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全ての人を愛して全ての人に優しくしていたら幸せになれるの?

全ての人に優しくしなければならない
全ての人を愛さなければならない
人のために生きなければならない

そんなことを言われて育ったから誰かの
ことを嫌うことは悪いことだと思っていた。

いつも周りの人達に優しくして
笑顔を振りまいて

私には嫌いな人なんていなくて私は全ての
人のことを愛して大切にしているのだと
思っていた。

そしてそんな自分のことを善人だと思い込み
そんな自分にどこか酔いしれていた。

でも本当の私は腹の中には沢山の怒りを
抱えて大切にしていると思っていた周りの
人達のことを思い切り裁いていて

愛や優しさとは無縁の到底善人とは
言えないような存在だった。


でもある人のことを私は嫌っているのだ
ということを認めてしまったら

嫌っている誰かを無理矢理好きになろうと
してやっていた苦行から解放された。

自分自身に誰かを嫌う権利を
与えてやったら

嫌いな人に無理矢理優しさや笑顔を振りまい
たり嫌いな人のご機嫌取りをしたり嫌いな
人と無理矢理仲良くなろうとするなんていう
苦行のためではなくて

本音を言ったり本当にやりたいと思うことを
やったり好きな人達と過ごしたりすることに
エネルギーを使うことができるようになって

生きることが楽になり腹の中から
どんどん怒りが消え去っていった。

そうして自分の人生に集中することができる
ようになっていったら嫌っている誰かのこと
がどうでもよくなっていって

嫌いな人を心の中で非難し裁くのではなくて
ただ見つめて放っておけるようになった。

するとそのうち嫌っていた誰かに対しても
いつも通りの自分として他の人達に対する
のと同じように接することができるように
なり

無理矢理好きになろうとしていた時には
一向に良くならなかった関係性がいつの
間にか勝手に良くなっていた。


全ての人に優しくしようとか
全ての人を愛そうとか
人のために生きようとか

そんなことを考えて生きることをやめたら
むしろ周りの人達への愛が深まっていって

本当の意味で周りの人達に優しくすることが
できるようになっていったよ。

腹の中で怒りや裁きの思いを抱えながら
わざとらしい優しさや笑顔を振り撒くよりも

誰かのことを丸ごと認めてただ見つめて
放っておけるってこと

それこそが本当の愛や優しさに
繋がっていくんじゃないのかな。


憂鬱で不幸な毎日を幸せな毎日にするのに
嫌っている誰かを思い通りに変えようと
したり嫌っている誰かと無理矢理仲良く
なろうとしたり嫌っている誰かに気に入られ
ようとしたりする必要なんてなかったよ。

ただ本音を認めて自分自身を苦行から
解放してやるだけでよかったみたい。

ただそれだけで生きることが楽になって
毎日憂鬱になることもなくなっていって
幸福度が上がったよ。

毎日が憂鬱で不幸だとしか思えない時って
幸せがもの凄く複雑で難しいもののように
しか思えないけれど

本当は幸せっていつも目の前にあるもので
本当に簡単でシンプルなものなのだ。

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