私と友人扱いの関係性 -1

当時、私にとっての『友人』とは何だったのだろう?
私たちは離れて1年以上が経った。

始めは顔見知りだった。ある時期から共通の友人を通じて、精神的に弱っているらしいことを聞いた。1対1では馴染みではなかった。でも、『会おう』と思った。『その方が良い』と感じた。

色んな所に行った。私は元々1人になり易かった。友人の案内で遊びに行った。友人もそれなりに1人になり易かった。ただ、違いがあった。
1人で過ごすことが私は割合平気だけれど、友人には耐え難いことの様だった。

連絡が来たら友人の所へ行っていた。ただ会うだけのこともあった。
独りに耐え難ければ、その都度ろうそくに火を点けに行く様に向かっていた。ぽつぽつと火を灯し続けたら、いつか火が消えにくくなるのではないかと、私はそう考えていた。

特別何をするでもなかった。私は飽きもせず関わっていた。

最後は私たちの間にトラブルが起こって、そういえば淋しさに耐え難い人だったことを思い出す。命を無くしかねない恐れがあった。心配して顔を見に行った時だった。

私はトラブルにおいて、自分が責めていた側だったことを忘れていた。
友人にとっては詰め寄りに来たのだと余計に怖がらせることになった。顔が合ったら「ストーカー」等、私を敵の様に言い、自身が関わる人たちを私から庇護する立場であるかの様に口にしていた。
「歩きながら話そう。」と言われ、ついて行きながら話していたら、人前まで来たところで「付きまとわないで下さい。怖いです。」と発言する友人。
恐らく、自作自演で近所の交番の前まで引っ張って行くつもりだったのだろう。そうしてまで切り抜けたかったのだと考えられた。
10年近く関わっていて、築いてきたつもりの理解と信頼はこの程度だった。
分からなかったのだろうか?私がその様な加害をすることがあり得ないことくらい。
余程追い込まれていたのだろう、とも考えられた。友人の言動の無責任さと行き当たりばったりさにも嫌気がさしていた。

弱っていた時期を持ち堪え、人間関係が増えた友人は新たな付き合いを更に増やし始めていた。最後のほうに不幸があって調子を崩していたけれど、後は私にした様に誰かに支えて貰い、持ち直していることだろうと信じている。

『善意の関わり』とは何なのだろう?

私が誰かを助けることには、嬉しさと心地良さを伴う側面がある事を否定できない。私の根底にはそういう欲求があるのだと思う。または、自分が自信を持って立つことに、誰かを必要としていたのかもしれない。
それと、友人と関わっていた当時、『可哀想』から動かされていたのかも、と。
友人が弱っていて、『duckから親しい人たちを護る』と口にしていたように、私は上下関係を内に持っていたのかもしれない。
『助けたい』という、自惚れから起こる上から目線。
だけれど、その頭は助けたかった相手の足の裏で踏まれ、抑えつけられていた。

まだ関わりが残っていた終盤、私は苛立ち、肯定的に話していた心掛けを外した。
久しぶりに意見した。途端、私の顎は跳ね、唇の端を切った。
以前から言うべきだと考えていたこと。
予想外だった。
というのは、周囲の協力もあってイエスマンに囲んで貰っていた友人は、
『自身の思いと違う意見を持つ人』を反射的に『敵』だと認識して、そう切り替えたらスイッチを動かせないままだった。
話を聞いていると、『自分の味方でいてくれる人が良い人で、そうじゃない人は悪い人』、その様な価値観が目立っていた。
そして、意見した私に対するこの扱い。

『変わっていない・・・。』

私は「幼稚」だと友人を非難した。私たちはもう大人なのだ。
『こんな所で足を引っ張られている』のが阿呆らしく感じた。
自らの『助けたい』から始まっていたことが、何時の間にか変化していた。
本音はこうだったのかもしれない。
または、私が変わったのか。

私は誰かを助けようとしたいとき、相手から足元を見られ易いようだ。少なからず、相手に関わる時は自身がその人に『劣っている』とは然程思っていない気持ちがある。対等な意識でいる。

今にして思えば、容姿にも優れている友人は、本当に弱ったら『可哀想なボク(ワタシ)』に素早く変化して、人を引きつけて愛情を得ようとする特性を発揮していた。私は一度ではなく、その不誠実さの断片を目にし、または本人の語りから聞いていた。
私と違い、独りに耐え難い性の根深さが目に浮かんでいた。
内輪に支えて貰い、自信を持っている内は強く、押し気味の大きな態度で振る舞い接するけれど、そのテリトリーを数歩出ると脆い。

また当人にとって、そう振る舞える言動の責任や根拠は支えにしている人にあった。
やや具体的に書くと、
『AさんにBさんも(そう)言っていた。Cさん、Dさんも自分に同意していた。』
いつまで経っても、これを繰り返していた。

最早、私は友人失格なのだと思う。同じテリトリーには居ないで欲しい。
元である友人の幸せを願いたくとも、そう思うことができない。
結局、私がしたことは友人の未成熟を守っただけではなかったのか?

ドライブに付き合って貰い、毎晩の様に50kmを超えても「50キロ?近い近い!」と二人して壊れた距離感をバカの様に笑い合った頃も過ぎた。
思えば懐かしいけれど、私ももう次に進まなければ。
今では友人が何処で次に進んでいるのか、それも意識せずに済む。

仮に、元友人があれからどの様に自分を取り繕って語っていたとしても、私は平気でいられる。私の知る真実もある。擦り合わせれば分かること。それに、悪者になっても構わない思いもある。『相対的に悪いのはあの人』という理屈やその数を積み重ねても、友人の人間性は変わりない。
いくら他人や自分を騙し、都合の悪い人や自分の側面に蓋をしようと、いずれ明るみに出ること。その都度、今回の様な振る舞いを繰り返すのだろう、と予想がついている。友人であった人が変わらない限り。

『友人』とは何だろう?
お互いバカを出来る程に身近で、互いを尊重できる、好循環で影響し合える関係性の付き合いを持てる人。
かといって、息が詰まるのも良くない。
あまりこういった事を考えずに済む関係性だろうか。
少なくとも、元友人に感じた様に『関わってくれれば誰でも良い』ではない。
嬉しい付き合いもあれば、離れたい付き合いもある。

私には相手に遠慮する付き合いが未だにある。会った後は大抵ぐったりしている。
そのキャラクターが心地良いのかもしれないけれど、精神衛生上好ましくないことでもあるのだと思う。それで人生の時間をぐっと減らした。
成長、それには切り捨ても要るのかもしれない。人の所為にはあまりしたくないけれど、気の毒な害も、無頓着にやってくる。それも、際限無く。

どうしたら私自身も含め、彼(女)達の淋しさ故の(?)毒を解消出来たのか、未だに探すことがある。
専門家でも全くないのだ。もう関わらない方が良いのではないか?


私たちは、人目のある所では基本的に下を向いている訳にはいかない。うんざりしながらも捨てがたい毎日がある。たとえある1日の何処かで躓いても、次の日はやって来て、顔を上げておかざるを得ない。そうして、その出来事も置き去りにする。

私の方はせいせいした中にも、次の迷いのある日常にいる。

相変わらずだ。

私は当然の様に謝られることも無く、元友人に都合の良いようにそのままフェードアウトして、1年以上が経った。

元友人に思う。『変わらなくていい。そのままで居てね』、と。

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