#コラム
だいたいのことは、良いようにも悪いようにも取れる
あっうん偉そうだね。意識高そうだね綺麗事っぽいね!!!
自分でも字面を見てそう思った。
しかし、ときにはそんなありきたりな、ありふれた、使い古された、あざといことを再確認してしまったりするものなのだ。
仕方ない。世界は普遍で出来ている。
(関係ないけど、「ありきたり」が「在り来り」と変換されるのを見て始めて「これ古文だったのか」と気づいた)
そして、せめてうまい例えを出そうと考えてまた
たくさん読みたい、たくさん書きたい、だから。私のスタンス
こんにちは、haLunaです。
noteをはじめてすこし経った。
進水式的な気持ちもなしにもんやり始めたのだけど、思いがけず見ず知らずの方が読んでいってくださっている気配が見えて、なかなかのモチベーションにつながっている。なんでもっと早くに始めなかったんだろう。
というわけで、今日は唐突に、noteとの関わり方を改めて考えてみたのでシェアしてみる。
フォロワー獲得のためにフォローするという
「私は美人」という記事を書いた人と「私はブス」と書いた人のプロフ画像を見て感じたこと
人の見た目、ルッキズムについて、「自分は美人です」という前提で書かれた記事と「自分はブスです」という前提で書かれた記事とを、たまたまつづけて読んだ。
内容はどちらも、とてもよくまとまっていて、大切なことがきちんと述べられている良記事だった。
ところで、あまりに美人だ不美人だというものだから、思わずプロフ画像を確認してみたところ、私から見るとどちらもそう変わらなくて、友達にいて違和感がない程度のか
だらしがないからではなく、完璧主義すぎて片付かない人へ。
私と同じタイプの人はきっとたくさんいると思うのだけど、どうだろうか。
私は「ちょっとずつ、ひとつでも片付ける」ことがとても苦手だ。
片付けだけでなく、タスクをこなして「片付ける」ことも苦手だ。
私が5分ダッシュできないわけライフハック、タスク管理界でとにかく言われる「5分だけでも手をつける」。
これが、私にはできない時がままある。
5分ダッシュとは、とにかく手をつけてしまえば思いのほか進むよ