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むかしの作文

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2001年から書いてきた文章を集めて。
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記事一覧

2015年の作文・10月

2015年の作文・10月

10月1日

◇金星と満月

 

ここ数日

明けの明星と月の光に挟まれて

牛乳さんも新聞さんも

地球の上で働いている

金星は太陽の光を反射

月も太陽の光を反射

金星は太陽の周りをまわる惑星として

月は地球の周りをまわる衛星として

朝の前兆をムードたっぷりに演出する

金星人は地球の青い光に癒され

月面人も地球の青さを羨望の眼差しでみつめる

「地球には水があるね」

「H2Oだ

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2015年の作文・9月

2015年の作文・9月

◇親鸞(藤井善信)の場合
 
親鸞について調べている。日本の作家はどうしてこうも親鸞が好きなのか。
小説だけでも、倉田百三、吉川英治、丹羽文雄、津本陽、五木寛之などの作家が書いている。全部読んでみたいがその暇がない。哲学者の梅原猛や宗教学者の山折哲雄などの評伝もある。俳優の三國連太郎はどういうわけか親鸞の映画を一本作っている。思想家の吉本隆明や今村仁司も親鸞に傾倒した。
親鸞は実際よくわからない人

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2015年の作文・7月

2015年の作文・7月

7月1日

◇夢の中の大ちゃん

 

久しぶりに大ちゃんに会った

夢の中で

大ちゃんはぼくの仕事を手伝ってくれた

車の助手席に座って

ぼくは道を間違えて配達場所を通り過ぎてしまった

車を降りて歩いて届けることにした

ぼくは足を怪我していてなかなか前に進めない

だから大ちゃんは先に歩いていった

ぼくの足はだんだん重くなって

とうとう一歩も進めなくなった

大ちゃんから着信があった

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2015年の作文・6月

2015年の作文・6月

6月6日
◇「宮沢賢治研究会」第281回例会に参加して
 
2015年6月6日午後6時千駄ヶ谷区民会館で開催された「宮沢賢治研究会」6月第281回例会に参加した。
 
前半の講師は、京都造形芸術大学名誉教授の中路正恒氏。演題は「宮沢賢治のポトラッチ──「祭の晩」から考える」である。「祭の晩」の主人公亮二は、窮地にあった山男を助ける。その返礼として山男が届けた薪と栗を見て、こんなに貰うわけにはいかな

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2015年の作文・5月

2015年の作文・5月

5月1日

◇軍楽隊の通り道

 

私の家の前を軍楽隊が通り過ぎてゆく

勇ましいかと思いきや

案外のどかな雰囲気だ

聞えてくるのは「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」

それから「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」

軍楽隊に続いて少年少女合唱団が透明な声を響かせている

最後にボーイソプラノのソロで「トムソーヤの冒険」

なんだか勇気をもらったぞ

よし私もあとにつづこう

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2015年の作文・4月

2015年の作文・4月

4月1日

◇春の歌

 

ウソをついてもいいなんて誰が言ったか知りません

春の風が吹いたって君にはウソが似合わない

 

 

4月2日

◇月夜の桜

 

月夜の晩の目黒川

桜の花降る川辺の道を

歩いてのぼり

歩いてくだる

 

くちびるに桜の花びら

まぶたに春風

川面に桜とゆれる月影

 

 

4月3日

◇さむくてあたたかい

 

どっちつかずの季節じゃないか

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2015年の作文・3月

2015年の作文・3月

3月1日

◇中也が貘さんに仕事の世話をする

 

青木健『中原中也──永訣の秋』河出書房新社の中で、ぼくがいちばん気に入っているエピソードを引用する。

 

《山本文庫『ランボオ詩抄』が刊行されて間もなく、中也は、その頃永福町から田園調布へ移り住んでいた中垣竹之助、泰子夫妻を訪ねた。/六月三十日付中垣竹之助宛の中也の礼状によると、中垣は体調を崩していたようで、中也は、鍼灸を生活の糧としていた

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2015年の作文・2月

2015年の作文・2月

2月1日

◇あるく詩

 

あるいていくと

いろんな顔に会う

信号が青になる

横断歩道をわたる

アワテンボウ1

ムヒョウジョウ2

オモイダシワライ1

イチャイチャ2

キンケツ1

さらにあるいていくと

ハラペコ3

トホウニクレル1

サガシモノ1

ジュケン1

ナガラ3

あるく

もっとあるく

ずっとあるく

どこまでも

どこまでも

ぼくらは一体どこへ向かっている

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2015年の作文・1月

2015年の作文・1月

1月1日
◇風の歌
 
風よ
私はしばらくお前を歌わなかった
だが私は知っている
大気圏の向うから
星たちの香りを届けてくれるのが誰なのかを
死せる詩人たちの声を
私の耳元にささやいてくれるのが誰なのかを
そして今夜
私の瞼に優しく触れてくれたのが誰なのかを
風よ
おお
風よ
 
 
1月2日
◇街を歩いていて
 
アルコールは体中をめぐって
夜中の街を歩いた
歩いて
歩いて
歩いた
だが
人生に

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2014年の作文

2014年の作文

8月6日

◇ドームのボーイ  

 ぼくは生まれている

爆弾は落ちている

母は産んでいる

爆弾を落としている

慈愛に満ちている

悲惨が広がっている

ドームを造っている

聖堂の天井に

ドームが壊れている

骨組みを残して

少年は食べている

冷たくて甘いかき氷

少年は泣いている

暑い夏である

8月23日

◇『漱石の実験』を読んで                      

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2013年の作文・10月

2013年の作文・10月

2013.10.1
ドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子・訳)光文社古典新訳文庫を読んでいる。ぼくが大学生の時に読んだのは、新潮文庫の江川卓・訳だ。こちらは昭和44年12月30日発行である。不思議な縁だ。ぼくは昭和44年12月生まれ。「ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。」という書き出し。主人公は「ぼく」である。安岡治子・訳は2007年5月20日発行である。「俺は病んでいる……。ね

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2013年の作文・9月

2013年の作文・9月

2013.9.1
マルセル・カルネの回想が引用された箇所を引用する。
 
 
──シャンソンかい? とギャバンがきいた。
──そう、とプレヴェールが言った。
コスマはまずいくつかのアルページョ[和音を一音ずつ弾いてゆく奏法]を弾いた。次いで彼はゆっくりとはじめた。ささやくような声で歌いながら、指は軽く鍵盤に触れていく。
 
ああ 思い出しておくれ
ぼくたちが恋人だった幸せな日々を
 
メロディーが

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2013年の作文・8月

2013年の作文・8月

2013.8.1
今朝、娘たちが、従姉妹と一緒に新幹線に乗って、軽井沢へ向かった。小学生3人だけの旅である。軽井沢駅では、ぼくの両親が迎えに来て、別荘へ。避暑地で、御祖父様、御祖母様と一緒に過ごせる娘たちは幸せだと思う。ぼくも学生の頃、夏は毎年のように軽井沢へ行っていた。ピアノを弾いたり、詩を読んだり、森を散歩したり、テニスをしたり、今から思えばずいぶん優雅な暮らしをしていたのだ。その頃から、有島

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2013年の作文・7月

2013年の作文・7月

2013.7.1
19世紀の哲学者フォイエルバッハを主人公にした戯曲。舞台は1845年のハイデルベルク。フォイエルバッハは友人で哲学者のクリスチャン・カップと家族ぐるみで付き合っていた。ところがカップの娘ヨハナ18歳がフォイエルバッハに恋をしてしまう。その時フォイエルバッハは41歳、家庭を思いやる優しい父親であった。カップとフォイエルバッハが不在の時、恋に狂うヨハナは意外な行動にでる。フォイエルバ

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