SYK⭐️運命変える専門家

問題や悩みを無くしたり人生を変えるヒントになる情報を発信していきます。 苦しみに満ちた…

SYK⭐️運命変える専門家

問題や悩みを無くしたり人生を変えるヒントになる情報を発信していきます。 苦しみに満ちた人生がどうすることによって どうなりどう変わっていったのかということをありのまま綴っていこうと思います。

最近の記事

願いが叶えば幸せになれるの?仕事を辞めれば幸せになれるの?

願いが叶えば幸せになれると 思っていた。 だから私が不幸なのは願いが 叶わないからだと思っていた。 私が不幸なのは仕事のせいだと 思っていたから 仕事を辞めれば幸せになれると 思っていた。 でも今が幸せだと思えるようになったら 願いを叶えたいとは思わなくなっていて 今の仕事でも悪くはないかなと 思えるようになっていた。 私が叶えたいと思っていたことは 別に心から叶えたいと思っていた ことではなくて ただ幸せそうな人を見て同じような願いが 叶えば都合よく嫌な今から

    • 選択と幸せ。

      私にとって嫌なことややりたくないこと なんて分かりきっている。 それらが私の人生に影を落としている ということだって分かりきっている。 全部やめることができれば最高だな と思っている。 本当は私の不幸は腹立たしいと思っている 何かや誰かやお金のせいじゃないってことは 分かっている。 腹立たしいと思っている何かや誰かや 収入がどうであれ 嫌なものは嫌だし やりたくないものはやりたくないわけで それらを選び続けている限りは 私の心が平安になることなんてない。 自分の

      • 本当は答えなんていつだって明らかすぎるぐらいに明らかだ。

        本当は答えなんていつだって 明らかすぎるぐらいに明らかだ。 でもその答えが自分にとって "都合が悪い"と思う時 答えが"ない"ということにして 答えを探すために "悩む"とか"迷う" という行為を繰り返す。 大体探している答えって 認めてしまえば面倒くさいことを しなければいけなくなったり 変えなければならないところや 変わらなければならないところが 出てきたり 勇気を出して言ったりやったりしなければ ならない何かが出てきたりもするもの。 だから始めから答え

        • いつまでも現実が変わらなかったのはスイッチが入っていなかったから。

          まあいいや、と思っている時って 何も変わらない。 今の現実を変えたい変えたい、 と言いながらも 別に今困っているわけではないから 大して動かないし 今のままでもまあいいや、 と思っている。 だから面倒くさくない 無難にできることだけをやって 行動して現実を変えたつもりになる。 結局予想通り現実は何も変わらなくて いつも通りの現実を変えるための方法を 探し回る日々がまた始まっていく。 安定って、時には大きなリスクになる。 現実を変えたいとは思っているけれど 別に今

        願いが叶えば幸せになれるの?仕事を辞めれば幸せになれるの?

          悪者を排除して悪い部分を改善すれば幸せになれるの?

          言葉が荒々しい人 悪口を言う人 不機嫌を撒き散らす人、、、 明らかに絶対的に悪だとしか思えない ような何かや誰かに出会った時 即座に当たり前のように非難したり 裁いたりしていた。 でも本当は悪の絶対的な基準なんて どこにも無いわけで 明らかに絶対的に悪だとしか思えない ような時でさえそれは自分勝手な 決めつけでしかない。 本当は悪と決めつけた何かや誰かを 非難したり裁いたりすることなんて どうでもいいことだったのだ。 良い悪いの判断をすることを徹底的に やめていっ

          悪者を排除して悪い部分を改善すれば幸せになれるの?

          自分が選ぶべき選択肢を選ぶということ。

          考え過ぎて滅びの道を 歩むことになっていた。 絶対に失敗しない完璧な選択肢を 選びたいと思い選択肢を吟味し過ぎて 結局はどの選択肢も選べなくなっていた。 そして迷っている選択肢を眺めるだけの いつもと変わらない毎日が続いて 段々と憂鬱になっていった。 そりゃ始めから完璧な選択肢を選ぶことが できればいいとは思うけど どれだけ考えてもどれだけ選択肢を眺めても 自分にとっての完璧な選択肢が分かりやすく アピールしてくれるなんてことはない。 それに同じような選択肢でも選ぶ

          自分が選ぶべき選択肢を選ぶということ。

          やりたくないことと自信が無いこと。

          やりたくないことと自信が無いことは 必ずしも一致するとは限らない。 でもそこを勘違いしていた時には 本当はやりたいと思っていることを 自信が無いからという理由でやりたくない ことだと思い込んでしまっていた。 私がやりたくないと思っていたことは 本当はやりたくないことなのではなくて 自信が無いことだったのだ。 私は人に会いたくなかったのではなくて 自分に自信が無かっただけ。 だからこそ人に会わなくても済むようなこと ばかりをやっても全然発展しない。 それは私の個性には

          やりたくないことと自信が無いこと。

          虚しくてつまらない人生を変えていく道

          人生が虚しくてつまらないものだとしか 思えなくて毎日気分が悪いのは本当に 腹立たしいと思っている何かや誰かの せいなの? 正直に言ってその何かや誰かが変わろうが 私の虚しくてつまらない毎日は 変わらないだろう。 たまたま気に食わない何かや誰かが 私の日常の中に現れて気分が悪く なったことで 毎日が虚しくてつまらないことを その何かや誰かのせいにするように なっただけ。 その何かや誰かが現れる前から 私の毎日は虚しくてつまらないとしか 思えないものだった。 そんな毎日

          虚しくてつまらない人生を変えていく道

          日常や人生が変わったほんのちょっとしたこと。

          "ある"と"無い"の絶対的な 基準なんてない。 でも絶対的な基準があると 思い込んでいた時には 目の前にあるものを無いことにして 必要以上のものを求めたり 本当は今すぐにでもできることを 出来ないと思い込んだりする なんてことになっていた。 目の前に求めているものが あるにも関わらず それが"ある"の基準に 達していなければ 意識の上では"無い" ということになっていた。 目の前にあるものでその時は 十分だったわけで別に困っている わけでもなかったのに 無いか

          日常や人生が変わったほんのちょっとしたこと。

          嫌な現実を変えたいと思う時にするといいと思うこと。

          時計周りがうまくいって 発展拡大していく方向で 反時計周りが停滞し 衰退していく方向だとする。 反時計周りの渦の流れに乗ったままでは 何をやっても同じ向きの流れを 加速させることになるだけ。 今の現実が嫌だと思う時 当然現実を変えたいと思う。 でも "今の現実が嫌だから変えたい" という思いから動くと罠にハマってしまう。 "今の現実が嫌だから変えたい" という思いからとる行動は反時計周りの渦の 流れを加速させることにしかならないから。 だからこそ現実を変える

          嫌な現実を変えたいと思う時にするといいと思うこと。

          行動している割には驚くほどに現実が変わらなかった理由。

          叶えたいと思う願いがあって その願いを叶えるためにできることは 全部やり尽くしたと思う。 身体が疲れ果てるほどに できることはやり尽くした。 それなのに驚くほど現実は 何も変わらなかった。 その時思い知ったのだ。 今の自分なりのやり方では 限界があるのだ、ということに。 様々な工夫をして様々なことを学んで 物凄いエネルギーを投入したのに 現実が何も変わらなくて絶望した時に 初めて自分なりのやり方を見直していこうと 思うことができるようになった。 願いが叶うことを

          行動している割には驚くほどに現実が変わらなかった理由。

          お金と罪悪感。

          お金。 衣食住、生きていくのに最低限 必要なものになら使える。 でもあってもなくても困らないけれど あれば助かるものとか やってもやらなくても困らないけれど やってみたいと思うこと そんなものには使えない。 でも退屈で虚しい毎日を変えたいと思って たまに勇気を出してそんなものに使ってみる。 すると一瞬の喜びの後に もの凄い罪悪感が襲ってきて 何でもない誰かの言葉が 自分に対する攻撃のように思えてくる。 "私がお金を使ったものについては お願いだからもう触れない

          ずっと自分の価値や素晴らしさが分からなかった理由。

          怒りや悲しみを感じているような時に 自分が考えていることを観察してみると 自分に相当残酷な部分があることに気づく。 でもそんなものを認めてしまったら 自分がとんでもない悪人にでもなって 嫌われてしまい生きていけないような 気がするから "私には残酷さなんてない" と主張して自分の中に見た残酷さを 無かったことのようにする。 そして他人の中に残酷さを見た時 非難し裁いて "私の中には無いけどね" と言って安心しようとする。 大体非難したり裁いたりしている他人の 何

          ずっと自分の価値や素晴らしさが分からなかった理由。

          "自分を愛する"ということを馬鹿にできない理由。

          苦しいと思えるような状況が続いていて その状況を改善したいと思っていた。 でも何をしても生きる場所を変えてみても 状況は少しも改善されなかった。 それもそのはずだ。 口では "改善したい" "何とかしたい" とかって言っていたけれど 愛に飢えていた私は本音では "状況が改善されない方が都合が良い" と思っていたのだから。 状況が改善されない方がいつまでも 周りが私のことを気にかけてくれて 構ってくれる。 だからたとえ苦痛を感じるような状況 だったとしてもそ

          "自分を愛する"ということを馬鹿にできない理由。

          謙虚になるためにも遠慮や妥協するのはやめよう。

          遠慮することや妥協することって 謙虚なことだと思っていた。 誰かのことを思って遠慮して 誰かのことを思って妥協して そうやって何かを選択して 生きていたんだけれど 気づいたら謙虚とは程遠い存在に なっていた。 遠慮や妥協して本物の選択肢を 選ばないということは 本当は願っていない嘘の選択肢を 選ぶということ。 嘘の選択肢って、選ぶと必ず "これじゃないんだよな" "本当はあれの方がいいんだけど" といった思いが生じてきて 欠乏感を感じることになる。 本物の選

          謙虚になるためにも遠慮や妥協するのはやめよう。

          良い悪いの議論をやめれば人生が変わる。

          何かや誰かを良い悪いのどちらかに分類して 賞賛したり非難したりするなんて本当に 無意味で虚しいこと。 世界のあらゆる人やモノを良い悪いの たった2つのカテゴリーに分けて見ていたら 人やモノそのものが見えなくなってしまい 大切なものを見失ってしまう。 良いのか悪いのかを分かったつもりになって 議論しているつもりでも 思い込みやイメージに左右されている だけだったりするもの。 良いのか悪いのかを議論するのではなくて 人やモノそのものを見て自分の意見を 述べられるようにして

          良い悪いの議論をやめれば人生が変わる。