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感謝して人助けをしていたら幸せになれるの?

ありがとうって言ったんだから
贈り物をしたんだから
手を貸してあげたんだから

私のことを幸せにしてよ!

そんなことを思っている自分に
気づいた時点で

感謝すること
贈り物をする
手を貸してあげること

をやめることにしている。

ありがとうと言う
贈り物をする
手を貸す

そんな行為によって滅ぼされることに
なってしまうから。

そんなことをして自分を幸せにする責任を
行為に丸投げしている暇があるのなら

ちゃんと本音を言って本当にやりたいと思う
ことをやって自分の幸せに責任を持てる
ようになろう。


ありがとうと言っても
贈り物をしても
手を貸しても

幸せになれなかったのは

それが本音でもなければ本当にやりたい
と思うことでもなかったから。

そんな生き方をしていたから

感謝の言葉を口にしない人や
お返しをくれない人や期待通りの反応を
返してくれない人に出会うたびに

腹が立って裁きたくなっていたのだ。


何かをすることや何かを言うことって
別に偉いことでも何でもないわけで

自己満足で自分が好きで
勝手にやるもの。

だから

感謝できない自分や
人助けをできない自分や
もらってばかりの自分を

責める必要なんてない。

大多数の人や偉人が"善い"と言っている
ような言葉や行動でさえ

それが本音や本当にやりたいと思うことじゃ
ないなら幸せにはなれないよ。

それは本当は欲しいと思っているものが
あるのに全く別のものを自分に与えて

"私のことを幸せにしてよ!"

って叫ぶなんてチグハグなことを
やっているようなものなのだから。

そんなことをしていたらそりゃ
愚痴や不平不満をこぼしたくもなるよ。

愚痴や不平不満の思いは
腹立たしいと思う他人じゃなくて

チグハグなことをやっている
自分自身にぶつけてやろう。


ちゃんと自分の幸せに責任を持って生きて
自分に本当に欲しいと思っているものを
与えていたら心が満たされるようになってきて

意図せずとも勝手に

ありがとうと言う
贈り物をする
手を貸す

なんてことをするように
なっているものだ。

それに自分の幸せに責任を持って
生きている時

ありがとうと言う
贈り物をする
手を貸す

そんな行為の結果としてどんなことが
起ころうともたとえ何も起こらなくても
別に気にならないもの。

それが本当の感謝するとか与えるとか
ために生きるってものなんじゃないかな。

でもあくまでも感謝するとか与えるとか
ために生きるとかって

別に偉いことでも何でもなくて
ただの自己満足の行為。

だからそんな行為に自分を幸せにする
責任を丸投げして行為に滅ぼされて
幸せを見失うのではなくて

ちゃんと本音を言って本当にやりたいと
思うことをやって自分の幸せに責任を
持てるようになって

さっさと幸せに
なっていこう。

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