結局のところ、他人は他人で自分は自分、他人と比べても虚しいだけ

今までの経験で育てた能力のおかげもあって「練習しても、描き続けても一向に上手くならない」私はそんな悩みを抱えずに済んでいる

こういうと自慢や自信過剰みたいに聞こえてしまうかもしれないけど、技術以外の問題に上手く折り合いをつけられるようになって、情熱を持って楽しみながら頑張れるようになれば、自分の絵の技術はきちんと伸びて、ある程度の所までは上達していけるだろうという自信もあるんだ

ただ、その”技術以外の問題”がめちゃくちゃ難しい。もちろん技術の問題はこれから山程出てくるだろうけど、そこに至る前に、今の問題に多少なりとも折り合いをつけないと前に進める気がしないから、悩ましい

でも、私の抱えてる”問題”ってむしろ大抵の人が一度はぶつかるようなありふれた物。ただ、それをなおざりにして突き進む事は可能なので、それを無視して突き進んでる人と、私みたいにちゃんと向き合おうして悩む人との差が出てるだけなんだと、解ってはいるんだよなぁ


”前提”も”目的”も大きく違うのに、一緒くたに比較して劣等感を抱くのは無意味だよ

けど、これが解っているか、いないかは大きな差で、”前提条件”と”向かう方向が異なっている事(目的の違い)”を理解しないまま、他者と自分を比較し、本当はそうでもないのに、自分が劣ってると勘違いして苦しくなる事は山程あるわけで

今までの記事で書いたようなSNSでいいねやフォロワー数等の数を必死で増やそうとする人、空っぽな自分を認められなくて価値観を統一して優劣を定めてそれに近づこうと必死で振る舞う人なんかはまさにそうで、素直に表面だけ見て判断すると、充実してて、幸せそうで、羨ましく思うだろうけど、その裏にある心理や、長い目で見てどうなるかを考えると、むしろその逆でその人達は今幸せじゃないし、逆に自分を不幸にしにいってるようにすら思う。

普通は、”自分で自分を不幸にしている人”に対して羨ましいと思ったり、自分と比較して劣等感を抱くことなんでないよね

何かを伝えたいから文章を書く、自分が表現したいものを見てもらって、受け止めてもらえたら、誰かの心を動かせたらと思って作品をあげる人と、自分と向き合うことが出来なくて、それ故の自信の無さを埋めあわせたり、楽して欲求を満たそうと、いいね稼ぎに奔走したり、偽りの自分を演出する人と、前提条件と目的が思いっきり違いますよね

どちらにも”満たされたい想い”はあるけど、前者なら「伝えたい、表現したい、それを誰かに受け止めてもらいたい欲求」で後者なら「自分と向き合わずに、自分への自信の無さや劣等感を埋めて快楽を得たい欲求」
同じ欲求でも全然違う、当然向かう方向もするべき事も、それにかかる期間や労力も大きく異なる、前提条件が異なればこれだけ色々違うのに、それを知らずに比較して、正しい比較結果が出るわけない、なのに成り立たない比較の結果を見て、不要な劣等感や焦りや嫉妬を抱くなんて、ムダどころかマイナスでしかない

めちゃくちゃ平たくまとめると
他人と自分を比較して落ち込むことなんて誰でもあるけど、前提が違うものを比較しても正しい比較は出来ないんだから、そう見えてるだけで実際は自分の方がが劣っているわけじゃない事が多く、不要な劣等感を抱えがち

そして他人の表面的な進捗状況と比較して、自分のやり方があってるのか不安になることも多いけど、その前に相手と自分にある”前提”と”目的”が合ってるか確認すべきだという事ですね

「こんな絵を描きたいんだ!」って物が見つからない

話を戻して、具体的な悩みを言うと

今練習している絵が、描きたい絵でもなければ、好きな絵でもない、むしろ描く絵のジャンルすら解っていない事

自分が”表現できる人”になれるのか、イメージ力や感性が自分に備わってるか不安、どうやって育てれば良いのかわからない

自分の創作で他人の心を動かせるような力が自分にあるのか自信がない

自分が表現したいものを見つけられるか自信がない、それを表現できる技術を身につけられる自信もない

一応他にもあるんだけど、主なのはここらへんかな
今の自分には表現したいこと、具体的に描きたいものはないけど”何かを表現する”人を目指してみたい

ただ、それだけでどんな絵が描きたいか、はめちゃくちゃふわふわしてる、だってジャンルすら決まってないんだからどうしようもない

今コミックイラストの練習してるのだって好きなゲームや漫画のキャラを描けたら嬉しいしモチベーション保てそうと思った結果で、そこにこだわってもいないのだもの

大人の塗り絵をしてて、人物塗るのが一番楽しいし、写実的な花や風景の絵を塗るのがあんまり楽しいと思わなかったから、どうせ描くなら人物だなぁって思ってる位

イラストなら、キラキラ、はっきりな絵よりふんわりしたイラストが好きでイラストレーターのミギーさんとか漫画家のこがわみさきさんの絵が好き、ライトノベルなどの挿絵だったら竹岡美穂さんとか、見かけるとつい手に取ってしまっていた

デフォルメキャラも大好きで、目が大きくて可愛さ全開なデフォルメもいいけど、ゆるいデフォルメやちょこっと添えるようなシンプルでゆる可愛いイラストも好き

自分の中のゆるかわフィギュアのある意味最高峰
自画自賛ではあるけど、自分の好みどストライクで市販されてたら喜んで買う、とすら思ってる

と自分の好みはあるけど、自分の今描いてる絵はぜんぜん違う、とはいえ面長のイケメンを描くことがムダになるとは思わない、ものには順序がある、でも自分の好きなものを描いていない、好きな色塗りもしていないのはフラストレーション溜まるし、余計なことを考えてしまう原因になるんだろうなぁとは思う

でも、ミギーさんやこがわみさきさんのような絵が私の描きたい絵柄だ…とは思ってないから、自分が描きたいのはこれだ!って絵をまだ自分が見つけられない、しかもそれをどうやって見つけられるか分からないし、探しても糸口が見つけられないのだから八方塞がりである、多分自分が模倣が苦手なのはそういう「◯◯さんのような絵が描きたい」が無いからってのもあるんだろうなぁ

こんな自分が誰かの心を動かしたり、何かを伝えられることが出来るのか全く自信がない

こういう悩みはきっと創作する上で誰でもぶち当たる壁ででも、記事の序盤で言った通り”なおざりにして突き進む”事もできる、実際そういう人が多くて、ネットではそんな人達が成功をおさめてるようにみえてしまうからモヤモヤして疲れるんだと思う、だからそのモヤモヤがムダかどうか判断するために”前提”と”目的”の違いと、何をもって成功とするのかの定義などを考えてみようとした訳です

自分はやっぱり”表現できる人”を目指したい
そのためには色んな物を見て感性や自分なりの視点を育てる事や、表現したいものを描くための実力が必要で、そもそも表現したい何かを見つけ、伝えるための手段を模索する事自体が大変だし、短期間で身につくものじゃい

一方、技術以外の自分と向き合ったりするような問題を無視してる場合の絵を描く目的って絵を描くことで欲求を満たしたいという場合がほとんどだと思う

絵を描いて他人に褒められたり、ちやほやされたい、てっとり早く評価される絵を描いて称賛されたい、そうなると必要になるのは自分の足りない技術を誤魔化したり、体裁を整え実力以上にみせる方法、トレンドをおさえ、より需要のある絵を描く事

そのためには描きやすい美少女を、人気のあるけど職人技ではない需要のある描き方で描いて、立体や輪郭線(形)の捉え方や描き方をきちんと学び実力を身につけるより、デジタルツールで体裁整え、キレイに魅せることに心血を注ぐのがてっとり早い

それで成功してるように見えても、やっぱり自分がそうしたらと想像すると、物凄く惨めで、例えイラストレーターとしてお金を稼げたとしても自分を誇ることができないと思ってしまう

それでも、モヤモヤした気持ちを抱えてしまうのは、SNSで承認欲求が強い人にあった時にダメージを受けてしまう時と同じで、自分が頑張っても報われなかったらという不安があるからなんだろうな

成功してるように見えても、惨めだと思うやり方を真似したいとも思わないけど、それでも失敗して偽りの成功すら手に入れられなかったら、もっと惨めになるんじゃないか、ってそういう思いはきっと誰でも抱くもので、そうそう捨てられなくて、それはずっと続いていく自分との戦いなんだろうと思う

「本当は自分の方が凄いから」なんて気持ち持ってて当たり前

とある方の記事を読んでて、その方の相方さんの指摘が的を得すぎていて、この人凄いなと素直に思えたというか、そういう事をしてくれる人がいるって凄く幸せなことだよなと思ったと言いますか

他人を褒めながらも「私は他人より優れてるし、なんなら1番だと思ってる」そういう気持ち、創作を人に発表したり、SNSやブログ等で何かを発信してる人間なら、持ってて当たり前の感情だと思う

というか私は思いっきりそういう気持ち持ってる自覚あるもの、そして皆大なり小なりそういう気持ち持ってるもんでしょって思ってるもの

記事の冒頭で「自慢みたいに聞こえてしまうだろうけど」という文があるけど、そもそも自分が多少なりとも優越を感じてないとそんな言葉出てこない

話と伝えたい内容のの都合上、自分が練習嫌いで、全然練習してない事実を記事に書いているけど、自分より遥かに時間や労力をかけて練習してる人より上手くなってる事に優越を感じてないなんてあるわけないじゃない

イラスト練習に関する記事読んで「この人はなかなか上達しないだろうなぁ…とはいえ、誰かが指摘しても耳を傾けることはないだろうし、ご愁傷さまです」とかちょっと下に見たりしてるよ、私めっちゃ性格悪いから

練習全然出来てないくせに、ちゃんとそれなりに上達できてる私凄くね?とかそんな気持ち普通にあるよ

でもさ、自分より下手な人と仲良くして自分の引き立て役にしたり、自分の推しや作品の人気度でマウントとったり、自分より下の人間を見下すことで自分の価値を見出して、自分を盛ってアピールする行為ってさ、結局自分を惨めにするだけなく、色んな物を犠牲にするからやらないだけだし

そういう気持ちが自分にとってプラスになるものを与えてくれないと解っているから、本当は相手を下に見てる自分の方が見る目がないしと思い、本当は自分が思ってるほど自分がすごい人間じゃないと解ってると自分に言い聞かせて、そういう気持ちを抱くたび、自分は不安なんだなぁって思うようにしている

実際問題、自分と関わり合いになることのないSNSやネットで見かける人が、本当に成功してようが、虚構であろうがどうでもいい

でも、それを見て負の感情を抱えてしまうのは、自分が不安を抱いてるから、自分の中の何かが脅かされてるように感じるから

自分は思ってるほど良い人間じゃない、自分のダメさを受け入れたほうが、生きていくのは楽だし、それだけじゃなく自己肯定感も上がるらしい

自己肯定感が低い人ほど、自分に対する理想が高く、現実とのギャップに苦しむんだそうだ、そりゃそうだよなぁ…

そりゃぁ自分が凄い絵描きになれる自信なんてない、むしろ私は自分の事を絵師だなんていう日は一生来ないと思ってる、別にプロじゃないなら”お絵かき大好きっ子”でいいやん
、絵師とかなんか偉そうな響きで苦手なんだ

まぁ自分はまだ”絵描き”と呼べるレベルでもないので”お絵描きひよこ”だと思っている

まだまだ先は長いだろうし、正直うまく行く自信もないけど、自分の気持ちと上手く付き合いながら頑張るしかないよなぁ…正直こういう記事を書かずに、その時間を絵の練習に充てられるようになりたいです

まぁ私の記事を読んで「こういう考えもあるのか、なんか気が楽になった」と思えて貰える人がいたら価値があるとは思って書いてはいるけど、結局は自己満足だもんなぁ
まぁやれることやるしかないね

とはいえ、結局自分のやりたいことを出来てないのも不安やモチベーションの無さの原因になってるので、定期的に水彩絵の具で色遊びしたり、ゆるいイラストを描いたりすべきだなとは思う

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?