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修復しようとすることをやめたら自分の価値が分かる。

どこも欠けていないのだから
修復しようとする必要なんてない。

失敗しても悪口を言われても
うまくできないことがあっても
自分の一部が欠けることはないわけで

いつだって既に完璧な形は
出来上がっている。


いつまでも満たされず
幸せだと思えないのは

どこも欠けていなくて問題なく使える
マグカップを"欠けている"と言って
修復しようとするばかりで

素直にマグカップに好きな飲み物を
入れて飲まないから。

修復しようとするばかりでマグカップを
本来の使い方で使わなければ

永遠にマグカップの価値なんて
分からない。

欠けていないものを修復しようとして
いつまでも好きな飲み物を飲まないなんて
虚しすぎるよ。


前提が"欠けている"ならいつまでも
修復しようとすることをやめられない。

いつまでも自分の価値を
感じることができないのは

"自分の一部が欠けている"

前提で生きているからじゃない?

各々が持っているマグカップに
優劣なんてない。

だからこそ持っているマグカップが
他人のものより劣っているから
自分は不幸で無価値なんだ、

なんて言葉は
言い訳にしかならない。


何が起こっても完璧な形が
崩れることはない。

だからこそ自分の一部が欠けることを
恐れて自分の一部が欠けないように
出し惜しみしたり全く興味のないような
ことをやったり

自分の一部が破壊されることを恐れて
仮面を被ったり嘘や綺麗事を並べ立てたり

欠けていないものを"欠けている"と言って
自分を責めて勝手に苦しんだりする

なんてことはやめにしよう。


既に完璧な形が出来上がっている
という前提で生きるようになると

これまで自分を責める材料だったものが
自分を責める材料ではなくなってしまって
生きることが本当に楽になるし

自分の価値なんて感じようとしなくても
当たり前のように感じることができるように
なるものだ。

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