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奇跡のコースを学んでいます。INFP。 欲しいものリスト https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/2ANSHCQ3XO2SM?ref_=wl_share 前ブログ https://ratchet0512.hatenablog.com/

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  • 不思議体験ズ

    日常の世界観を覆す体験たち。

  • 勉強会

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最近の記事

無意識の拒絶

「真理を与えることができるグルが少なすぎるのです」という質問者に答えて、 マハラジが 「グルの恩寵は常に差し出されているし、 与える準備は常にある。 受け取る準備ができている人の方が少ないのだ」 とあったけど、 確かに、 日常で感じる通奏低音のような、 微妙な退屈感とか欠乏感、 なんとも言えない気だるさとか不毛感とか、 寝起きの意気消沈したような気分のとき、 「すでに何かが足りない、 心を満たすものが与えられてない」 というか、 渇いた砂漠にいるような気分で、 「幸せがない

    • 旅が終わって

      関西へのガイダンス旅行が終わった。 いろいろあったけど、 ひとつ気づいたのは、 旅行に行ったりいろいろあったこととか、 旅行に行く仲間がいるとか、 「アピールしたい」という気持ちが上がって来たこと。 見返したい、みたいな感じか。 自分がそれなりにうまくやっている、 みたいなことをわからせたいみたいな。 今思うと、やっぱり、 今すでに、ありのままの自分が 何か足りない、上手くいってない、 下のポジション、比較的に無価値、 みたいな感覚があって、 その感覚を、 「ガイダンス旅

      • 権威の投影

        リビングミラクルズで、 教師役の人がファンクションか何かで誰かに怒ったとかで、 その怒りを受けた人が、 「教師のくせに怒るのか!」 と怒った、という話があった。 自分も同じ裁きがあった。 教師とか、先輩とか、 アドバイスやサポートを与える立場の人は、 怒るべきではない、 なぜなら、 なんらかの権威というかパワーがあって、 こちらは信頼して、 無防備に心を開くわけだから、 その教師が怒ったら、 怒られた人は傷つく、 という。 親もそうだけど、 「パワーがある立場だから、 攻

        • かわいそうな目

          かわいそうな人、惨めな存在、 分離した欠乏した存在、として見られることに 屈辱を感じる、みたいなのがあった。 この場合は孤独とか喜びをもたらすものがない、みたいな感じだった。 川上さんが中学生だった頃に お父さんが亡くなった時、 1番辛かったのは周りの大人たちから かわいそうな目で見られることだった、 と話していて、 コースでは偽り共感とあるけど、 確かにこれはある意味では 攻撃なのかもしれない。 自分が誰かをかわいそうな存在として見ることもあるけど、 無意識に、自分で

        無意識の拒絶

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        記事

          瓦そばと権威闘争

          自分の思いつきというか発言で ガイダンス旅行先で瓦そばを作ろうかという流れになり、 山口県では瓦そばが家庭料理なんで、 母が作り方を実際に教えてくれることになった。 ずいぶん遅れた「お母さんといっしょ」である。 母はちょっと厳しい料理長みたいな感じになり、 キビキビと指示をくれるんだけど、 自分の中で、 何か、 気分がどんどん落ちていく感覚だった。 母が何度も何度も作ってくれていたにもかかわらず、 自分はそこから何も学んでなかったんだな、 とか、 ろくに作り方もわからない

          瓦そばと権威闘争

          解釈の問題

          「太ったね」と言われたら痛みを感じるけども、 体重を増やしたい力士だったら、 そう言われて嬉しいのかもしれない。 自分は男なんで身長がもうちょい欲しいけど、 身長が高い女性はコンプレックスと言うし、 やっぱり無意識に受け入れた思考というか価値観なのか。

          解釈の問題

          痛み

          前、祖母の家に親戚が集まった時、 祖母は自分について、 「豊かな家庭で育ったけぇ」 と言った。 つまり、 時代や家庭に甘やかされて育ったから、 働けない軟弱で弱い人間になった、 というニュアンスなんだけど、 これを祖母が言った時、 痛みを感じた。 祖母は他にも、 「男は泣いちゃいけん、 そんなんやからダメなんよ」 とも言ったけど、 その時も、 自分は強い痛みを感じた。 この痛みの感覚は、 状況のせいではなく、 自分の中にある無意識の罪悪感や信念が 原因なんだろうか? 祖

          計画しない怖さ

          前回の記事とも内容がつながってるけど、 シェア会でも勉強会でも、 自分が話す時は、 必ずある程度、何を話すか、 頭を巡らせて考えておかないと、 いまだに落ち着かなかい。 「これとこれを話そう」と 計画しておかないと、 いざ話す時になって、 何も思い浮かばないで、 沈黙が流れるのが怖い。 なるほど、恐怖から計画していたんだな。 そのまんま何も話せなかったらどうしようとか、 結局その場で焦って考えたり思い出したりするなら、 あらかじめ考えていた方がいいと。 でも、デイビッド

          計画しない怖さ

          何もない怖さ

          ケネスとナナの動画でケネスが話していた、 旅をする中で、 次の具体的なガイダンスとか、 何かやる感じが来ない時、 ただ空っぽで静かに待っている時、 無意識の罪悪感が上がって来て、 「なんでもいいから早くガイダンスをくれ!」 みたいな感じになると。 でも、旅の目的は正しく具体的にガイダンスを聞くことではなくて、 むしろその無意識の恐怖とか焦りを 浮かび上がらせることだと。 確かに、 何もやらないでただ静かにしていると、 なんか不安になる。 何かが間違っているような。 何か、

          何もない怖さ

          欠乏感が欲しい

          友人からの言葉で気づいた。 なんでもいいから、 とにかく、何かが足りてない状態がないとだめ、 みたいな感じ。 自分では、その対象を欲しいと思って、 その対象から幸せや満足が来るとすっかり思いこんでるから、 まるで気づかないけど、 実際には、無意識には、 何かが足りない  状態を維持したいと思ってる、 確かにそんな感じがした。 それによって、不足はないという事実から 目を背けていたいんだろうか。

          欠乏感が欲しい

          昭和漫画とゴジラマイナスワン

          山田玲司が「昭和の漫画で、 俺たちはカッコいい男ってこういうものだって 見せられて育った」 と言ってて、 なるほどと思いつつ、 前から思ってたのは、 「昔の漫画は特にそうだけど、 男の主人公は強くて頼りになるカッコいいキャラとして描く一方、 女の子が主人公のアニメは等身大というか、 ありのままのリアル寄りな女の子」 な感じがしてて、 それがちょっと不思議だった。 「わたしたちは、これが理想の女だって言うのを漫画で見せられて育った」 って言う人はあまり見ない気がする。 ハイ

          昭和漫画とゴジラマイナスワン

          『オトナ帝国』と、日常への恐怖

          クレヨンしんちゃんについて考えていて、 思い出して、 なるほどと気づいたこと。 いつかどこか、 岡田斗司夫とかで確か見聞きしたことがきっかけで感じたこと。 普段はしんのすけが尻を出したり オトナたちの痛いところを突くことを言ったりして、 「ルールに縛られない、 自由気ままに生きるしんのすけが、 オトナたちの暗黙の了解とか ルール・常識からはみ出して、一本とる」 ことに読者が痛快さを感じるんだけど、 『オトナ帝国』ではこの図が逆になっていて、 いつもはしんのすけに 一本取ら

          『オトナ帝国』と、日常への恐怖

          自分は使われない

          デイビッドたちとかのりこさんたちとか、 ヘレンやビルたちの話を聞いていて、 「あの人たちは聖霊に使われて、 ガイダンスも感じ取れるし、 霊感タイプだし、 なんかみんな集まって一緒にいるし、 彼らはそうやっていろいろ奇跡を体験しながら 生きられるけど、 俺は無理。 だから、彼らの近くに行って、 おこぼれをもらうじゃないけど、 物理的に彼らに参加しないと そういう体験はできないし、 そういう体験を彼らと積んだ後なら、 ガイダンスや奇跡を信頼して グループから離れても生きられるよう

          自分は使われない

          差別は錯覚?

          知人からもらった108さんの『I』という本で、 愛とか完全性でないものは錯覚、 とあって、 思い出した。 しばらく前、 3歳くらいの黒人の幼児と白人の幼児が、 保育園みたいなとこで 無邪気に抱き合って笑っている動画があった。 ただただ無邪気さと喜びだけがあった。 幼い無垢な心には 差別とか優劣の感覚はなくて、 自分の中にある差別の感覚は ただの錯覚なのかもな、 と思った。 FBを見ていても、 動画とか見ていても、 「日本人より白人の方が見た目が美しい」 とか、 なんか日本人

          差別は錯覚?

          プロレスの輝き

          しばらく前、 昭和〜平成初期プロレスの面白さにハマった時期があった。 きっかけは最近流行っていた長州力で、 もともとプロレスには興味はなかったんだけど、 昭和のレスラーたちの逸話や歴史、 ドラマには、 なんとも言えない独特の魅力があった。 どうも、ほかの格闘技みたいに 勝ち負けを競っているわけじゃないし、 かと言って全て予定調和でもなく、 ハプニングや予想外なこともたくさんある、 妙にロマンというか、ドラマチックな、 男たちが見果てぬ夢──”真の強さとは”を追った足跡という感

          プロレスの輝き

          恥を植え付けられたみたいな信念

          『防衛なき自己』スーザン・テサンガ著 を読んでいて、かなり感情的に反応した部分があった。 怒り、その下に被害者意識、 傷ついた感じか。 両親との関係で子どもが感じること、 みたいなことで 「愛を与えようとする方の親は弱いように見えて、 愛を与えようとしないけどパワーとかコントロール、怒り、 超然さのマスクをかぶっている方の親は 強く頼りになるように見えるし、 その愛を与えない方からの愛を欲しいと思うから 希少でなかなか与えられない条件つきの愛で 相手をコントロールできるから

          恥を植え付けられたみたいな信念