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1984年12月生まれ。 音楽聴くのと1人でゆっくりしてるのが好き。 最近はヤドンにな…

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1984年12月生まれ。 音楽聴くのと1人でゆっくりしてるのが好き。 最近はヤドンになりたい。 発達障がい持ち。

マガジン

  • 思ったり考えたりしたこと 2022 -

    振り返り用 5。

  • 思ったり考えたりしたこと 2020-2021 -3

    振り返り用 4。

  • 思ったり考えたりしたこと 2020-2021 -2

    振り返り用 3。

  • 思ったり考えたりしたこと 2020-2021 -1

    振り返り用 2。

  • 思ったり考えたりしたこと 2014-2019

    振り返り用 1。

記事一覧

私には、それを以前から知っているのに、周囲や世間に評価され出してから、初めて自分も「すごい」等と認知する所があった。
すごい同級生、バンド…。
それまでは、自分の目できちんと見ていなかったのだと思う。そうなると、常に後追いで、掌を返した様な評価をする事になる。
自分を軽蔑した。

duck
3日前

今月読んだ、ワールドトリガーの最新話。
冬島隊のオペレーター、真木理佐の「は?消えろ」発言がひやっとして、可笑しかった。
ネット上では『マキリッサ』とあだ名が付いていた。クールだけれど、男勝りとも違う。言葉使いが引っかかる。
『ひょっとして、トランスジェンダーなのではないか?』

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3日前

私と友人扱いの関係性 -1

当時、私にとっての『友人』とは何だったのだろう? 私たちは離れて1年以上が経った。 始めは顔見知りだった。ある時期から共通の友人を通じて、精神的に弱っているらしい…

duck
4日前
1

雨男、雨女だと言われたり、自覚している人がいる。私もその1人。その人が進み出るとき、何故か雨が降ってしまう。
恐らく、あれはその人の調子が出るタイミングは雨が降るときで、当人のバイオリズム上、そう決まってしまっているのだと、勝手に考えている。一緒にいる人には悪いけれど。南無三。

duck
10日前

ワールドトリガーでサイドエフェクトを封じられたら、あのキャラは…等と考えていた。
大きな力に依存する危険性。
現実では国内外で有事を疑う事態の欠片がちらつく。もし、有事の際にサーバーがダウンしたら、私たちの利用しているエンタメの大半は失われる。便利でラクな日常も、恐らく変わる。

duck
12日前

漫画でバトル中、キャラが空中でくるっと方向転換する場面が時々見られるけれど、慣性の法則で物理的に無理なのではないか?
例えば、HUNTER×HUNTERのゴン対ゲンスルー戦のゴンの二段蹴りや、ワールドトリガーでは玉狛第二対二宮隊の、雨取のアイビスから辻の瓦による鉛弾想定対処時。

duck
12日前
1

私はワールドトリガーをよく読み返す。
22巻で三雲が二宮にハウンドを当てた、劇的なシーンがある。
『いつ覚えたのだろう?』と思っていたら、13巻で三雲が嵐山隊を訪問した時に、『何か』を教わっていた描写があった事に、今更気付いた。あれが恐らくハウンドだったのだろう。長い伏線。

duck
13日前

気持ちはいつも、新しい

気持ちは水もの。 気持ちは常に今(最新)のところにある。 ネガティブもポジティブも、その心の状態は、気持ちが継続的に更新された結果なのではないか、と気が付いた。 …

duck
2週間前

ジャンケン繋がりで、ふと思う。
あっち向いてホイを双方がフルスイング、全力でかわす、という場面を見てみたい。
例えば、かわす側が下を向くときはきっと勢いのついたお辞儀になるのだろう。

duck
3週間前

大人になって以来、ジャンケンで「最初 っから!」とか、いきなり「ジャンケンポン!」とか、不意をつくのを見なくなったし、やらなくなったな…、としみじみ思う。
そもそも大人になると、給食で半分凍ったムースの取り合いをする機会など、まず無い。
駆け引きは手慣れるのに。

duck
3週間前

1人でいられるのなら、偏見で見られることも起こらないのになぁ、と思う。
相対的に、誰かといられるということは幸せなのだろうけれど、複数人になるにつれて、1人への見方が生まれることとトレードオフだ。その影響を受けない人は何処にもいない。自分も然り。だから1人になりたい時がある。

duck
1か月前

学生さん(?)の細い脚を見かけたとき、「蹴ったら折れそうな脚」と例えて友人に話したことがあった。例えながらも頭に浮かぶのは、『何でそんなことをするのだろう?(しないけれど)』自分でも分からない。
ただ、ポッキーやプリッツがそこにあるような感覚だったことは確かだった。

duck
1か月前

世間で言うところのいわゆる『毒親』には、その子どもに対してしてきたことに、相応の罪があると私は考えている。
ただ宗教観で見た場合、その毒親を見捨てたり、助けたりしなかったら、その子どもはいずれ地獄に行くことになるのだろうか。

duck
1か月前

ウェブ検索すると、知りたい結果だけ編集された項目が上位に出てくる。『強調スニペット』というものらしいのだけれど、出典元のサイトに飛んで全体を読もうとすると、いきなり強調箇所へ飛んで前後を読み直したり、実際の内容や意味にずれがあったりで結構困っている。何とかならないものか。

duck
1か月前

個人的に、男女差で『抱きしめる』という愛情表現の仕方1つに違いがあるのではないか、と言う偏見がある。
好意のある人に、男性はぎゅっと一点、力強い抱きしめ方をするのに対して、女性はそっと触る(身体が触れ合う)面積を広くとる抱きしめ方をする傾向がある、気がする。
検証は出来ていない。

duck
1か月前

私には嫌な人に対して、『何をされても、何を言われても、許さない』と残酷になれる自分は強い、と酔っていた部分があった。今では許すも許さないも、どちらでも選べる自分の方がゆとりがあって、良さそうではないか、と考えるようになった。

duck
1か月前

私には、それを以前から知っているのに、周囲や世間に評価され出してから、初めて自分も「すごい」等と認知する所があった。
すごい同級生、バンド…。
それまでは、自分の目できちんと見ていなかったのだと思う。そうなると、常に後追いで、掌を返した様な評価をする事になる。
自分を軽蔑した。

今月読んだ、ワールドトリガーの最新話。
冬島隊のオペレーター、真木理佐の「は?消えろ」発言がひやっとして、可笑しかった。
ネット上では『マキリッサ』とあだ名が付いていた。クールだけれど、男勝りとも違う。言葉使いが引っかかる。
『ひょっとして、トランスジェンダーなのではないか?』

私と友人扱いの関係性 -1

当時、私にとっての『友人』とは何だったのだろう?
私たちは離れて1年以上が経った。

始めは顔見知りだった。ある時期から共通の友人を通じて、精神的に弱っているらしいことを聞いた。1対1では馴染みではなかった。でも、『会おう』と思った。『その方が良い』と感じた。

色んな所に行った。私は元々1人になり易かった。友人の案内で遊びに行った。友人もそれなりに1人になり易かった。ただ、違いがあった。
1人で

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雨男、雨女だと言われたり、自覚している人がいる。私もその1人。その人が進み出るとき、何故か雨が降ってしまう。
恐らく、あれはその人の調子が出るタイミングは雨が降るときで、当人のバイオリズム上、そう決まってしまっているのだと、勝手に考えている。一緒にいる人には悪いけれど。南無三。

ワールドトリガーでサイドエフェクトを封じられたら、あのキャラは…等と考えていた。
大きな力に依存する危険性。
現実では国内外で有事を疑う事態の欠片がちらつく。もし、有事の際にサーバーがダウンしたら、私たちの利用しているエンタメの大半は失われる。便利でラクな日常も、恐らく変わる。

漫画でバトル中、キャラが空中でくるっと方向転換する場面が時々見られるけれど、慣性の法則で物理的に無理なのではないか?
例えば、HUNTER×HUNTERのゴン対ゲンスルー戦のゴンの二段蹴りや、ワールドトリガーでは玉狛第二対二宮隊の、雨取のアイビスから辻の瓦による鉛弾想定対処時。

私はワールドトリガーをよく読み返す。
22巻で三雲が二宮にハウンドを当てた、劇的なシーンがある。
『いつ覚えたのだろう?』と思っていたら、13巻で三雲が嵐山隊を訪問した時に、『何か』を教わっていた描写があった事に、今更気付いた。あれが恐らくハウンドだったのだろう。長い伏線。

気持ちはいつも、新しい

気持ちはいつも、新しい

気持ちは水もの。
気持ちは常に今(最新)のところにある。

ネガティブもポジティブも、その心の状態は、気持ちが継続的に更新された結果なのではないか、と気が付いた。

あちらで失敗し、こちらで怒られ、と嫌(苦痛)な気持ちが続いて更新されると、心の状態は悪くなっていく。

気持ちはしばらく間を取れれば、一旦、落ち着く。落ち着いたはずの気持ちが、そのものに触れて似た気持ちが再燃するのであれば、それはその

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ジャンケン繋がりで、ふと思う。
あっち向いてホイを双方がフルスイング、全力でかわす、という場面を見てみたい。
例えば、かわす側が下を向くときはきっと勢いのついたお辞儀になるのだろう。

大人になって以来、ジャンケンで「最初 っから!」とか、いきなり「ジャンケンポン!」とか、不意をつくのを見なくなったし、やらなくなったな…、としみじみ思う。
そもそも大人になると、給食で半分凍ったムースの取り合いをする機会など、まず無い。
駆け引きは手慣れるのに。

1人でいられるのなら、偏見で見られることも起こらないのになぁ、と思う。
相対的に、誰かといられるということは幸せなのだろうけれど、複数人になるにつれて、1人への見方が生まれることとトレードオフだ。その影響を受けない人は何処にもいない。自分も然り。だから1人になりたい時がある。

学生さん(?)の細い脚を見かけたとき、「蹴ったら折れそうな脚」と例えて友人に話したことがあった。例えながらも頭に浮かぶのは、『何でそんなことをするのだろう?(しないけれど)』自分でも分からない。
ただ、ポッキーやプリッツがそこにあるような感覚だったことは確かだった。

世間で言うところのいわゆる『毒親』には、その子どもに対してしてきたことに、相応の罪があると私は考えている。
ただ宗教観で見た場合、その毒親を見捨てたり、助けたりしなかったら、その子どもはいずれ地獄に行くことになるのだろうか。

ウェブ検索すると、知りたい結果だけ編集された項目が上位に出てくる。『強調スニペット』というものらしいのだけれど、出典元のサイトに飛んで全体を読もうとすると、いきなり強調箇所へ飛んで前後を読み直したり、実際の内容や意味にずれがあったりで結構困っている。何とかならないものか。

個人的に、男女差で『抱きしめる』という愛情表現の仕方1つに違いがあるのではないか、と言う偏見がある。
好意のある人に、男性はぎゅっと一点、力強い抱きしめ方をするのに対して、女性はそっと触る(身体が触れ合う)面積を広くとる抱きしめ方をする傾向がある、気がする。
検証は出来ていない。

私には嫌な人に対して、『何をされても、何を言われても、許さない』と残酷になれる自分は強い、と酔っていた部分があった。今では許すも許さないも、どちらでも選べる自分の方がゆとりがあって、良さそうではないか、と考えるようになった。