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当たり前のように幸せになっていこう。
本当は
モノが手に入るのか入らないのかとか、
誰かが不機嫌だとか不正をしているとか、
世の中が不景気だとか、
そんなことはどうでもいい。
私が幸せだと思えないのはモノが手に入ら
ないせいでも不機嫌な人のせいでも不正を
している人のせいでも世の中が不景気な
せいでもない。
モノが手に入ろうが
不機嫌な人がご機嫌になろうが
不正をしている人が真っ当な人間になろうが
景気が良くなろうが
別に私
いつまでも現実が変わらなかったのはスイッチが入っていなかったから。
まあいいや、と思っている時って
何も変わらない。
今の現実を変えたい変えたい、
と言いながらも
別に今困っているわけではないから
大して動かないし
今のままでもまあいいや、
と思っている。
だから面倒くさくない
無難にできることだけをやって
行動して現実を変えたつもりになる。
結局予想通り現実は何も変わらなくて
いつも通りの現実を変えるための方法を
探し回る日々がまた始まっていく。
安
悪者を排除して悪い部分を改善すれば幸せになれるの?
言葉が荒々しい人
悪口を言う人
不機嫌を撒き散らす人、、、
明らかに絶対的に悪だとしか思えない
ような何かや誰かに出会った時
即座に当たり前のように非難したり
裁いたりしていた。
でも本当は悪の絶対的な基準なんて
どこにも無いわけで
明らかに絶対的に悪だとしか思えない
ような時でさえそれは自分勝手な
決めつけでしかない。
本当は悪と決めつけた何かや誰かを
非難したり裁いたりすることなんて
虚しくてつまらない人生を変えていく道
人生が虚しくてつまらないものだとしか
思えなくて毎日気分が悪いのは本当に
腹立たしいと思っている何かや誰かの
せいなの?
正直に言ってその何かや誰かが変わろうが
私の虚しくてつまらない毎日は
変わらないだろう。
たまたま気に食わない何かや誰かが
私の日常の中に現れて気分が悪く
なったことで
毎日が虚しくてつまらないことを
その何かや誰かのせいにするように
なっただけ。
その何かや誰かが現れ
日常や人生が変わったほんのちょっとしたこと。
"ある"と"無い"の絶対的な
基準なんてない。
でも絶対的な基準があると
思い込んでいた時には
目の前にあるものを無いことにして
必要以上のものを求めたり
本当は今すぐにでもできることを
出来ないと思い込んだりする
なんてことになっていた。
目の前に求めているものが
あるにも関わらず
それが"ある"の基準に
達していなければ
意識の上では"無い"
ということになっていた。
目の前にあ