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2013年の作文・6月

2013.6.1
親愛なるカムパネルラ
ぼくは君の要請に応えるべく、壮大な思索の冒険に出ようと思います。
目的はズバリ「死を解き明かす」であります。
最愛のお母さんとお別れしなくてはならなかったというあまりに大きな喪失感をぼくは友人としてなんとしても埋め合わせなくてはならない。
君は「一言」で語りました。
「悲しくて、苦しいけれど、別離は自分自身で受け止める問題だと思う。」
たしかにそれは正しい結論だ。
しかしそれだけでおしまいなら、人間はなんと淋しい生き物なのだろう。
ぼくは放っておけないのです。
まず人類の教師トルストイの言葉に耳を傾けましょう。
≪人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。≫
これは『人生論』という長い論文の結びの言葉です。
トルストイは58歳の時、生死をさまよう病におかされました。その時、ある婦人が「もし万人にとって必要なトルストイのような人間まで死なねばならぬとしたら、死はいったい何のためにあるのか?」という質問をしました。
この質問に対する返事が『人生論』の草稿になったそうです。
トルストイの生死観、生命観が詳細に語られたこの大論文を手がかりにしながら、ぼくはぼくたちの生命と死を完全に解明したいと考えています。トルストイはまたこの論文の補足で次のように言っています。
≪今の時代に、理性を素通りして、信仰を通じて精神的な内容を人間にそそぎこもうとするような試みは、口を素通りして人間にものを食べさせようとする試みにひとしい≫
と。これを鉄則にしてぼくらは人類史上最大の難問に挑戦しなくてはならないのです。
 
 
2013.6.2
親愛なるカムパネルラ
トルストイの結論が≪人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである≫とすれば、ぼくらはそれを納得いくまで吟味しなければならないでしょう。
君は不幸になりたいですか?
ぼくは幸福になりたい。どうしたってそれは否定できません。なのに、それを人生のなかで感じることができる時間はあまりにも限られているではありませんか。
テーブルにおいしいケーキと紅茶が用意され、気の合う仲間と気のきいた会話を楽しむ。そういう時間はあっという間に過ぎ去り、明日には煩わしい仕事が待っている。そこには憂鬱と倦怠、侮辱と軽蔑が漂い、生きようとするほんのわずかな動機さえ簡単に奪い去るのです。
人生は苦しみの連続であると言った方が多くの支持を得られるにちがいありません。
さて
ぼくらはどうして苦しむのでしょう。
ぼくらはどのように苦しいのでしょう。
ぼくらの苦しみにどんな意味があるのでしょう。
死を解明することと、この苦しみについて考えることとは密接なつながりがあるということをトルストイは主張しています。
≪地上の生存の苦しみの説明しがたさは、生命が誕生によってはじまり、死によって終る個我の生命ではないことを、何より説得的に人に証明してくれる≫
として
トルストイは真の生命と個我の生存を区別し、真の生命は永遠につづくと考えています。
そうでないとすれば、地上で受けなくてはならない生存の苦しみからなんの意味も見いだせなくなってしまうからです。
生と死を超えた永遠の生命から、現実の苦悩を見つめようとするのです。
 
 
2013.6.3
親愛なるカムパネルラ
ぼくらは、ここで「永遠の生命」を前提にすることはできない。なぜなら理性がそこに到達するには、大きな飛躍が必要だからです。
宗教ならそういう結論を説くだけで済んでしまうのだろうけれど、哲学はそうはいかない。証明は道理にかなっていなければなりません。
だからトルストイの証明もまた、結論からではなくちょうどその逆になっているのです。「生命が永遠だから人生の苦しみに意味がある」のではなく、「人生に苦しみがあるからこそ生命は永遠でなければならない」というわけです。
ここで様々な類推を試みたいと思います。
ぼくが高校生の時、日航ジャンボが墜落し、多くの人命が一瞬にして失われました。その中には、「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さんも含まれていました。その報道に接してたいへんなショックを受けました。どうして彼らは同じ飛行機にのりあわせたのか? そしてなぜ墜落機に乗らねばならなかったのか?
考えれば考えるほど理不尽な気がするのです。これは他人の死を見て感じた初めての不安でした。もしそこに友達が乗っていたら、家族がいたら、そして自分がいたら、そう思うと言葉にならない恐怖に襲われるのです。
(なんだ、死というのは案外かんたんにある日突然にやってくるものなのかも知れない。なにも飛行機事故だけが死の入り口ではない。交通事故、火災、震災、台風、洪水、疫病、通り魔、医療ミス、などいくらでも死は口をあけて待っている。そこには予知できぬ偶然が潜んでいるのだ。)
そういう思いに到達した時、世界がどんと重くなり、支えきれない不安と恐怖にぼくはおののいたのです。
そうです。もんだいは「偶然」という概念なのです。
九ちゃんは偶然にその飛行機に乗り、飛行機は偶然に故障し、偶然に墜落した。九ちゃんは偶然に日本に生まれ、偶然に歌手になり、偶然に「上を向いて歩こう」を歌い、曲は偶然にヒットした。
同じように、ぼくも偶然に母から生まれ、偶然に成長し、偶然に高校生になり、いつか偶然に死んでゆくのか?
「人生は偶然に支配された意味のない出来事である。」
不慮の事故を目の前にすると人はそういう思想に囚われてしまうのです。
 
 
2013.6.4
親愛なるカムパネルラ
偶然という概念に囚われると、それまでじぶんをあたたかく育んでくれていると思っていた世界が、急に冷えきった無情の世界に見えてきます。
世間の風は冷たいばかりか、この世の風は残酷ですらある。人は簡単に殺され、民族は不条理に虐殺されてしまう。戦争や革命によって失われた数えきれない死者のことを考えると、人の生と死は、世界にとっては、とるにたらない出来事なのではないかとさえ思えてくる。震災での多くの犠牲もそうです。彼らはなんのために生き、何ゆえに死なねばならなかったのか?
偶然という概念は、生命をどこまでも軽いものにしてしまうのです。ぼくの誕生が偶然ならば、死に至るまでの人生も偶然に左右されているし、ぼくの前に現れるすべての人々もまた偶然の出会いと別れを繰り返す存在です。この考えを突き詰めると、歴史に名を刻んだ英雄たちから無名の庶民に至るまで、みな偶然にこの世界に現れ、消えていったことになります。
トルストイは書いています。
≪パスカルやゴーゴリの死は、まだ理解できる。しかし、シェニエや、レールモントフ、そのほか何千という、この地上でさぞ立派に完成されえたと思われる内面的活動をやっとはじめたばかりのような気がする人たちの死は、いったいどういうことなのだろう?≫
 
2013.6.5
親愛なるカムパネルラ
ぼくはここで逆転の発想をしてみたくなります。よし偶然を認めよう。ぼくがこの世に生まれたのは偶然であり、生まれたのが20世紀であったのも偶然、日本の東京で日本人の女性を母としたのも、先に姉がいたのも偶然、これまでの歩みはすべて偶然に進められたとしよう。
するとぼくの母も、そのまた母親も、祖先がすべて偶然にこの世に生まれ消えていったのだ。
地球上に人類が栄える以前の恐竜たちも、生物が誕生する以前の地球も、太陽系が渦を巻いているのも、偶然の出来事である。
それでは一切が偶然に支配されたこの世界は、なぜ存在するのか?
存在しなくてもよかったのなら、存在しなければいいのに、わざわざ世界が存在するのはどういうわけか?
銀河系のなかに太陽があり、太陽系の第三惑星が地球で、その地球に生命が誕生し、その活動の果てにこのぼくがいる。しかも偶然に!
これほど不思議なことはありません。
こうして一切が偶然であるという考えを突き詰めると、背理としての神秘主義に到達してしまうのです。
これを言い換えると、
「偶然の世界は必然的につくられた」
となります。
そして200年後、今生きている人間は全員この世界から姿を消しているのです。
 
2013.6.6
親愛なるカムパネルラ
世界が偶然の産物であると考えると、その極限で必然性が出てくるという事態をウィトゲンシュタインは次のように表現しました。
≪世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ。≫
百年前に存在しなかったぼくたちが今こうして、じぶんを通して世界を見ている。そして百年後にぼくたちはじぶんが存在しないことを知っているのです。
じぶんがどこから来てどこへ行くのかは知らない。しかし今ここに世界を見つめる目をもったぼくという生命が確かにあるという事実!
これ以上の驚きはありません。
ぼくたちは眠りから目をさます。するとそこには説明なしに世界がある。世界には様々なモノがあり、それぞれに記憶をよびさます色かたち匂いぬくもりがある。ぼくの心臓が勝手に動いている。ためしに深呼吸をしてみる。ぼくはぼくであることを思い出す。
この時、ぼくはいちばん大切なことを忘却するのです。世界が説明なしに存在する神秘を、その驚きの事実を!
 
 
2013.6.7
親愛なるカムパネルラ
ぼくらは、意識がはっきりしている時の世界を正常であるとみなし、意識のはっきりしない時に見る世界を妄想や幻覚などの不明瞭なものとして軽視しがちです。
しかし、ほんとうはどちらがより新鮮でリアリティがあるでしょうか?
もしかすると意識が働く以前の世界の方がより本質的で根源的であるかもしれないのです。少なくともそこには驚きがあります。不思議があります。感動があります。未知があります。
記憶に基づいて再構成された世界は、経験と偏見と好き嫌いの色眼鏡によって見られた世界であり、そこにはみずみずしい現実が失われている。「なんだこれは?」という感嘆がありません。
ぼくが云う現実とは、
たとえば岡本太郎なら、
「ん……わからない。わからないけど……そ、それは爆発だ!」
と目をむいて叫ぶところの裸の現実です。
記憶や記号に基づく現実ではなく、現実そのものへの直接介入をぼくたちはすっかり忘れてしまっているのではないか。
 
 
2013.6.8
親愛なるカムパネルラ
目を覚ますと、そこには昨日となんら変わらぬ冷蔵庫や食器棚、テレビやパソコンがある。人はそれを見て、現実が続いているのだと思う。そしてつい先ほどまで見ていた夢の世界は幻であったとあきらめる。
記憶は昨夜と今朝が連続していることを強制してくるのです。そしてこの認識が間違いないことをカレンダーや時計、誰かからの電話などが証明してみせるのです。
では、ぼくたちが記憶している〈この現実と呼ばれている世界〉の情報はほんとうに正しいのであろうか? 冷蔵庫がほんとうはタイムマシーンで、じぶんの部屋が実は宇宙船であるという事態は有り得ないことなのか?
意識を信用しすぎて、僕たちは間違った世界観の中で生きてしまっているのかもしれないのです。
出られるか?
救急車のサイレンが遠ざかってゆきます。
思索をやめて仕事の準備に取り掛からなくてはなりません。
ユーミンの曲を流しましょう。
 
◇やさしさに包まれたなら 荒井由実◇
 
小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
おとなになっても 奇蹟はおこるよ
 
カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ
 
小さい頃は神さまがいて
毎日愛を届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 ひらくときは今
 
雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ
 
 
2013.6.9
親愛なるカムパネルラ
トルストイは書いています。
≪わたしは五十九年生きてきたが、その間ずっと自分というものを自分の肉体の中の自己として意識してきたし、自己を自己として意識することがわたしの生命でもあった、という気がする。しかし、それはわたしの気のせいにすぎない。≫
彼もまた意識を信用してはいない。肉体の消滅と共に消えてしまうであろう意識を、じぶんのよりどころにするには、意識などというものはあまりに儚いからです。
≪すべての根本である意識は不変のものに違いない、という気がする。しかし、それも誤りである。意識も不変ではない。≫
とも書いている。
考えてみれば、小説に夢中になっている時の意識、お腹をこわしている時の意識、恋人とおしゃべりを楽しんでいる時の意識、明日のことで思い悩んでいる時の意識、眠りにつこうとしている時の意識など、どれひとつとして同じ意識はないし、どれがほんとうの意識であるかなんて決めることはできないのです。
こうなると意識がとらえた世界をリアリティとするには、疑念が残ります。裸の現実は、説明できない領域に属しているのではないか。むしろ、それは言葉にしてはならないのではないか。そう思えてくるのです。
そう思っているのに、ぼくたちはそれを言葉にしてつかもうとします。
言葉はそれをあきらめようとしないのです。
 
 
2013.6.10
死が解明されないと前に進めなくなってしまった人に向けて、ぼくは考察を続けよう。
しかしそう簡単に解明できるものではない。むしろ解明などできないのかも知れない。これは無謀な試みであろうか。
ぼくたちはみな死を経験したことがない。これは案外、盲点である。にもかかわらず、死に関する論考、研究、感想、意見などは山ほどある。そして、だれ一人として死を知らない人はいないのである。
身内の死に遭遇した人はいくらでもいる。しかしそれは死の体験ではない。臨死体験の話もたくさんあるがそれも死の体験ではない。つまり、ほんとうに問題なのはやがて訪れるであろうじぶんの死であり、その意味なのだ。それ以外は、おそらく死の問題なのではなく、死をきっかけにした喪失の問題なのだ。身内の死、友人の死、知人の死などが、問題になる場合、それは取り返しのつかない喪失がぼくらを苦しめるのであって、それに死が関わっているというだけの話なのだ。
吉田一穂の「母」という詩がある。
 
   母
 
あゝ麗はしい距離(デスタンス)
つねに遠のいてゆく風景……
 
悲しみの彼方、母への
捜り打つ夜半の最弱音(ピアニシモ)。
 
 
ここには紛れもない母を失った人間の普遍的な喪失感がうたわれている。そして、宇宙が膨張を続けているように、現在進行形で遠のく、かけがえのない存在への遥かな悲しみだ。
これが死? 否、これは死そのものではない。死をきっかけにしてぼくらに付着して離れない喪失感なのだ。
 
 
2013.6.11
ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』のなかで次のように書いている。
《6・4311 死は人生の出来事にあらず。ひとは死を体験せぬ。/永遠が時間の持続のことではなく、無時間性のことと解されるなら、現在のうちに生きる者は、永遠に生きる。/われわれの生には終りがない。われわれの視野に限りがないように。》
論理を尽くすと、死を生のなかで解釈することが不可能であるということが見えてしまう。そして永遠なる死後の世界などというものもナンセンスと化す。ヴィトゲンシュタイン(またはウィトゲンシュタイン)は、このような哲学的考察を第一次世界大戦の戦場で、前線の一兵士として日記に書きとめていた。これは実に象徴的なエピソードだ。戦場で死を前にした人間が、「死は人生の出来事にあらず」と書き記すのだから。
《6・4312 人間の魂の時間的な不死、いいかえれば、魂が死後も永遠に存続するということ、これにはどんな保証もないし、それどころかこれを仮定したところで、ひとがそこに託した希望はけっして満たされない。そもそも、わたくしが永遠に生き続けることによって、謎が解けるというのか。そのとき、この永遠の生命もまた、現在の生命とひとしく、謎と化さぬか。時間・空間のうちに生きる生の謎の解決は、時間・空間のかなたに求められるのだ。/(げに、解かれねばならぬ問いは、自然科学のそれではない。)》
ぼくはこの二つの断章が好きだ。東洋的な直観の英知に匹敵するひらめきだ。しかも言葉を丁寧に選び、論理を尽くした命題として表現されているのだ。なんども読んで吟味する価値のある言葉だと思う。これは詩である。
 
引用は『論理哲学論考』(坂井秀寿訳、法政大学出版局)より
 
 
2013.6.12
台風の影響で、今朝の東京は雨。雨の水曜日ということで、「雨のウェンズデイ」を聴くのが習わしではあるのだが、なぜか今日はオザケンの声が聴きたくなった。スローなテンポのラテンのリズムで、のびやかに歌う小沢健二さんの鼻にかかる独特な声。この歌に出てくるような優しい雨になってくれるといいのだが。
 
◇おやすみなさい、仔猫ちゃん!  小沢健二◇
 
みんなが待ってた雨が いつか降り出していた
君と会ってた時間 僕は思い出してた
空へ高く少し欠けた月 草の上に真珠みたいな雨粒
ほんのちょっと残ってるそんな時だった !
ディズニー映画のエンディングみたいな
甘いコンチェルトを奏でて
静かに降りつづくお天気雨
 
生まれたての蝶が羽根をひろげ飛び立つ
こっそり僕が見てた 不思議な物語
空へ高く虹がかかるように 暖かな午後の日射しを浴びて飛べ
それはとても素敵なシーンだった !
ディズニー映画のエンディングみたいな
甘いコンチェルトを奏でて
静かに降りつづくお天気雨
Come on !
 
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
涙のつぶのひとつひとつ
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
ガラス玉にとけてく夕べ
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
僕の書きかけのメロディー goes tru……
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
終わることのないオルゴール
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
ひそかにささやいてる天使
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
南の島で吠えてるよムーン・ドッグ
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
とてもとてもきれいな世界
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
君と僕のつづくお喋り
 
空へ高く少し欠けた月 草の上に真珠みたいな雨粒
ほんのちょっと残ってるそんな時だった ! WOH !
ディズニー映画のエンディングみたいな
甘いコンチェルトを奏でて
静かに降りつづくお天気雨
 
夏の嵐にも冬の寒い夜も
そっと明かりを消して眠ろう
またすぐに朝がきっと来るからね
Come on !
 
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
涙のつぶのひとつひとつ
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
ガラス玉にとけてく夕べ
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
僕の書きかけのメロディー goes tru…
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
終わることのないオルゴール
“ Where do we go ?  Where do we go, hey now ? ”
君に届けるのさもうすぐ
 
 
2013.6.13
はやく雨が上がってくれればいいのに、それで空一面がぜんぶ虹になってくれればいいのに、と思いながら一日を過ごした。松田聖子のデビューシングル「裸足の季節」のB面(カップリング)曲のタイトルは「RAINBOW~六月生まれ」である。別に聖子ちゃんが6月生まれだというのではない。この曲が6月という季節を詠っているだけだ。ぼくが最初にこの歌を聴いたのは、B面曲を集めたアルバム『Touch Me,Seiko Ⅱ』である。デビューシングルの「裸足の季節」はCMソングとして起用されたので、誰もが耳にしている。10歳だったぼくも、「ああ、なんかいい声だなあ」と思ったものだ。しかし、レコードを買ってファンになるという年齢でもなかったので、B面曲までは知らなかった。作詞は、三浦徳子(みうらよしこ)さんである。三浦徳子さん作詞のヒット曲はたくさんあるが、作詞が三浦徳子さんであるということを知らない人は案外多い。郷ひろみ「お嫁サンバ」、八神純子「みずいろの雨」「パープルタウン」、吉川晃司「モニカ」、杏里「CAT`S EYE」、TUBE「ベストセラー・サマー」、などなど。昭和歌謡の重要なナンバーが揃っている。もちろん聖子ちゃんの「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」「チェリーブラッサム」「夏の扉」の5つのシングル他、初期アルバム『SQUALL』『North Wind』『SILHOUETTE』の三枚のほとんどの曲を担当している。シングルA面以外にも、ほんとうに優れた詞を書き続けて下さったのだと改めて感嘆している。雨よ、六月の雨よ、はやく虹になれとの思いを込めて。
 
◇RAINBOW~六月生まれ  三浦徳子◇
 
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
 
一人頬杖ついたテーブル
窓の外では街が濡れてる
あなたの瞳 空に広がり
ささやくの好きさと
急いで私 紅茶を飲むの
誰かが見てた そんな気がして
読みかけの本 パタンと閉じた
恋になるわ
 
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
六月の雨のやさしさで
あなたが好き
 
少しひんやりしてる街並
白いベンチもみんな濡れてる
あなたの声が風を伝って
私をつつむのよ
部屋の鏡に映る私は
ちょっと愁いを含んだ素振り
深いため息 ハートの形
恋になるわ
 
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
六月の雨のやさしさで
あなたが好き
 
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
Rain rain rainbow  Rain rain rainbow
六月の雨のやさしさで
あなたが好き
 
 
2013.6.14
都議選告示。東京都民はどれほど関わり、関心を示しているだろう。20歳になったら投票する権利を獲得する。平等に一票が与えられている。給料や待遇や家柄や血筋が違っていても都民であれば一票だ。票がお金で売買できるようになったらどうなるだろう。棄権する人は、それが例えば千円で売れるとなれば、売り出すに違いない。支援者は、じぶんが無理してでも票を買い集めるにちがいない。そうなると、お金のあるところに票が集まる。お金持ちが当選者になり、お金持ちが政治をすることになる。お金持ちは、どんな政治をするだろう。きっとまたお金が儲かるような政策を実行するだろう。景気はよくなるだろう。他の国との競争にも勝つだろう。どこか今の状況に似ている。お金持ちが世の中を牛耳ることが許せない人々は、票の売買を禁止するだろう。お金儲けだけが国の目的ではないと主張し、恵まれない人々に分配することを優先させるだろう。経済優先の社会から福祉優先の社会を目指すだろう。景気は悪くなっても、他の国との競争に負けても、平等であることが正義であると言い訳するだろう。どこか民主党政権時代に似ている。実際には票の売買はできない。しかし、まるで票は株のように流動している。予測は不可能である。都民全員が投票すると全く違った結果になるだろう。一度でいいから棄権ゼロの結果がどうなるか見てみたい。応援したい候補がいない人は誰を選べばいいのか。支援している政党がない人はどこを支持すればいいのか。棄権する人々の声をもっと真剣に受け止める場所が必要だと思う。その声に耳を傾け、その声を吸い上げることができたら、その人は革命を起せるに違いない。
 
 
2013.6.15
選挙のさなかだからあえて一票について考えてみる。人はじぶんが一票でしかないことに不満を持っているのではないか。よく「尊い一票」「清き一票」などと表現されているが、ぼくらにしてみたら「たかが一票でしょ」という思いも確かにある。じぶん一人が棄権したくらいでなんら結果には影響しないのだと。たぶんそれも真実なのではないか。選挙権がなくても、この同じ日本で一生懸命働き、法律を遵守し、良き市民であろうとしている在日外国人の人たちはたくさんいる。それに比べて、投票できるのに、日本が嫌いで、社会がどうなろうと関係ないと思っている日本人だってかなりいるだろう。一票に価値があると思う人がいる一方で、一票になんの価値も感じないという人もいる。だからぼくはきのう「票を売買する制度」をあえて提唱した。たとえば、どんなに働いても給料が同じという会社があったら、従業員はどのような行動をとるだろう。働き者はやる気を失い、怠け者はますます怠けるだろう。人間の欲望は単純である。働けば働くほど給料や待遇がアップすると思うから、向上心は生まれる。その論理でいけば、だれでも平等に一票というシステムには、人間から興味を失わせるものが必然的に潜んでいることになる。もし子どもが三人いる母親にプラス三票与えたら、出生率は上がるのではないか。これは少子化対策の起爆剤となる新しい政策となるだろう。納税が三倍の人にもプラス三票与えよう。どんどん新しい事業が生まれ、雇用が増え、税収が上がるだろう。思い切って一人一票という神話を崩してみるべきではないだろうか。わが家には未成年の子どもが三人いる。一家で五票もっている。政治家に命令できる。うちは五票だぞ、しっかりやれ! 一人一票制度の時よりも、福祉は向上するのではないか。未成年者の意見だってそれで反映できるかもしれない。お父さん、もっと自由に遊べる広場がほしいよ。空き地を開放して、ドラム缶で寝泊りできるようにしてよ。そうだな、うちは十二票あるから、ちょっと強く言ってみるか。てなことにはならないかもしれないが。
 
 
2013.6.16
小雨降る午後、地元の地域センターにて期日前投票を済ませた。なんでも先に済ませてしまうのは気分がいい。仕事のさなか、運転しながら深夜のラジオ放送を聴くことが多い。土曜の深夜(日曜日の午前1時から)のJ-WAVEでやっているロケットマンショーをぼくは毎週聴く。ナビゲーターはロケットマン(ふかわりょう)。今回の放送にはゴルゴ松本がゲストで生出演した。仕事しながらなので断片的にしか聴けないのだが、ゴルゴさんがけっこう示唆に富んだ話をしてくれた。きわめて衒学的な話ではあるが、面白かった。覚えていることだけ書いておく。「かがみ」という言葉から「が(我)」をぬくと「かみ」になる。神の前で我を観るのが鏡である。「かがみ」という音からそれが導けるとは驚いた。しかし学術的な根拠はない。どこかの神社でそれを真面目に語っているかもしれないが。左手と右手について、「ひだり」の語源は「火足りる」で、「みぎ」の語源は「水極まりて」であるという。これも学術的には根拠のない話だが、神道的な解釈だと思う。これに従えば左手と右手を合わせる合掌は、火と水を合わせる意義をもつ。それで火(か)と水(み)だから「かみ」(神)になる。神の語源は諸説ある。アイヌ語の「カムイ」から出たというのが濃厚だが、火と水の合成で神というのは説得力があるなあ。生命誕生に必要な太陽と水。だから火が日でもよいかもしれない。または太陽の意味での日なら陽でもよいだろう。したがって陰陽道的な解釈も可能だ。そういえば井上陽水さんの本名が陽水(あきみ)だそうで、文字通り太陽と水からできているわけで、さしずめ陽水さんは神なのだ。ことば遊びの域をでないのだが、こういう話から本質に辿り着くことだってなきにしもあらず、である。ゴルゴさんと「命」との出会いの話も興味深かった。ここに書いたことはあくまでも伝聞である。真に受けて人に話すと、とたんに燃え広がりそうで心配だが、面白いのでやっぱり書いちゃった。
 
 
2013.6.17
「かみ」の話題で、文献にあたってみよう。中西進『ひらがなでよめばわかる日本語』新潮文庫に「かみ」という項目で次のように書いてある。
《「かみ」の語源には諸説、それこそ十指を超えるほどの説があり、一般的に支持されているのは、「かくりみ(隠り身)」だということになっています。「かみ」は姿が見えないものだから、「隠れた身」だろうと。/でも私は、それを素直に信じることができない。「かくりみ」だとすると、なぜ「くり」が抜け落ちたのか。その法則が、どうしても説明がつかないのです。/いろいろと考えあぐねた結果、私は「かみ」は、韓国語の「コム」なのだと思うようになりました。/「コム」とは熊のことです。そしてこの「コム」が日本では、熊の「クマ」、神の「カミ」なのではないかと考えています。古代朝鮮民族には、熊を神とする信仰がありました。》(102頁~103頁より)
音韻は地方によって変化する。ローマ字表記だとKOMU→KUMA、KOMU→KAMI、でかなり飛躍がありそうだが、時間と場所が離れればそういう変化もあり得る。ついでにKOMU→KOMA、KOMU→KOME、KOMU→KAMU、KOMU→KAMO、KOMU→KAME、KOMU→KUMO、などの派生も考えてみるとおもしろい。わが家ではクマがほうぼうで活躍している。娘たちは、クマのプーさんやダッフィーとシェリーメイのぬいぐるみをとても可愛がっている。お皿とカップにはリラックマ。ノートはサンリオのTENORIKUMA。くまもんはやっぱり熊なのか? するとドットコムの「コム」は現代の神か? 
《また日本でも、アイヌ民族は熊を「カムイ」とよびます。「カムイ」とは神のこと。熊は「カムイ(神)」とよばれるほかに、名をもっていないのです。/このアイヌ語の「カムイ」については、「かみ」という日本語が北海道に伝わって、それから神様をカムイとよぶようになったのだとする説もあります。/しかし、もしそうなら、日本人と接触する前に、アイヌ人は「かみ」という概念をもたなかったということになります。「かみ」という概念をもたない民族がいるなど、世界でもありえないことでしょう。/このように朝鮮民族とアイヌ民族は熊を、神を意味することばでよんできた。熊を神とよんできたのです。/そして、欧米でも同じことがいえます。英語で熊は「ベアー」ですが、これは神を意味します。また、ケルトを治めたアーサー王の「アーサー」ということばもまた、熊のことです。アーサー王とは熊王、つまり神なる王なのです。》(103頁~104頁より)
プーさん、けっこうやべえかも。黄色い熊だし。神だわ。ああ神と熊。これ以上考えていると目にクマができるわい。
 
 
2013.6.18
日本語の達人のことばに耳を傾けてみよう。井上ひさし『日本語教室』新潮新書から、引用する。
《私は東北出身ですので、きょうは東北に有利な展開をしていきます(笑)。/まず簡単にいいますと、いまの東北弁が全部日本を覆っていたんです(笑)。いや、ほんとうですよ。これからちゃんと立証しますから。東北弁こそが日本の原縄文語なんです。あるいは縄文語と言ってもいい。誰も信じていらっしゃいませんね(笑)。それは当然です。何の証拠もないんですから。ただ、出雲は東北弁なんですよね。出雲の人は、たとえば「山形県ちじ」とは言えないんです。「山形県つず」になります。それから「日本ちず」とも言えません。これは出雲と東北地方の大きな特徴なんです。》(75頁より)
いやあ、東北出身の友人に話したらきっと喜ぶべ。太宰治なんかもドヤ顔すんでねえか。宮沢賢治ばんざい!
《それから沖縄もそうなんです。東北と出雲と沖縄にいわゆるズーズー弁が残っています。「ち」と「ず」と言い分けることができないわけですね。いまでは訛っているということになりますが、縄文時代には、そういう意識はもちろんありません。「知事」は当然いませんでしたし(笑)、「ち」と「ず」が一緒でかまわないという、そういう音韻体系を持っていたのです。》(76頁より)
山之口貘さんは沖縄出身じゃ。いいぞ、いいぞ。原縄文語連合を結成して、弥生に対抗していくべ。
《ちょっと整理しましょう。まず東北弁があった──非常に便利なので東北弁といっておりますが、これは考え方です──そこに高い技術を持った人たちが入ってきた。その人たちが、ふだんは東北弁と自分たちの言葉をチャンポンにしながら言葉を変えていった。奴隷が使う英語、フランス語のようなものです。しかし、技術の言葉は、東北弁には翻訳できませんから、そのまま使うわけですね。で、そのうちに出雲との戦いが始まりました。出雲はなかなか帰順しなかったけれども、最後はやっつけられてしまった。でも、出雲は精神的には降参していないのです。そこで、古くから日本列島にあった言葉、つまり東北地方の音韻と似たような音韻が出雲に残ったのではないかなと私は思っています。少しは信憑性が出てきたでしょう? どなたも頷いてくださいませんね(笑)。》(84頁より)
ぼくは頷いてしまったのだ。
 
 
2013.6.19
ぼくの街は雨の水曜日だった。小降りだけど。恒例の「雨のウェンズデイ」を聴いた。ついでに「バチェラー・ガール」も聴いた。
歌詞は共に松本隆さんだ。「雨はこわれたピアノさ/舗道のキーを叩くよ」、このフレーズすごいよね。
きょうは眠い。なんだか眠い。
石川啄木の『一握の砂』から一首
《たんたらたらたんたらたらと雨滴が痛むあたまにひびくかなしさ》
読みとしては次のようになるかな。
たんたらたら
たんたらたらと
あまだれが
いたむあたまに
ひびくかなしさ
ぼくは雨だれが好きだ。幼少の頃に住んでいたアパートの屋根から落ちてくる雨だれの音が好きで、よくひとりで物思いに耽っていたのを思い出す。センチメンタルの原型は雨だれにあるような気がする。ひとりぼっちが淋しくて悲しいのだけれど、そういうじぶんが少し可愛いような気持ち。そういう気分に外の雨がよく似合うのだ。
 
 
2013.6.20
井上ひさしさんの話が面白いので『日本語教室』(新潮新書)から引用します。
《私たちはいま、昔からのやまとことばである和語と、中国から借り入れた漢字を使った漢語と、欧米から借りた外来語を一緒にして、微妙に使い分けながら生活しています。たとえば「ひとつ」はやまとことばですね。「一(いち)」となると、これは漢語です。それから「ワン」という外来語を使うことがあります。あるいは「ひと」はやまとことばで、「人間」は漢語、そして「マン」という英語、これらを私たちは微妙に使い分けています。「(店を)ひらく」というやまとことば、「開店」という漢語、それから「オープンする」ともいいますね。これは、「開店する」という、漢語+「する」の使い方と同じです。》(91頁より)
ことばは、覚えてから使うのではなく、使っているうちに覚えるものであるために、それがやまとことばなのか漢語なのか、あるいは外来語なのか、そういうことを意識しながら喋る人はいない。だから、あらためてそれを指摘されるとハッとする。
《ふだんはあまり気にしていませんが、私たちは三種類の言葉を本当に微妙に使い分けているのです。「きまり」やまとことば、「規則」漢語、「ルール」英語、これをどういうふうに使い分けているか。家庭で子どもがなにかをするときに、「それはうちのルールですよ」と言うと、かなりいいところのうちで、嘘くさい(笑)。「それはうちのきまりじゃないの」と言うと、まあぴしゃりとくる感じ。「うちの規則でしょう」と言うと、なんか、寄宿舎みたいな家という感じがしますね。これ、微妙に使い分けているわけです。その他、「わざ」「技術」「テクニック」、「おおい」「被覆」「カバー」、「すみ」「一隅」「コーナー」、「ためし」「試験」「テスト」。「あした試験がある」と言うと、それによって一生が変わるかなという感じが多少しないでもないですけど、「あしたテストだ」と言うと、毎日のテストか一週間に一度のテストか、まあ、たいしたことないかな、ちょっと映画でも見に行こうというような程度です。「あしたためしがある」と言ったって(笑)、「えっ?」と聞き返されるだけでしょう。/こうやって、微妙な使い分けを、私たちはほとんど意識せずにしているのです。「かたち」「形態」「フォーム」、「えらぶ」「選択」「チョイス」、「とまる」「停止」「ストップ」、「切る」「切断」「カット」などなどたくさんあります。》(92頁~93頁より)
日常のことばの中から、漢語と外来語を取り除いて「やまとことば」だけを抽出してみる作業をしてみたくなった。たとえば、漢字で表記されていても、訓読みすると、たいがいそれが出てくるようだ。「見る」「聴く」「話す」は、「みる」「きく」「はなす」でやまとことばである。「見聞する」「聴講する」「会話する」だと、漢語+「する」のパターン(←でた外来語)だ。こうした日本語の三重構造(←でた漢語の四文字)を常に意識しながら、話したり、書いたりしていたら、そうとう疲れるだろうな。でもひらがなもカタカナも共にもとは漢字から作られたのであるから、不思議だな。「やまとことば」には文字がなかったのだから。
 
 
2013.6.21
雨がこわれたピアノであるような一日だった。横断歩道の白と黒はまるで鍵盤のように見える。稲垣潤一が歌ってヒットした「バチェラー・ガール」。作詞は松本隆、作曲は大瀧詠一のゴールデンコンビである。1985年、15歳のぼくは高校一年生で、剣道部に所属していた。夏の合宿、先輩の一人が稲垣潤一のファンで、ウォークマンからバチェラー・ガールのメロディーがこぼれていた。先輩のすすめでぼくも稲垣潤一を聴くようになった。雨の日には時々この曲が耳に流れる。しかしバチェラーという言葉の意味はずっと分からなかった。ある人に云わせると、バチェラーは「独身」を意味するそうだ。たしかに独身最後のパーティーをバチェラー・パーティーと云うらしい。しかしそれは男たちが新郎のためにひらくものだ。バチェラーは独身でも「未婚の男性」を指す。その他の意味として、大学でもらう学士号。バチェラー・ガールが、「学士女子」という意味だとしたら、それはそれでおもしろいのだが、ぼくにはぴんと来ない。たしかに大学を出てじぶんの道を歩むしっかりした女性というイメージはできるだろう。では「独身男性女子」か? これは誤訳でしかない。バチェラーには、なにかもっと他に意味があるのではないか。たとえば、商品や企業や団体や雑誌の名前として。クラリオン・ガール。ジュノン・ボーイ。ミス・セブンティーン。そういう類いのもの。じつは「バチェラー」という雑誌がある。大きな胸専門の雑誌だ。ぼくの友人に大きな胸が好きなSくんがいるので、訊いてみた。1970年代からある日本の雑誌で、もともとはアイドル雑誌からスタートし、大きな胸専門誌としては草分け的な存在であるとのこと。わお! 「バチェラー・ガール」という言葉が一気に現実味を帯びて立ち現れてきた。なるほど、雨のなかで別れた彼女は、彼にとって忘れることのできないほど胸の大きな女性だったのか。そういう解釈で、もう一度歌を聴いてみた。おおぼくのバチェラー・ガール! 考えすぎだよ、と叱られそうだ。
 
 
2013.6.22
きのうのブログ更新が、0時をまわってしまい21日付けの記事にならなかった。ここ数年、一日も欠かさず記事を更新してきたので、ちょっと残念である。理由は、ぼくの書いた文章の中に不適切な表現が含まれていて、それを修正するのに手間がかかったからである。「バチェラー」という言葉が雑誌の名前であることをつきとめ、それが「バストの大きな女性」専門のグラビア誌だったので、ぼくは何も考えずに「巨○」と表現していたのだ。○には「乳」という文字が入るのだが、これは身体の部位を強調する差別的な表現になってしまう(あるいは18歳以下に禁じられている性的表現になってしまう)ということで、ヤフーではこの「巨○」をブログで発表することができないようになっているようだ。しかし、今まで散々、記事を書いてきて、こんな機能がヤフーブログにあるとは全然知らなかった。ある意味で凄い。だからあわてて「巨○」を「大きな胸」と書き換えたのだが、時間に間に合わず0時を過ぎてしまったのだ。おそるべし「巨○」の呪い。ところで、バチェラー・ガールの「ガール」についてきょうは考えてみる。日本ではそれがいつ「ギャル」と呼ばれるようになったのか、それが知りたくなった。ぼくが「ギャル」と聞いて最初に思い浮かぶのは、フレンチ・ポップスの歌手、フランス・ギャルである。彼女が歌う「夢見るシャンソン人形」(1965年リリース)が好きで、ずっと、その名前をフランスの女の子という意味だと勘違いしていた。本名はイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャルで、ギャル(GALL)に女子の意味がある訳ではない。日本語の「ギャル」は、英語のGIRLのアメリカでの俗語GALから由来するそうだ。そして、その後、日本語の「ギャル」に文化的な意味が加わって、GYARUというローマ字表記が逆に海外に輸出されるまでになった。なんのこっちゃ。1979年にリリースされた沢田研二のシングル「OH! ギャル」の存在もぼくの中では大きい。そして、さらに紛らわしいのが「ギャルソン」というフランス語で、これは「男の子」という意味だから、こまっちゃうわ。「夢見るシャンソン人形」の邦訳は岩谷時子さんで、その日本語版もフランス・ギャルが歌っている。これが実にかっちょいい。
 
◇夢見るフランス人形  セルジュ・ゲンスブール(岩谷時子訳)◇
 
私は夢見るシャンソン人形
心にいつもシャンソンあふれる人形
私はきれいなシャンソン人形
この世はバラ色のボンボンみたいね
 
私の歌は誰でもきけるわ
みんな私の姿も見えるわ
 
誰でもいつでも笑いながら
私が歌うシャンソンきいて踊り出す
みんな楽しそうにしているけど
本当の愛なんて歌のなかだけよ
 
私の歌は誰でもきけるわ
みんな私の姿も見えるわ
 
私はときどきためいきつく
男の子一人も知りもしないのに
愛の歌うたうその淋しさ
私はただの人形それでもいつかは
想いをこめたシャンソン歌ってどこかの
すてきな誰かさんとくちづけしたいわ
 
 
2013.6.23
午前2時、西の空に出ていた月が大きくて、とても神秘的だった。地球に最接近するスーパームーンが今夜だったのだが、残念ながら東京の空は曇り。今朝の月を見ておいてよかったと思う。都議選終了。家の近くに設置されていた選挙事務所でばんざいが行なわれていた。彼らもまた明日から日常に戻らねばならない。1960年代のフレンチ・ポップスは、その後どのような影響を及ぼしたのであろう。フランス・ギャルやシルヴィ・ヴァルタンなどのようなルックスと歌唱力を兼ね備えた女性シンガーの存在は、日本の70年代、80年代のアイドルたちに受け継がれているようにも感じる。たとえば、シルヴィ・ヴァルタンが現役で活躍を続けていることと、日本の聖子ちゃんが今年も新曲を発表しコンサートを精力的に続けていることとは、なにか関係があるのではないだろうか。聖子ちゃんの新曲の歌詞に今回、フランス語が使われている。そういう意味でも、フレンチ・ポップスについて再考してみる良い機会かもしれない。ぼくの友人にそんな話をしてみたら、じゃあ俺はセルジュ・ゲンスブールにでもなろうかなと言っていた。男は、いつまでもおしゃれで色気がある方がいいと彼は言っていた。そのいちばんのモデルがゲンスブールなのかもしれない。
 
 
2013.6.24
◆かおからくだもの 2013.6.24◆
 

から

がのびて

から
葉っぱ
が生えたら

から

が咲いたのです
 
はなびらびらびら
くちびるびるびる
 

からあまい

がふたつ
 
かおからとれたくだものいかが
 
 
2013.6.25
◆そらびゅ 2013.6.25◆
 
まったく新しい空だった
これまでに一度だって見たことのない雲のかたち
水色の光線とオレンジの影
吸い込んだ酸素と窒素は新鮮そのもの
そらびゅ
若者には必要なのはセックスシンボル
彼はジェームス・ディーンになろうとした
ジョニー・デップになろうとする者もいるだろう
彼女がなりたかったのはマリリン・モンローかジェーン・バーキン
40歳を超えた頃からぼくはゲンスブールが気になるんだ とっても
そらびゅ
いい空だ
いい空には
いいそらしどれみがある
いいじゃないか
なにを言っているのか
実際このぼくにだって分からないんだ
もう誰も煙草を吸おうとしない
だけど
ぼくはピアノの前で煙草を吹かしながら
そらびゅ
シャンソンを適当に歌ってみたいのさ
 
 
2013.6.26
ある友人から彼女にふられたという連絡がきた。誕生日を一緒に祝うためにレストランを予約し美容院で整髪してもらい準備万端ととのえて臨んだのに、「わたしはそこにはいけません」とメールが一本届いただけ。窓の外はしとしと雨。彼にとってはあいにくのシチュエーションだが、きょうは水曜日、ぼくにとっては意味がある。彼に励ましの言葉の代わりに大瀧詠一「雨のウェンズデイ」をアカペラでプレゼントした。
 
哀しみにも慣れたね
いつも隣にいるから
君はクスッと笑い顔
とても綺麗だよ
さよならの風が君の心に吹き荒れても
ただぼくは知らん顔続けるさ だって今日は
WOW WOW Wednesday
 
こういうさりげないかわし方を覚えるのも大人のたしなみではないか。松本隆さんの歌詞は美しい映画のワンシーンのように心に焼きつく。そしてそれを歌う大瀧さんの声がそのイメージをいつも凌駕する。音楽としてさっと聞き流しているだけでも心地良い。だから深く歌詞の意味を考えずに聴いている人の方が多いかもしれない。でもぼくは「さよならの風が君の心に吹き荒れても」というフレーズで救われた気持ちがした経験をもつ。人はじぶんの思い通りには動かない。それが普通の事だって分かっていても、情はそれが許せなくて、いつも苛立ってばかり。そんな時、いいじゃないか、君は君で、ぼくはぼくさ、だから知らん顔を続けるだけ、なんて云えるようになっていたら、沈み込まなくてすむ。彼は訊くんだ「何を根拠にそんなこと云えるんだい?」。だからぼくは答えたんだ「だって今日は水曜日だぜ」て。
 
 
2013.6.27
◆アブサンと影 2013.6.27◆
 
新大久保を散歩
そしてランチ
じゅてーむ もわのんぷりゅ
サンジェルマンの日差しを思い返して
レイバンのサングラスをかける
彼はカフェでひとり待っていた
来るはずのない希望をひとり待っていた
まるでトカゲさ
つかんだと思ったら
シッポ切り離してスルリ
別れのことばを考えていたんだ
とりかえしのきかないチャンス
かけがえのない存在
どこにもない貴重なお宝
それをみすみす取り逃がしたんだよ 君は
悲しいなんて もあのんぷりゅ
でもやっぱり伝えたい最後の音声 じゅてーむ
まぶしかった太陽はすっかり沈んで
最後の列車の汽笛がなる あでゅ
彼はアブサンの入ったグラスにトカゲのシッポを入れて飲み干した
 
 
2013.6.28
シルヴィー・シモンズ(田村亜紀訳)『セルジュ・ゲンスブール ジタンのけむり』シンコー・ミュージックから引用する。
《フランスにはポップ・ミュージックと文学の融合にある種の伝統とでも言うべきものがあった──シャルル・トレネはヴェルレーヌの詩を音楽に仕立てたし、レオ・フェレもアポリネールで同じことをやり、真面目くさったジャン=ポール・サルトルさえジョゼフ・コズマの曲に乗せられてジュリエット・グレコに歌われた──が、セルジュが最初にそれを成し遂げたことにはならないにしろ、彼のずば抜けた真骨頂は文学的テーマを実に様々なテクスチャアのヴァリエーションで表現することが出来るという点だった。セルジュは意を決してジャック・プレヴェールの家に直接出向き、彼の名前を使う許諾を得た──自分の詞は文学ではないと強調する彼にしてみれば、急に自分のライティングに自信がなくなってしまったのかも知れないし、もしくはただ単に彼に会ってみたくて、その言い訳だったのかも知れない。午前10時にプレヴェール邸のドアをノックした彼は、かの詩人──ポップ・ミュージックの世界とは既に馴染みがあった(グレコとイヴ・モンタンが彼の〈詞〉を歌ったことがあったのである)──が楽しげにシャンパンをぐびぐびやっているところに遭遇し、喜んでそのお相伴に預かった。セルジュ自身の心にかなった人物だった。》(51頁より)
1961年リリースのサードアルバム『驚嘆のセルジュ・ゲンスブール』の1曲目、「プレヴェールに捧ぐ」という作品がある。ぼくは今、それが歌えるようになりたくて練習中だ。子どもたちからは「そのうた変」と云われてしまい、うけが悪いのだが、大人になれば分かるさと云って、くりかえし歌ってみせている。セルジュの若き日の声に少しでも近づけるよう、普段から背筋をピンと伸ばし低音で喋るようになった。じぶんでもおかしくなる。寝言も最近はフランス語が混ざるほどだ。しばらくこういう影響を受けながら、おフランスの世界に没入していこうと思っている。
 
 
2013.6.29
◆カレーライスの寓話 2013.6.29◆
 
おととい
ぼくはカレーライスを作って
子どもたちに食べさせました。
みんなカレーは大好きでよく食べてくれます。
しかし、作っている本人には何か自信がありません。
にんじんもじゃがいももたまねぎも豚肉も
あまりにもありきたりで、ルーだっていつものハウスバーモンドカレーだし、そこにいったいどんな工夫や努力があるっていうのか?
ぼくのカレーライスにはなんらオリジナリティがない。
でも子どもたちは
おいしいと言ってくれた。
父親のそんな考えを知らずに。
ああ知らないことがあること
ああ知らせられないことがあること
きのうの夜は
二日目のカレーを出した。
8歳の娘はもりもり食べた。
11歳の娘は玉子をかけた。
14歳の息子はキムチを入れた。
大人になるにしたがってトッピングという技が必要になってゆく。
そういうぼくは
今日のランチに
三日目のカレーにチーズをのせたんだ。
王様
あなたはカレーに
どんなトッピングを
お望みですか?
町のカレー屋のおじさんは
ひねくれもののキツネを打ち殺してカレーに入れて王様に食べさせようと考えました。
王様
あなたはそれをどう評価しますか?
キツネ肉
食べたい?
ぼくならあなたを切りきざんで
王様カレー
カレーの王様より新発売
で売りまくるかな。
おしまい
 
 
2013.6.30
恋人にふられた友人と話し合った。これからはシュールレアリズムとダンディズムに生きるよと彼は云う。じゃあ、〈シュールダンディズム〉をお互い究めようじゃないかとぼくは応えた。ぼくはもうすぐ44歳になる。彼はもう39歳だ。いい歳だ。でも年齢なんか気にしてちゃいけない。男はいつまでも男を磨くべきだ。おしゃれな服を着て、身だしなみも大切だし、言動も洗練されていかなくてはならない。内面と並行して外見も整えていく。おなかもぶよぶよじゃいけない。運動もしっかりやって、筋肉の衰えを防がなくちゃ。教養を身につけるための読書を怠ることなく、そして一流の芸術作品に触れていこう。今朝、道端でフランス人の女性ふたりに声をかけられた。渋谷に行きたいのだと云う。英語で答えたのだが、やっぱりフランス語も話せるようになった方がいい。フランス語でおしゃべりして、そのままお友だちになれるくらいに。メルシーボク。アイドル歌手のフランス・ギャルとセルジュ・ゲンスブールの関係について文献から少し引用しよう。
《皮肉なことに、セルジュに一時は音楽を止めようかとまで思わせたイエイエが、彼に初めてのチャートにおける大成功をもたらしたのである。そして哀れな幼いフランス・ギャルと違って、彼は転がり込んできた名声に少しも心煩わされることはなかった。/プレスはセルジュの可愛い歌う人形を〈停滞したシーンに吹き込んだ爽やかな一陣の風〉と表現し、彼女の〈快活さと熱心さ〉を書き立てた。ティーン雑誌はことさらスポットライトにまだ目が慣れないユーロヴィジョンもの優勝者に群がり、インタヴューで当たり前のようにずばずばと質問を浴びせた。セルジュはあなたにとって理想の男性ですか、と彼らは尋ねただろうか? いいえ、と彼女は言った。「私はブロンドで青い目の男の子の方が好きだから。でもセルジュのことは好きよ、だって〈変わってる〉もの」。彼と結婚を考えていますか? 「いいえ、でも彼の曲はこれからも歌っていきたいわ、だって彼の書く詞は私の本質を見事に捉えているから」。セルジュが次に彼女のために書いた二つの曲「Baby Pop(ベイビー・ポップ)」と「Les Sucettes(アニーとボンボン)」でセルジュが描き出した彼女の本質が、彼女自身の意図していたところとかけ離れていることに気づくには、彼女はまだあまりに世間知らずだった。》(シルヴィー・シモンズ(田村亜紀訳)『セルジュ・ゲンスブール ジタンのけむり』シンコー・ミュージック、65頁より)
十代の女の子に、ちょっと背伸びした大人の性的世界を歌わせるという手法、その元型がフランス・ギャルの「アニーとボンボン」である。アイドル歌手をヒットに導くひとつのパターンがここからはじまったと云ったら言い過ぎかもしれないが、1966年のヒット曲だ。山口百恵の「青い果実」が1973年、松田聖子の「青い珊瑚礁」が1980年、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が1985年、いずれも女の子の側からの性的解放を歌詞に盛り込んで、世のギャルソンたちの目を釘付けにしてきた名曲である。その20年も前にセルジュがつくった歌詞の意味は、日本の作詞家たちよりもはるかに過激な世界を裏に秘めているのだから、すごいわ。でも、裏の意味なんか気にしないでぼくらはこの歌を素直に聴いておくことにしよう。だってメロディはやっぱり優れていると思うから。ああ、きょう出会ったフランスの二人のギャルと、ぼくはこの「アニーとボンボン」を是非とも歌いたかったわ。
 

 

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