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文章読んダリ書いタリ絵画見タリ描いタリ唄歌っタリ作っタリさればどうなるダリ。 つぶやきながら随筆作っているので→ https://x.com/cogagacco も参照して下さい。

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  • 研究。

    詩論を中心に独学おじさんの考察あれこれ。

  • むかしの作文

    2001年から書いてきた文章を集めて。

  • 哲学対話

    対話しながら真理に接近。

最近の記事

2015年の作文・6月

6月6日 ◇「宮沢賢治研究会」第281回例会に参加して 2015年6月6日午後6時千駄ヶ谷区民会館で開催された「宮沢賢治研究会」6月第281回例会に参加した。 前半の講師は、京都造形芸術大学名誉教授の中路正恒氏。演題は「宮沢賢治のポトラッチ──「祭の晩」から考える」である。「祭の晩」の主人公亮二は、窮地にあった山男を助ける。その返礼として山男が届けた薪と栗を見て、こんなに貰うわけにはいかないとおじいさんが着物や団子を山へ持っていってやろうと提案する。亮二は《着物や団子

    • 2015年の作文・5月

      5月1日 ◇軍楽隊の通り道 私の家の前を軍楽隊が通り過ぎてゆく 勇ましいかと思いきや 案外のどかな雰囲気だ 聞えてくるのは「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」 それから「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」 軍楽隊に続いて少年少女合唱団が透明な声を響かせている 最後にボーイソプラノのソロで「トムソーヤの冒険」 なんだか勇気をもらったぞ よし私もあとにつづこう 運動着に着替えて外へ飛び出す すると昔の仲間達が集まってきて一緒に走ろうと

      • 2015年の作文・4月

        4月1日 ◇春の歌 ウソをついてもいいなんて誰が言ったか知りません 春の風が吹いたって君にはウソが似合わない 4月2日 ◇月夜の桜 月夜の晩の目黒川 桜の花降る川辺の道を 歩いてのぼり 歩いてくだる くちびるに桜の花びら まぶたに春風 川面に桜とゆれる月影 4月3日 ◇さむくてあたたかい どっちつかずの季節じゃないか 寒いのか暖かいのか どっちつかずの天気じゃないか 雨なのか晴れなのか

        • 2015年の作文・3月

          3月1日 ◇中也が貘さんに仕事の世話をする 青木健『中原中也──永訣の秋』河出書房新社の中で、ぼくがいちばん気に入っているエピソードを引用する。 《山本文庫『ランボオ詩抄』が刊行されて間もなく、中也は、その頃永福町から田園調布へ移り住んでいた中垣竹之助、泰子夫妻を訪ねた。/六月三十日付中垣竹之助宛の中也の礼状によると、中垣は体調を崩していたようで、中也は、鍼灸を生活の糧としていた詩人山之口貘を紹介している。中也としては、中垣と山之口双方に良かれと思って橋渡し

        2015年の作文・6月

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        記事

          2015年の作文・2月

          2月1日 ◇あるく詩 あるいていくと いろんな顔に会う 信号が青になる 横断歩道をわたる アワテンボウ1 ムヒョウジョウ2 オモイダシワライ1 イチャイチャ2 キンケツ1 さらにあるいていくと ハラペコ3 トホウニクレル1 サガシモノ1 ジュケン1 ナガラ3 あるく もっとあるく ずっとあるく どこまでも どこまでも ぼくらは一体どこへ向かっているのだろう サギ1 ズル2 ウソ3 テロ1 サツ1 人間はあるく あ

          2015年の作文・2月

          2015年の作文・1月

          1月1日 ◇風の歌 風よ 私はしばらくお前を歌わなかった だが私は知っている 大気圏の向うから 星たちの香りを届けてくれるのが誰なのかを 死せる詩人たちの声を 私の耳元にささやいてくれるのが誰なのかを そして今夜 私の瞼に優しく触れてくれたのが誰なのかを 風よ おお 風よ 1月2日 ◇街を歩いていて アルコールは体中をめぐって 夜中の街を歩いた 歩いて 歩いて 歩いた だが 人生にメロディは流れていなかった 世界に物語はなかった 街のリズムは一定ではない 誰も

          2015年の作文・1月

          2014年の作文

          8月6日 ◇ドームのボーイ   ぼくは生まれている 爆弾は落ちている 母は産んでいる 爆弾を落としている 慈愛に満ちている 悲惨が広がっている ドームを造っている 聖堂の天井に ドームが壊れている 骨組みを残して 少年は食べている 冷たくて甘いかき氷 少年は泣いている 暑い夏である 8月23日 ◇『漱石の実験』を読んで                              読書感想文を書きます。松元寛『漱石の実験』朝文社、という本を

          2014年の作文

          2013年の作文・10月

          2013.10.1 ドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子・訳)光文社古典新訳文庫を読んでいる。ぼくが大学生の時に読んだのは、新潮文庫の江川卓・訳だ。こちらは昭和44年12月30日発行である。不思議な縁だ。ぼくは昭和44年12月生まれ。「ぼくは病んだ人間だ……ぼくは意地の悪い人間だ。」という書き出し。主人公は「ぼく」である。安岡治子・訳は2007年5月20日発行である。「俺は病んでいる……。ねじけた根性の男だ。」という書き出し。主人公は「俺」である。『地下室の手記』は、「

          2013年の作文・10月

          2013年の作文・9月

          2013.9.1 マルセル・カルネの回想が引用された箇所を引用する。 ──シャンソンかい? とギャバンがきいた。 ──そう、とプレヴェールが言った。 コスマはまずいくつかのアルページョ[和音を一音ずつ弾いてゆく奏法]を弾いた。次いで彼はゆっくりとはじめた。ささやくような声で歌いながら、指は軽く鍵盤に触れていく。 ああ 思い出しておくれ ぼくたちが恋人だった幸せな日々を メロディーがゆっくりと立ち上がる。哀調をこめて、心をとらえるように。そして最後は魅了して終わ

          2013年の作文・9月

          2013年の作文・8月

          2013.8.1 今朝、娘たちが、従姉妹と一緒に新幹線に乗って、軽井沢へ向かった。小学生3人だけの旅である。軽井沢駅では、ぼくの両親が迎えに来て、別荘へ。避暑地で、御祖父様、御祖母様と一緒に過ごせる娘たちは幸せだと思う。ぼくも学生の頃、夏は毎年のように軽井沢へ行っていた。ピアノを弾いたり、詩を読んだり、森を散歩したり、テニスをしたり、今から思えばずいぶん優雅な暮らしをしていたのだ。その頃から、有島武郎、室生犀星、堀辰雄、立原道造などの軽井沢ゆかりの文学者たちに興味を持つように

          2013年の作文・8月

          2013年の作文・7月

          2013.7.1 19世紀の哲学者フォイエルバッハを主人公にした戯曲。舞台は1845年のハイデルベルク。フォイエルバッハは友人で哲学者のクリスチャン・カップと家族ぐるみで付き合っていた。ところがカップの娘ヨハナ18歳がフォイエルバッハに恋をしてしまう。その時フォイエルバッハは41歳、家庭を思いやる優しい父親であった。カップとフォイエルバッハが不在の時、恋に狂うヨハナは意外な行動にでる。フォイエルバッハの妻ベルタに「あたしたち、お互いに愛し合っていますわ」と告白し、自分勝手な妄

          2013年の作文・7月

          2013年の作文・6月

          2013.6.1 親愛なるカムパネルラ ぼくは君の要請に応えるべく、壮大な思索の冒険に出ようと思います。 目的はズバリ「死を解き明かす」であります。 最愛のお母さんとお別れしなくてはならなかったというあまりに大きな喪失感をぼくは友人としてなんとしても埋め合わせなくてはならない。 君は「一言」で語りました。 「悲しくて、苦しいけれど、別離は自分自身で受け止める問題だと思う。」 たしかにそれは正しい結論だ。 しかしそれだけでおしまいなら、人間はなんと淋しい生き物なのだろう。 ぼく

          2013年の作文・6月

          2013年の作文・5月

          2013.5.1 今夜東京は雨、水曜日、で「雨のウェンズデイ」なんで、大瀧詠一を聴くのがぼくの習わしではあるのだけれど、くるりの「ばらの花」にした。実は早朝も雨で、ああ今日も雨の水曜日かあと思っていたのだが、午前は曇り、そして夕方ぱらついて、夜冷たい雨が降ってきた。歌詞の出だし「雨降りの朝で今日も会えないや」と、岸田くんの世界観が一気に飛び込んでくる。実によく耳にのこるピコピコ音とギター。ベースもドラムも、そしてコーラスも、ずっとローテーション。なんかいいな。ジンジャーエール

          2013年の作文・5月

          わたくしの吉原幸子研究2022年

          ☆吉原幸子研究その1。2022年1月1日から2月7日に記す。 2022から40を引くと1982。40年前わたくしは吉原幸子という詩人がこの世にいることを知らなかった。中1だった。興味はベストヒットUSAが教えてくれる洋楽のヒットチャートに限られていた。文学にも詩にも無関心だった。1932年生まれの吉原幸子さんは50歳。現代詩のど真ん中にいた。雑誌「現代詩ラ・メール」を新川和江さんと創刊したのが1983年であるからいよいよ戦闘開始の時期にあたっている。1982年9

          わたくしの吉原幸子研究2022年

          2013年の作文・4月

          2013.4.1 きょうぼくは裸で渋谷の街を練り歩きました、という嘘からはじめたい。ほんとうは黒のジーンズと黒のセーターを着て映画を観にバスで渋谷に出ました。「アンナ・カレーニナ」の前売りチケットを持っていたので、鑑賞。ストーリーを知っているお話を映画で改めて観るという経験はこれまでにいくつもあるけれど、トルストイの名作ですから期待はおのずと大きくなっていた。今回の映画は舞台上でのお芝居のように映像が展開していくとてもユニークな演出で、はじめはなかなか面白いと思っていたのです

          2013年の作文・4月

          2013年の作文・3月

          2013.3.1 引用を続けたいと思う。 《ぼくの知っていた紳士で、赤ぶどう酒の通だということだけを、生涯自慢にしていた男がいる。彼は、これを自分の積極的な価値と考えて、つゆ自分に疑いをはさもうとしなかった。そして、良心安らかに、というより、むしろ得々として死んでいった。そして、それはそれで、まったく正しいことにちがいなかった。だが、そのときのぼくは、またちがった道をえらぶに相違ない。なまけ者の大食らいはいいとしても、ただの平凡なやつではなく、たとえば、いっさいの美にして崇高

          2013年の作文・3月