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虚しくて絶望的な人生を変えて願いを叶えていくということ。

嫌だとしか思えない選択肢でさえも
その選択肢を選んだのは私自身。

あくまでも誰かに選ばされたのではなくて
私が選んでいるのだ。

誰も家族でさえも私に何らかの選択を
強制することなんてできないわけで

"私は嫌な選択肢を選ばされた被害者だ"

なんてのはただの勘違い。

人生に虚しさや絶望しか感じられないのは
いつまでも被害者をやめない私のせい。

いつだってどんな選択肢も
選びたい放題なのに

私が被害者の位置に収まってわざわざ
好ましくない選択肢を選んで私の人生を
虚しくて絶望的なものにしているだけ。

本当の黒幕は私自身。

本当は加害者なんて
どこにもいないわけで

腹立たしいと思っている加害者は私の人生に
対する虚しさや絶望とは関係ない。

私が被害者になって勝手に物語を
作り上げているだけ。

嫌なことは嫌です、やめてほしいことは
やめてください、できないことは無理です、
望みがあればこうしたいです、と言う

それをせずに被害者の位置に収まる

そんな自分の人生に対する無責任な態度が
虚しさや絶望を生み出しているだけだった。

被害者をやめない限りは何をやっても
被害者でしかいられないのだから

転職しても引っ越しても何かを買っても
特別に見える人に会っても特別な場所に
行っても虚しさや絶望は無くならない。

虚しさや絶望を何とかしたいと思うなら
まずは被害者をやめて物語の世界から
目を覚ましていこう。

転職とか引っ越しとかどこかに行くとか
誰かに会いに行くとか何かを
手に入れるとか、

それをやるなら被害者をやめて自分の人生に
責任をもてるようになってからにしよう。


被害者をやめて生きるって勇気がいる。

被害者をやめて生き始めると

被害者になることでずっと誤魔化して
放置してきた言わなければならないことや
やらなければならないことが沢山出てきて

臆病で弱い自分を思い知らされる。

そんな自分を思い知らされる度に
被害者に戻りたくなる。

でもそんな時に勇気を出して
本当に言うべきことを言って
本当にやるべきことをやる。

そうしてどんな時にも

"今言っていることは私の本音であって
今やっていることは私が選んでやっている
ことなのだ"

そう言えるような生き方をするのだ。

結局幸せになるとか願いを叶えるって
そういうこと。


まずは自分がバイキングのフルーツコーナー
でわざわざ大好物のメロンを無視して苦手な
バナナを選んでいるということに気づこう。

そりゃ苦手なバナナを毎日食べ続けていたら
生きることに嫌気が差してくるし人生に
虚しさや絶望しか感じられなくもなるよ。

願いを叶えるとか幸せになるってことは
素直にメロンを選ぶってこと。

願いを叶えるとか幸せになるってことは
バナナを差し出された時に

"私はバナナが苦手で
メロンが食べたいんです"

って言うってこと。

ただそれだけのこと。

本当にシンプルで簡単なこと。

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