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瓦そばと権威闘争

自分の思いつきというか発言で
ガイダンス旅行先で瓦そばを作ろうかという流れになり、
山口県では瓦そばが家庭料理なんで、
母が作り方を実際に教えてくれることになった。
ずいぶん遅れた「お母さんといっしょ」である。

母はちょっと厳しい料理長みたいな感じになり、
キビキビと指示をくれるんだけど、
自分の中で、
何か、
気分がどんどん落ちていく感覚だった。

母が何度も何度も作ってくれていたにもかかわらず、
自分はそこから何も学んでなかったんだな、
とか、
ろくに作り方もわからない自分に
情けなさ、不甲斐なさ、無力感、
無能感、惨めさ、
英語で言うhelplessとかinadequacy
がもわ〜っと全身に充満して、
体も心も重くなった。

今思うとやっぱり、
無知で無力で、ダメな情け無い自分、
という感覚だから
微妙にジャッジとかはあったんだろうけど、
なんか、
料理のできなさ、
料理を母や妹に任せっきりだった自分への
自己嫌悪みたいな感じもあったか。

灰色の雲の中にいる感じで、
体が重かった。

そんなどんよりした重たい気分で作ったにもかかわらず、
母が主導したお陰か、
瓦そば自体は美味しかったのが
少し皮肉に感じた。

主婦の偉大さを感じるとともに、
料理自体の大変さとか、
皿洗いもそうだけど、
人間が生きるためには、
誰かがこれをやらなくてはいけないのか、
なんて人生って重いんだろう、
と岩を背負うシジフォスの気分だった。

母が教えてくれたのは確かにありがたかったけども、
幸せな気分というより、
最近地球にホームステイした宇宙人が
地球人の生き方を教えられて、
全然うまくできずしっくりこず、
全てがズレて不協和音を奏でている、
みたいな感じだった。

料理は去年ぐらいからやらせてもらったけども、
自分には人間として生きるのは向いてないというのが、
やればやるほどそれが
とことん骨身に沁みて分かってしまうというか、
そんな感じがした。

瓦そばにおける最難関の錦糸卵も、
なんとか形にはなりそうだけど、
当日はどうなるやらわからない。
やっぱり、
なるべく上手くやりたいという気持ちはあるけど、
あんまり楽しくないし、
8割くらいは、
不安とか、
疲れるからもうやりたくないのが正直なところでもある。
でも、旅行に行く人たちは半数が
瓦そば未体験だから、
みんなに食べさせてみたいという気持ちもあり、
楽しみさも2割はあるといったところ。

もやし、ネギ、錦糸卵、肉、をトッピングにするから、彩りもバランスもよく、
レモンの酸味が爽やかに効いて
かなり完成度の高い料理ではあるんだけど、
その鮮やかな色合いとは
好対照をなして、
自分の心には重たい灰黒色のどんよりした
澱のようなものが沈殿していた。
本番前に、闇が出るだけ出たので、
まだ良かったのかもしれない。

追記として、記事を書いたあと、
よく思い返すと、
母と無意識のうちに競争して、
主導権争いというか、
「教える方が権威があり、
パワーがあり、
上の存在で、
教えられる方は下の低い卑しい立場で、
権威者に依存・従属している」
みたいな感覚だと思った。
のりこさんもちょっと前に権威の問題の動画を上げていたけど、
同じだと思った。


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