duck

1984年12月生まれ。 音楽聴くのと1人でゆっくりしてるのが好き。 最近はヤドンにな…

duck

1984年12月生まれ。 音楽聴くのと1人でゆっくりしてるのが好き。 最近はヤドンになりたい。 発達障がい持ち。

マガジン

  • 思ったり考えたりしたこと 2022 -

    振り返り用 5。

  • 思ったり考えたりしたこと 2020-2021 -3

    振り返り用 4。

  • 思ったり考えたりしたこと 2020-2021 -2

    振り返り用 3。

  • 思ったり考えたりしたこと 2020-2021 -1

    振り返り用 2。

  • 思ったり考えたりしたこと 2014-2019

    振り返り用 1。

記事一覧

『あひるの空』を読みながら、学生時代を思い出す。『今部活をしていたら、あの頃よりもっと...。』
つらかった練習。あの頃はついていくのでやっとだった。その動き1つ1つも、今になって意味が分かる。
動きながらでは気が付かなかった。躓いて振り返り、気付いたときには大人になっていた。

duck
2日前

簡単な面接で誰にでも入りやすい職場には、人間性もそれなりの人が集まりやすいらしい。
組織の入社試験だったり、学生の入試だったり、ある程度ふるいをかけられて残った人同士の方が、差が小さく、関わりやすくなるものなのではないか。

duck
5日前
2

放送受信料の徴収問題。
『TVはあります。でもうちではN○Kを見てません。だから、放送受信料は払いません。』とよく聞く。
携帯の通信回線でいうところのユニバーサルサービス料と似たようなものでは。TV放送業界はどこから始まって成り立っているのだろうか。
ちなみに回し者ではない。

duck
7日前
1

表には見えない精神障がい、ということもあるのかもしれない。例えば、表に出る強迫性では手を何度も洗うなどの症状があるし、ADHDでは多動性がある。
それらがなくとも、内面では不正を徹底的に嫌う潔癖性があったり、物議を醸し出す様な発言が多い、頭の中での多動性。同じ精神障がいなのでは。

duck
8日前

想像上のある日、公園で

小さな子がこちらへトコトコと走ってやって来た。身長は私のひざ丈程か。 そのまま私のひざに顔が当たり、のけぞる子。 このままでは後ろに倒れて頭を打ってしまう。 『危…

duck
8日前

『仕事あがりが近くなってから、上司から残業を頼まれて、「この仕事が終わるまで、お前を帰らせない。」って言われた、壁ドンで。』
そんなブラック企業の有り様を考えていた。
そういえば、壁ドンは昔は不良の脅し行為だった様な。

duck
8日前
3

『赤信号 皆で渡れば 怖くない』
昔はよく聞いた、日本人の集団心理を的確に捉えた言葉。個人的には結構サイコパス的な視点だと思う。

duck
9日前

サブスクで昔の音楽を聴きながら、ふと思う。
『このアーティストにも20代、30代の頃があったのだよなぁ。』
かつて自分と同じ年齢だったアーティストが、現代、高齢でこの世を去っていく。
較べる訳ではない。何れ振り返られる事になる年代に、今の自分もいるのだ、という事が不思議に思える。

duck
10日前
2

行き詰まったとき程、助けて欲しい気持ちが強くなることがある。そういうとき程、助けになる筈だった手を振り払い、より遠ざける様な言動をとりがちになるのは何故だろう。自分を不思議に思う。

duck
11日前

何かの最中に考えや気持ちがふと変わる、ということはよくあることだと思う。本当はもう変わっているけれど、その時の自分で通す、という事もあるのかもしれない。
死刑制度は他人が『もう改善は無理』、『受け入れを拒否』と線引きすること。
辞職に追いやられる人の扱いも似ているのではないか。

duck
3週間前

「「ジャス ケス ポスッ!」」
「オオオッ!セリヌンティウスの勝利ッ!!」
古代ローマとかのじゃんけんはするとこうなる様に思える。

duck
3週間前
1

優れていたい君よ。あなたに必要なものは何処かの優れたリーダー論や偉人論よりも、身近な人望だと私は思う。

duck
4週間前

近所の横断歩道の横にあるボタンはまるで、いつも押されっぱなし。押されていないのにもかかわらず点灯している。あの状態でボタンを押す意味はあるのだろうか?

duck
1か月前

言葉の扱いが上達すると、身近なうまい話や優しい言葉かけ、知らない人の金言に反応しにくくなる。
求めるのは現実的なこと。自分1人の中でも思うことを正確に書こうとすれば、大袈裟な言葉選びや逆説的な話は必要としなくなっていく。始めはそれでも構わないのだけれど、いつかは成長を。

duck
1か月前
1

kindleで電子書籍を読む事が多い。私はお金を支払っているけれど、これは『永年レンタル』。『あなたに永久的にレンタルする権利を与えます。』という事。企業が潰れたり、何らかの都合でサービス終了など、それ次第で新たに読めなくなる可能性がいつでも起こり得る。現物の購入とは違うのだ。

duck
1か月前

私が知る限り、『悩まないこと』への答えは結局、『やるか、やらないか、それだけ!』に収まってしまう。
それはそうなのだろうけれど、それでは人としての気持ちの複雑さや振り幅の解釈に、狭さを生むのではないか?
それとも、それなりに違う世界が見える様になるのだろうか?

duck
1か月前

『あひるの空』を読みながら、学生時代を思い出す。『今部活をしていたら、あの頃よりもっと...。』
つらかった練習。あの頃はついていくのでやっとだった。その動き1つ1つも、今になって意味が分かる。
動きながらでは気が付かなかった。躓いて振り返り、気付いたときには大人になっていた。

簡単な面接で誰にでも入りやすい職場には、人間性もそれなりの人が集まりやすいらしい。
組織の入社試験だったり、学生の入試だったり、ある程度ふるいをかけられて残った人同士の方が、差が小さく、関わりやすくなるものなのではないか。

放送受信料の徴収問題。
『TVはあります。でもうちではN○Kを見てません。だから、放送受信料は払いません。』とよく聞く。
携帯の通信回線でいうところのユニバーサルサービス料と似たようなものでは。TV放送業界はどこから始まって成り立っているのだろうか。
ちなみに回し者ではない。

表には見えない精神障がい、ということもあるのかもしれない。例えば、表に出る強迫性では手を何度も洗うなどの症状があるし、ADHDでは多動性がある。
それらがなくとも、内面では不正を徹底的に嫌う潔癖性があったり、物議を醸し出す様な発言が多い、頭の中での多動性。同じ精神障がいなのでは。

想像上のある日、公園で

小さな子がこちらへトコトコと走ってやって来た。身長は私のひざ丈程か。

そのまま私のひざに顔が当たり、のけぞる子。
このままでは後ろに倒れて頭を打ってしまう。
『危ない!』
慌てて両手で子の後頭部を掴む私。
子が倒れない様に、ぐいっと頭を手前に引き寄せた私は、その反動で子の顔に念入りにとどめを刺す形となった。

『仕事あがりが近くなってから、上司から残業を頼まれて、「この仕事が終わるまで、お前を帰らせない。」って言われた、壁ドンで。』
そんなブラック企業の有り様を考えていた。
そういえば、壁ドンは昔は不良の脅し行為だった様な。

『赤信号 皆で渡れば 怖くない』
昔はよく聞いた、日本人の集団心理を的確に捉えた言葉。個人的には結構サイコパス的な視点だと思う。

サブスクで昔の音楽を聴きながら、ふと思う。
『このアーティストにも20代、30代の頃があったのだよなぁ。』
かつて自分と同じ年齢だったアーティストが、現代、高齢でこの世を去っていく。
較べる訳ではない。何れ振り返られる事になる年代に、今の自分もいるのだ、という事が不思議に思える。

行き詰まったとき程、助けて欲しい気持ちが強くなることがある。そういうとき程、助けになる筈だった手を振り払い、より遠ざける様な言動をとりがちになるのは何故だろう。自分を不思議に思う。

何かの最中に考えや気持ちがふと変わる、ということはよくあることだと思う。本当はもう変わっているけれど、その時の自分で通す、という事もあるのかもしれない。
死刑制度は他人が『もう改善は無理』、『受け入れを拒否』と線引きすること。
辞職に追いやられる人の扱いも似ているのではないか。

「「ジャス ケス ポスッ!」」
「オオオッ!セリヌンティウスの勝利ッ!!」
古代ローマとかのじゃんけんはするとこうなる様に思える。

優れていたい君よ。あなたに必要なものは何処かの優れたリーダー論や偉人論よりも、身近な人望だと私は思う。

近所の横断歩道の横にあるボタンはまるで、いつも押されっぱなし。押されていないのにもかかわらず点灯している。あの状態でボタンを押す意味はあるのだろうか?

言葉の扱いが上達すると、身近なうまい話や優しい言葉かけ、知らない人の金言に反応しにくくなる。
求めるのは現実的なこと。自分1人の中でも思うことを正確に書こうとすれば、大袈裟な言葉選びや逆説的な話は必要としなくなっていく。始めはそれでも構わないのだけれど、いつかは成長を。

kindleで電子書籍を読む事が多い。私はお金を支払っているけれど、これは『永年レンタル』。『あなたに永久的にレンタルする権利を与えます。』という事。企業が潰れたり、何らかの都合でサービス終了など、それ次第で新たに読めなくなる可能性がいつでも起こり得る。現物の購入とは違うのだ。

私が知る限り、『悩まないこと』への答えは結局、『やるか、やらないか、それだけ!』に収まってしまう。
それはそうなのだろうけれど、それでは人としての気持ちの複雑さや振り幅の解釈に、狭さを生むのではないか?
それとも、それなりに違う世界が見える様になるのだろうか?