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短編小説集: 昔語り : バブル期の日本の片隅で

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バブル期という日本が経済的に盛り上った時代。その時代、日本は海外をどのように見ていたのでしょうか。アメリカ礼賛が讃えられ、英語学習が未曽有のブームになったバブルの最後の数年間の事… もっと読む
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小説:帰国子女はずるい:子供は絶対バイリンガル

小説:帰国子女はずるい:子供は絶対バイリンガル

「キャレン、ノー。ユー プレイ ウィズ ヨゥラ フレンズ ヒアール
カレン、ダメよ。こっちのお友だちと遊びなさい」 

東京の瀟洒な高級住宅地の一角にあるプリスクール。三歳になった三女のカレンを連れたあたしは、勇んでスクールの中に足を踏み入れた。

シンプルかつエレガントな作りのホールには迎えの先生方がおり、あたしたちは自己紹介をして中の教室まで連れて行ってもらった。

プリスクールの

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昔語り : インターナショナルスクールの日本人生徒の狭い世界

昔語り : インターナショナルスクールの日本人生徒の狭い世界

その朝はどんよりと曇っており、雪でも降りそうなくらいの寒さだった。
カーテンを開けるとようやく朝日が昇ってくるのがわかる。

昭和61年。一月のロンドンの朝は気の滅入るものだった。まだ朝も明けきらないうちから起き出し、朝食をとる。出かける支度、といっても筆箱と小さいノートとお財布、そしては母が作ってくれたお弁当を入れるだけだ。

「じゃあ行ってきます」
「気をつけてね」
「うん」

そう言って

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小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい

小説:バブル期の日本 : 帰国子女はずるい

あたしは人に負けない。絶対。

小さなころからあたしはアメリカに憧れてた。

昭和の時代、日本はアメリカの情報で溢れていた。



アメリカはやっぱりすごい。

何においてもすべての分野で世界で抜きん出て優れている国。

スケールが日本の何倍も大きくて、自由がある国。

世界一強くて影響力のある国。

豊かで、一流の物が数限りなくある国。

模範にすべき国。

追いつけ、追い越せの国。

素晴ら

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短編小説:バブル期の異国の片隅で

短編小説:バブル期の異国の片隅で

1987年6月の土曜の朝七時。イギリスの6月の朝は明けるのが早い。

もうすでに日は上り,窓を開けると目の前には晴れ上がった空が広がっていた。

慌ただしく朝食を済ませると、私は鞄を持って出かける準備をした。

「美穂、今日は遅くなる?」母が尋ねる。
「ううん、今日は多分寄り道しないから早く帰れると思うよ」
「帰りに牛乳買ってきて」
「じゃあお金ちょうだい」

母は1ポンドのコインを手渡した。

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短編小説 : バブル期の華やかな表と裏

短編小説 : バブル期の華やかな表と裏

「何よあんた!さっさと注ぎなさいよ!」

その女性は血走った眼でカップをこちらに差し出してきた。

面倒くさいお客さんにあたったなあ・・・

その日マネキンのバイトで新商品のビールを販売していた私は、夜になってこのスーパーにやって来た女性客を目の前にして、どのように対処するか考えあぐねていた。

マネキンとは、スーパーや百貨店で試食販売をする仕事の事だ。

新商品のキャンペーンや、特価販売の時に、

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短編小説 :バブル期日本・留学生からの眼差し

短編小説 :バブル期日本・留学生からの眼差し

「Hey, let's ditch this stupid tour! Let's get outa here!おい、皆、こんなもんフケようぜ!さっさと行こう!」

またか。

大勢の留学生を連れて大学のキャンパスを歩いていた私は、三々五々に散らばっていく留学生たちを眺めてそう思った。

その年、交換留学が決まった私は、大学から半強制的なボランティアを命じられていた。

曰く、大学に海外か

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短編小説:小さなアメリカン・ラプソディ

短編小説:小さなアメリカン・ラプソディ

1990年。私は憧れていた東京の大学に進学した。専攻はもちろん英文学。将来は英語教師になることも決めていた。

英語教育に熱心な母と祖母に育てられた私は、幼いころから私立の学校で学び、常に英語と触れる生活をしてきた。

「麗子さん、英語が出来れば将来とても役に立つのよ。アメリカ人の様に英語を話せるようになれば素敵な人になれるし、英語の先生になれば職業として安定して仕事を続けられるのよ。将来は豊かな

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