぐに退職して行ったものです。

他人のことが気になって気になって仕方がない人

周りの支配から抜け出せない人

18歳以上の大人になってから自分の悪い環境を変えられない人は、誰かの支配や固定観念に縛られていることが多いです。

誰かに縛られた人生は楽しいのでしょうか。私にはそうは思えません。人間以外のあらゆる動物、特に哺乳類を観察していますと、周りから支配されている動物を見たことがありません。しかし不思議なことに、私たち人間の一部にはその支配欲があるのです。でも、決して支配される側に回ってはいけません。特に、大人になってからは、そのような環境から逃げたり抜け出したりしなければなりません。

ある女性が両親から風俗で働くことを強制されていました。しかし、本人はそのことが嫌いなのです。私は仕事に対する差別や偏見はありません。でも、本人が嫌がっていることをその親が強制することは間違っていると思います。この場合の女性は、やはり両親に支配されているのです。そのことに早く気が付いて、早期に両親から離れることが大切です。最悪なことに、彼女が風俗で稼いだお金はすべて両親に巻き上げられています。

周りを支配しようとする人

経験上、経営者や元経営者にこのタイプの人間が多かったようです。ですが、支配されている側がからしますと、それが心地よくない場合が多いです。そのため、支配者から逃げ出す人がほとんどです。

私の身近にもこれに該当する人がいましたが、正直なところ、トラブルメーカーでした。そして、不幸率100%でした。

過去記事で何度も取り上げた例の後輩もまさにこのタイプで、嫁さんと子どもにも逃げられていますから、その支配欲は余程のことだったのでしょう。

洗脳されている人

過去記事で何度も書いたように、資本主義社会は利権社会です。そして、その利権社会は洗脳社会とも言えます。

現代の日本人はネット社会に突入してい、その洗脳が徐々に解け始めているようです。

その例として、テレビ離れや新聞離れを挙げることができます。マスコミやマスメディアは、国民の洗脳のために使われてきました。ここから離れる国民が増えてきたということは、洗脳から解き放たれた人たちが増えて来ている証拠です。

私は高校と卒業と同時にほとんどテレビを観る機会がありませんでした。そのため、現実社会と「テレビや新聞」とのギャップをじかに感じながら生きてきました。その結果、若い頃にその洗脳が解けていたようです。

なお、大学生時代の大量の読書も私に好影響をもたらしくれたと確信しています。また、私は社会通念や世間の常識を10代の頃から疑っていました。当時からの問題意識と疑問力のおかげで、今の私の幸福感や幸福観できていることは言うまでもありません。

最後に 今すぐに意識を変えること

今日の記事を読んで複数の大見出しが読者の皆さんに該当している場合、その裁量の対策は「今すぐに意識を変えること」です。今すぐにです。

人の人生は、その人の思いや気持ち次第で、すぐに変えることができます。不幸な人や可哀想な人は、この意識や思いが善良ではありません。

私はたまに女性から尋ねられます。「どのような女性がタイプですか?」と。その際に答えていることがこれです。

「善良な女性が好きです💛🐼」と。

善良な思いや意識を持っている人は、悪意のある人々を遠ざけます。そして、不幸にはなりにくいです。

法律に反する人は逮捕されたりそれなりの処罰を受けたりします。しかし、法律に抵触しないような悪いことは、法が介入することはできません。

ですから、そのような悪意を持った人々が身近にいますと、人間関係が非常に面倒なのです。

可哀想な人や不幸な人になりたくなければ、自分自身がまずは善良な人になることです。意識と思いを善良にすれば、大見出しのような問題は短期間で解決できるようになります。

少なくとも私はそのように行動して来て、幸福を実感できています。

なお、私の文章から、悪意を感じる人は皆無だと思われます。文章は怖いです。なぜなら、その人の内面の意識や思いも容易に伝わるからです。

<今日の3行日記>

大好きな春の季節がやってきました。そして、今日の気温は初夏を思わせるほど高いです。現時点では来週の日曜日まではこの高い気温が続くことがわかっています。

イラスト素材:パンダ10 本を読むパンダ

今日のパンダ🐼イラストは何となく私に似ているかもしれません(笑)。
笑顔がかわいいですし、頬っぺたのピンクも素敵です。

今日の記事はここまでです。
文字数は6,300字を超えてしまいました。
いつも最後までご覧いただきありがとうございます。




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