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2015年の作文・4月

4月1日

◇春の歌

 

ウソをついてもいいなんて誰が言ったか知りません

春の風が吹いたって君にはウソが似合わない

 

 

4月2日

◇月夜の桜

 

月夜の晩の目黒川

桜の花降る川辺の道を

歩いてのぼり

歩いてくだる

 

くちびるに桜の花びら

まぶたに春風

川面に桜とゆれる月影

 

 

4月3日

◇さむくてあたたかい

 

どっちつかずの季節じゃないか

寒いのか暖かいのか

どっちつかずの天気じゃないか

雨なのか晴れなのか

 

桜吹雪は雪じゃない

桜吹雪が渦を巻き空に舞い上がる

 

 

4月4日

◇比較詩人論8

 

宮沢賢治(70歳)と中原中也(60歳)の対談の続き

 

「こんばんは高村光太郎です」

「似てねえし」

「そうですか? こんな感じじゃなかったかなあ」

「ものまねなら俺のほうがうまいぞ」

「中原くんのことだから白秋かなんかやるんでしょ」

「十二月はまた来れり。なんぞこの冬の寒きや……」

「似てる、似てる。朔太郎でしょ」

「賢ちゃん、ベトちゃんの真似できるんじゃねえの」

「格好だけはね」

「ところでもう4月だあね」

「4月といえば、中原中也生誕の月ですね」

「29日に生まれたから憎まれっ子になっちまった」

「生まれた年に旅順に行って……」

「次の年の夏には山口に戻り、そんでまた次の年には広島だあね」

「記憶にはあるのですか」

「あるね、はっきりと。どうも幼い頃から意識だけは明晰だったからな」

「5歳で金沢へ、7歳でまた山口に。幼少期からずいぶん転々としましたね」

「転々とする業があるんだろうな」

「そして弟の亜郎くんが4歳で亡くなってしまった」

「それがきっかけで詩を書き出したんだ」

「死と詩は深い関係がありますからね」

「賢ちゃんは4月8日に〈春と修羅〉をスケッチしたろ。何に怒ってたんだい」

「怒っているのわかる?」

「泣くほどおこってるじゃねえか」

「26歳くらいになるとわけもなく怒りが湧いてくるってことなかった?」

「そりゃあ、しょっちゅう怒ったあね」

「中原くんの場合すぐ暴れるからたちが悪い」

「しょうがないから結婚したよ、俺は」

「ぼくはできなかった」

「トシさんが死んじまったからなあ」

「そう。その年の11月だからね」

「そういう怒りなんじゃあねえのかなあ」

「一つの予感として?」

「賢ちゃんは予感していたんだろ」

「トシの病が重かったことは確かです」

「死にゆく者を前にしてなんにもできないじぶんがいる」

「恰三さんの死もまことに辛かったでしょうね」

「二十歳だった。悔しいよ」

「弟や妹の死はじぶんの死でもあり、そしてそれが詩になるんだ」

「俺も時々(このからだそらのみぢんにちらばれ)って叫びたくなるよ」

 

 

4月5日

◇10歳の子ども

 

ぼくは11年前に今の仕事に就いた

ぼくが乗っている自動車は11年で11万キロ走った

ぼくには三人の子どもがいる

末っ子は10歳である

マイカーの一年後輩だ

10年分のわがままと

10年分のにぎやかさと

10年分の愛嬌と

10年分の心配を

粘土にして捏ねて作ったような子どもの成長

車には保険が必要だが

子どもには保護者の愛情と支えが必要だ

車は人や物を運ぶのでとても仕事の役に立っている

子どもからは親としての自覚と責任と希望と勇気を貰っている

車はぼくを乗せて走ってゆく

ぼくは子どもたちを背負って人生の道をゆく

 

 

4月6日

◇不穏な月曜日

 

どうも不穏な空気が街を満たしている

 

 

4月7日

◇悪天候

 

何のしるしかこの寒さは

四月に降る雨で風邪をひく

 

 

4月8日

◇雪と桜

 

寒すぎて人も桜もびっくりしている

 

 

4月9日

◇納豆

 

もはや納豆をまぜるしかない

ねばり強い人間として何度も納豆をまぜる

 

 

4月10日

◇金曜日

 

街はおそくまで明るかった

 

 

4月11日

◇電話

 

電話の声だけではその人のことは分からない

 

天変地異の気配がぼくを不安にさせる。大きな災害がないことを祈るしかない。もうすぐ80歳になる父や母の体調もあまりよくない。うちのマンションで火事の騒ぎがあったり、商売道具が盗難にあったり、いろんなことがいっぺんに押し寄せてくる。踏ん張りどころだ。こういう時は忍耐の力が試させるのだ。統一地方選を前に人心が錯綜するためか。人の心の動きが社会に影響を与え、それが世界の空気を作り出している。

 

 

4月12日

◇「憔悴」について①

 

中原中也の「憔悴」という作品が気になる。ⅠからⅥまであるのだが、全体はそれほど長くはない。一つずつ検討してみよう。「憔悴」のでだしはこうだ。

《私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた/起きれば愁はしい 平常のおもひ/私は、悪い意志をもつてゆめみた……》

「平常」と書いて「いつも」と読ませる。ずいぶんお疲れの様子で語りが始まる。何がそんなにやつれさせたのか。次はカッコで括られているので前の言葉を補うための挿入であろう。

《(私は其処に安住したのでもないが、其処を抜け出すことも叶はなかつた)》

積極性は感じられない。なすがまま、流されるままのようだ。そして次の比喩が、話者の人生に対する態度をうまく表現している。

《そして、夜が来ると私は思ふのだつた、/此の世は、海のやうなものであると。/私はすこししけてゐる宵の海をおもつた/其処を、やつれた顔の船頭は/おぼつかない手で漕ぎながら/獲物があるかあるまいことか/水の面を、にらめながらに過ぎてゆく》

「憔悴」の話者は、確かに船頭であるから暗い海にあっても何かをとらえようとはする。しかし、そこに獲物があるかどうかさえ分からない、そんな航海を続けなければならない不安のなかで、自身の宿命を思ったりしている。中也は実際、そんな夢をみたのかも知れない。そうだとするなら悪夢である。その孤独はあまりに深い。

 

 

4月13日

◇「憔悴」について②

 

《昔 私は思つてゐたものだつた/恋愛詩なぞ愚劣なものだと》

「憔悴」のⅡはこのように始まる。恋愛詩をさんざん書いてきた中原中也が云うのだから笑ってしまう。きっと一種のユーモアとして、わざとそんなことを云ってみたのではないか。しかし、話者である〈私〉の思いは波のようにゆれていく。

《今私は恋愛詩を詠み/甲斐あることに思ふのだ》

《だがまだ今でもともすると/恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい》

《その心が間違つてゐるかゐないか知らないが/とにかくさういふ心が残つてをり》

《それは時々私をいらだて/とんだ希望を起こさせる》

第2連から第5連まで、これまでの詩人の越し方を振り返っている。愚劣なものだとバカにしていた恋愛詩を書かざるを得なかったじぶんがいて、それはそれで評価してよいように感じている。が、やっぱりほんとうはもっとスケールの大きなものが書けるのではないかとどこかで期待する。

年譜を確認すると、「憔悴」は昭和7年(1932年)の2月の作品である。このあと、中原中也は、『山羊の歌』の編集に着手している。そのことを考慮すれば、この時点での詩人の仕事に中原自身が一段落をつけようとする気持ちがあったことは確かで、それが自己分析の言葉を吐かせたのだろう。

《昔私は思つてゐたものだつた/恋愛詩なぞ愚劣なものだと》

《けれどもいまでは恋愛を/ゆめみるほかに能がない》

高くのぼろうとして落っこちる。道化を演じる中也である。

 

 

4月14日

◇「憔悴」について③

 

「憔悴」のⅢを見てみよう。

《それが私の堕落かどうか/どうして私に知れようものか》

恋愛をゆめみるほかに能がなくなってしまった人間を世間の人はどう見るか。きっと堕落とみなされよう。しかし詩人にはそれしか残されていない。そこにしがみつくしかない。

《腕にたるむだ私の怠惰/今日も日が照る 空は青いよ》

空の青さが目に沁みる。人の気持に関係なく、空がいつものように青い。好い天気であればこそかえって詩人の怠惰は浮き彫りにされてしまう。

《ひよつとしたなら昔から/おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ》

ここで話者が〈私〉から〈おれ〉に変更されている。それまで〈私〉が公けの人々に向かって語っていた状態から、この連で、一気に自己反省のつぶやきに変わり、〈おれ〉がじぶんに向かう。

《真面目な希望も その怠惰の中から/憧憬したのにすぎなかつたかもしれぬ》

詩人は怠惰と同化しており、その怠惰から一歩も外へは出られないのではないかと思っている。それは、恋愛詩を超えようとして再び恋愛をゆめみるしかなかった詩人の軌跡と同じである。

《あゝ それにしてもそれにしても/ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!》

ここには、ひとつの反省があるのだが、落胆している風でもなく、どちらかと言えばじぶんに驚嘆しているようなところがある。嘆いているのだが、少し自慢ぎみなところがなくもない。これが中也の面白いところだ。一見、ネガティブな面が押し出されているように見えるのだが、よく読むと実は詩人の積極性が方法的に打ち出されている。

 

 

4月15日

◇「憔悴」について④

 

「憔悴」のⅣは、先に全文引用する。

 

しかし此の世の善だの悪だの

容易に人間に分かりはせぬ

 

人間には分からない無数の理由が

あれをもこれをも支配してゐるのだ

 

山蔭の清水のやうに忍耐ぶかく

つぐむでゐれば愉しいだけだ

 

汽車からみえる 山も 草も

空も 川も みんなみんな

 

やがては全体の調和に溶けて

空に昇つて虹となるのだらうとおもふ……

 

 

ぼくにはこのパートがほかのパートに比べて、とても朗らかな印象をもっているように見える。人間のあいだにあって、ごちゃごちゃしなくてはならない現実から、ぱっと離れて、解放された軽い気分がある。いわゆる詩人のゆめみるところが表現されているのであろう。このパートがⅣとして置かれているのはひとつの救いである。

 

 

4月16日

◇「憔悴」について⑤

 

「憔悴」のⅣにおける解放感を受けて、Ⅴは引き続き話者である詩人の所在がどこにあるのかが示される。

《さてどうすれば利するだらうか、とか/どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと》

《要するに人を相手の思惑に/明けくれすぐす、世の人々よ、》

世の中の人々に向かって、再び語りかけている。〈私〉から始まった話者が、〈おれ〉になり、一旦じぶん自身を見つめなおすところへ行った後、もう一度「人々よ」と呼びかけるという転換の仕方、これは実にドラマチックである。しかも次の話者は〈僕〉に変更されるのだ。

《僕はあなたがたの心も尤もと感じ/一生懸命郷に従つてもみたのだが》

つまり普通の人間として振舞ってみたのだけれど、やっぱり元に戻ってしまう。その時人々の前に立つのは〈私〉ではなく〈僕〉なのだ。少しへりくだっているのか、幼児退行しているのか、それは分からないが、ここからは〈僕〉になっている。

《今日また自分に帰るのだ/ひつぱつたゴムを手離したやうに》

ゴムの比喩が巧みだ。

《さうしてこの怠惰の窗の中から/扇のかたちに食指をひろげ》

赤ン坊のような態度が連想される。

《青空を喫ふ 閑を嚥む/蛙さながら水に泛んで》

青空をすう。閑をのむ。水に浮かんだ蛙のように。あまりにのほほんとしているその姿に、思わずクスッと笑っちまう。

《夜は夜とて星をみる/あゝ 空の奥、空の奥。》

親なら激怒、子ならあきれてお手上げだ。こんな人を家族にもったらたいへんだぞ。しかし、それがじぶんなら、どうだ。羨ましいかぎりじゃないか。詩人の理想はまるで空の奥にしかない。

 

 

4月17日

◇「憔悴」について⑥

 

いよいよ「憔悴」のⅥである。四行四行三行三行のソネット形式でまとめている。

 

《しかし、またかうした僕の状態がつづき、/僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、/自分の生存をしんきくさく感じ、/ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。》

 

「お買上品届け人」という言い方がされていた時代があったのだ。今なら宅配便のお兄ちゃんかな。どんな職にもつかず詩を夢想するだけの怠惰な人間には、どんな職業でも偉く見える。ピザを運んでくるアルバイトのお兄ちゃんにさえ、頭は上がらない。

 

《そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに/気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。/それがばかげてゐるにしても、その二つつが/僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。》

 

理屈は理性がつくり、懐疑は欲望から生ずる。生活と創作の狭間で、矛盾に悩み続けた詩人には、その二つがはっきり見えている。〈私〉と〈おれ〉を見る〈僕〉がいる。

 

《と、聞えてくる音楽には心惹かれ、/ちよつとは生き生きしもするのですが、/その時その二つつは僕の中に死んで、》

 

どんな音楽を聴いたのか。バッハやモーツァルト、はたまたジャズであろうか。いずれにしても音楽は一時我を忘れさせ、壮大な気分に誘ってはくれるのだが、やっぱりそれは気晴らしでしかなく、すぐに現実に引き戻されて、消えていた〈私〉や〈おれ〉が再稼動すれば、怠惰な〈僕〉がしゃべり出すことになる。

 

《あゝ空の歌、海の歌、/僕は美の、核心を知つてゐるとおもふのですが/それにしても辛いことです、怠惰を逭れるすべがない!》

 

詩人が「美の核心」をつかんだのはいつか? 17歳の時だろうか。19歳の時だろうか。きっと若い時につかんだ「美の核心」に引きずり込まれた詩人は、それに抵抗する事ができず、ずっとそれを追い続けてきてしまったのであろう。それが時に空の歌となり、海と歌となったにしても、それで満足できたためしはないのだ。

詩集『山羊の歌』に収められた44篇の詩の中で、主語が〈僕〉で書かれた詩は少ない。ほとんどが〈私〉で時々〈われ〉を使用している。「秋」という作品に〈僕〉が出てくるが、これは作者を指しているのではなく、これから死んでしまう登場人物の独語が「僕は……」と語っているものと見なすことができるので、例外だ。したがって、「憔悴」という作品は、一人称が途中で〈僕〉に変化するという意味で、実に特異な一篇であると言える。今回この事をぼくは深く掘り下げてみたいと思った。そして、前後の詩篇の解釈もそれによって大きく影響されるものと考えている。

 

 

4月18日

◇教育者と哲学者の会話①

 

3年前、大阪府立のある高校の卒業式で、国歌を歌っていない教員がいないかどうかを校長の指示で教頭らが口元チェックし、そのうち三人を個別に呼び出し、一人が不斉唱を認めたという問題。

 

 

教育者)

「人間的」や「人間味」という言葉と「常識」と、「立場」について、考える場面があり、わからなくなりました。事の発端は、国歌斉唱の際に、歌っていない教員に対して、訓告を与えた件です。問題になっているのは、この行為を職務命令として副校長に、監視させ、歌っていない教員を速やかに裁いた点です。おまけの余談では、この校長は弁護士あがりで、橋下徹と旧知の仲だそうです。世間一般では「やりすぎだろ」という声があり、「人間味に欠ける」と。しかし、「立場」を変えれば、職務を遂行しただけであり、橋下市長は素晴らしいマネジメントだと評価していたといいます。ここで、常識的な判断は存在するのでしょうか?

 

哲学者)

どちらの態度が常識か? どちらもダメなんだと思う。歌わない者もダメ。歌わせようと強制する者もダメ。おまけに歌っている者たちもダメなんだと言いたい。第一に、大事な卒業式でそんなことをしていること。卒業式は生徒たちのためにやっているのであって教職員の忠誠心を判定する場ではない。加えて、チェックすること自体が条例違反という指摘もあった……。国歌斉唱が大阪府の条例ならば、式典で、府の教職員がそれに従うのは当たり前。これを定立させると、国歌が流れたならば、歌うこと以外のことはできない。国歌斉唱をしているかどうかをチェックする行為はそこに含まれない。歌っている時に「あっ、あいつ歌っていない」という確認はしてはならない。したがって、チェック行為ならびにチェックを指示した行為は条例違反である。そもそも国歌斉唱の目的は? 生徒たちはしらけるであろう。①歌うなら魂を込めて歌え! ②歌いたくないなら、その精神を全員に納得させる論を展開せよ! 生徒に対する態度はこのどちらかでしかない。歌わない態度も卑怯だし、歌わない奴はどこだと詮索する行為も愚かしいのだ。そしてそんな陰のバトルが展開されている学校のなかで国歌を真面目に歌っている人間はあわれである。「府の条例だから」とか「一度決まったことだから」とか「私は左翼だから」とか「憲法は表現の自由を保障している」とかそういう理由は全部ぶっ飛ばして、何のために高校があり教員がいて卒業式が行われているのか、その原点にたち帰り、考えれば分かるはずだ。吾人の意見≪国歌なんかやめてみんなで尾崎豊を歌えばいいのだ≫。生徒にとっても教師にとっても思い出に残る式典であってほしい。政府よ、速やかに国歌選曲委員会を発足させよ! 国民全員の合意を勝ち取ることができる歌を採用せよ!

 

教育者)

それはそれで恐い。国民全員が納得する歌なんかあるとは思えない。だったら地域ごとに歌が違っていいし、学校ごとに校歌があるのだから校歌斉唱でいいと私は思いますけれど。

 

哲学者)

国家に国歌は必要ない?

 

 

4月19日

◇教育者と哲学者の会話②

 

教育者)

今、名越康文という精神科医が書いたエッセーを読んでいます。運命と自由について話が展開していきます。「運命が決まっていても、自由である」という命題を与えたある人物に対して、名越さんは、運命には自由は勝てないのではないか? という論旨を展開します。運命の中に自由があるような気がするというのです。こういう議論は、日常生活に切実な人はあまり考えないのかもしれませんが、私は好きです。私は運命があっても修正ができるような気がします。例えば、まぶしいくらいの美人と二人きりで食事ができたとします。憧れの人で、努力に努力を重ねて口説き落として、実現した。そうしたらその達成できた人は、運命も信じるけど、決められていた運命を自分で修正した気がするのではないでしょうか。「運命、自由、偶然、必然」論があれば教えてもらえますか?  

 

哲学者)

心理学者は次のように考えているようだ。人間は二つのシステムで行動を決定していると。システムⅠは無意識の領域で、本能や習慣によって動かされている。脳でみると、脳幹や小脳が働いている。これは選択が自動的で疲れない。楽器の演奏、車の運転、暗算、暗唱など、はじめはぎこちなく意識的にやらなければならなかったことも熟練すれば無意識にできるようになる。日本語の「身につく」というやつだ。身だから考えないでも出来てしまう。身体は実に巧みに生命を維持してくれている。呼吸、血液の循環、消化、新陳代謝、みんな意識しなくてもやってくれる。これを人は≪運命≫とよんでいるのではないか。システムⅡは、理性的で思慮的な行動をつかさどる意識の領域で、大脳新皮質の前頭前野の働きだ。これは臨機応変に行動するために、常に考え続けていなければならないため、実に疲れる。しかし、自動的でない分、じぶんの意志で自由に動かせるわけだ。人はそこに≪自由意志≫をみようとするだろう。さて運命と自由、この二つは果たして対立しているのか。実際の人間は、システムⅠとシステムⅡが、両立している。二つは相互に補い合いながら、われらを安全で最善の状態に導こうとしている。身体は運命に、精神は自由に、それぞれ振り分けられながら、それぞれの利点を活かして、環境の挑戦に対して、果敢に応戦しているのだ。《運命》という言葉がもつ、もっとも大きな問題点は、人の幸不幸は人間の意志ではどうにもならないという諦観にわれらを導いてゆくことだろう。よく言えば「ひらきなおり」で、わるく見れば「あきらめ」だ。「運命だからあきらめなさい」という励ましが存在するのはそのためである。特に人が失恋や災害や死別などの不幸な目にでくわした時に、「運命論」または「宿命論」は慰めの一つとして機能する。不幸な目に合うことだけでも大きなダメージ。それに加え、それが自分の罪であり自己責任であったなどと言われたら追い討ちをかけられたようなものだ。せめて責任は他に転嫁したいというのが人情である。3・11は誰のせいなのか、当然、地震と津波による犠牲は誰のせいでもない。しかし、原発はどうか。政府や東電のせいにできれば、少しは慰めになるかもしれない。しかし、根本的にはそれも誰のせいにもできないのだから、われらはどうしても《運命》を登場させたくなるわけだ。《運命》は、「命を運ぶ」ものである。吾人はそれを担うのが身体であると考える。この世で、自由にならないものの筆頭が、実は身体であるということは、多くの人が経験済みだ。特に病気や怪我をした時、老いを感じた時、死を前にした時など、身体には生老病死の四苦がずっとつきまとっている。死の前では、それこそ、寿命はあらかじめ決まっているという「運命論」が優勢を占めているのではないか。これに対抗したいのが精神である。これまで、多くの哲学者が精神の優位を説いてきた。人間が人間である証がそこにあるというのも、うなずける。朽ちてゆく肉体から解き放たれて、魂は永遠に自由を求めて飛翔するという一つの理想が、人間文化を根底で突き動かしてきたのだと言えるだろう。しかし、それには根拠がない。身体を離れた精神を人は証明できない。観念ではいくらでも言えるが、手にとってそれを見せたり、感じたりできない。「自由意志論」が「運命論」になかなか勝てないのは、それが理由なのではないか。

 

教育者)

つまり、あなたの場合も、運命の中にしか自由はないと言いたいのですね。身体の中にしか精神はないのですから。

 

哲学者)

身体が精神なのだと言い切ってしまいたいとは思うのだが、なぜかそれを言うだけの勇気が出ない。

 

 

4月20日

◇教育者と哲学者の会話③

 

教育者)

人は日々変わっていきます。気持ちや思想までも変わります。ところが、「○○らしさ」とよく言います。あなたらしさ、ぼくらしさ、あのひとらしさ、この「らしさ」とは、気質のことでしょうか? 性格的な傾向でしょうか? はたまた、その全体を包む雰囲気でしょうか?  なぜこんな質問をしたかというと、自分らしさをちょっと考えたとき、不思議な感じがしたのです。以前の自分らしさを指折り数えてみたらわかりましたが、今では、その自分らしさは、本当の自分らしさ(振る舞い)だろうかと……。本当の自分らしさは定義が不確定なものですか? また、心境や境涯が変わるとその人らしさは「らしさ」でなくなり、新しい「らしさ」になるものですか?

 

哲学者)

今度の質問はまた難しい。以前から「らしい」とか「ぽい」とかをきちんと考えておきたいと思っていたが、よくよく考えてみると曖昧な答えしか出てこないことに気付かされる。まず用法としては大きく二つに分けられるだろう。「明日は雨らしい」という予測を述べる時、断定を避ける時に用いる「らしい」が第一。婉曲が好きな日本人はこれを多用する。自分がそう思うのではなく、誰かがそう言っていたのを聞いたという意味合いも込められている。天気予報によれば「明日は雨らしい」。貴殿の話では「教師は時間がないらしい」。細君に言わせれば「吾人はアホらしい」など。第二の用法が「男らしい」「女らしい」「自分らしい」のらしいである。この場合、「らしい」はそのものの本質に迫ることを示唆している。「男らしい男」という表現ができるのは、男の本質をわれらが普遍的に理解しているからである。つまり誰が見てもそれが男であると思わせる何かが存在し、それをみんなが共通に認識しているという空間が前提にあるということだ。これを「自分らしさ」に応用してみよう。

 

教育者)

〈らしい〉は本質を指すという定義に従えば、「自分らしい」はじぶんの本質のことになるわけですね。でもこれがまた厄介で、私たちは案外じぶんの本質が何であるのかよく分かっていません。性格のことなら、ある程度分類されたものから選んで当てはめてみることはできますが、果たしてそれで「自分らしさ」を言い表せるでしょうか。

 

哲学者)

短気 お人好し せっかち のんびりや 気弱 強情 いろいろあるが、それらは吾人の特徴の一つになり得るかも知れないが、本質にまで到達することはできないだろう。どうやら「らしさ」は、自分がこうだと決めて表明するような次元のものではないようだ。つまり「らしさ」は他者からの視点を導入する時に生まれるのではないか。

 

教育者)

まさに、そうだと思います。だからこそ、自分の価値観や思想が高尚なものになっていったとしても、まわりは、固定観念でひとりの人間を見てしまう気がします。もちろん、その人の変化が大きければ、見方も変わるとは思いますが……。自分が思う自分像より、他人が見るその人像が正確に近いのは、不思議なものです。だとするならば、「らしさ」や本質は 他人や周りがつくりあげるものなのでしょう。

 

哲学者)

男がいなければ女らしさはない。子がいなければ親らしさは出ない。友達がいなければ自分らしさに意味はない。

 

 

4月21日

◇雨雲

 

雨雲の切れ間から月が覗いていたんだよ

こちらの世界を

雨に濡れた道を走るのが気持ち良かったんだよ

春だから

 

 

4月22日

◇腹が出て

 

たぬきになったよ

ぼくは近頃

 

 

4月23日

◇ふふ

 

ふふ

鼻で笑う

あは

目が笑う

えへ

へそが笑う

 

 

4月24日

◇悪夢

 

車を盗まれる夢を見た

これは夢だと自分に言い聞かせたのだが

夢の中ではそれが現実だった

 

 

4月25日

◇最後の最後まで

 

たのんで

たのんで

また

たのんで

候補者たちは

声をからして

たのんでいる

そんな人生

ぼくにはなかった

 

 

4月26日

◇投票

 

投票して開票して

落選して当選して

全国で

泣いたり笑ったり

無表情で無投票も

あったりするのだった

 

 

4月27日

◇疲れ

 

床屋に行きたかった

でも月曜日だった

図書館に行きたかった

でも休館だった

お酒が飲みたかった

でも運転だ

したいこと

いっぱいあるけど

何一つできないのだ

 

 

4月28日

◇朝から

 

朝早く床屋さんに一番乗り

さっぱり

さっぱり

髪の毛切って

アタマ洗って

髭剃って

マッサージ

はいお待たせ

パンパン

ふう

はいこれで

おおプレミアム付き商品券

 

 

4月29日

◇家出妻

 

妻は疲れていた

家事に

妻は疲れていた

育児に

妻は疲れていた

妻であることに

だから

家出した

リュックにカーデガンとケータイの充電器を詰め込んで

颯爽と家を出て行った

 

 

4月30日

◇ぼくの4月

 

思えばこの4月はあちらこちらに顔を出していた

別にさまよっていたというのではない

4月が浮き足立っていたのでそれに影響されてしまったというにすぎない

多くの人が亡くなった

日米関係

日中関係

日韓関係

動きがあった

借りていた部屋を解約することにした

火災保険の返金手続き

クレジットカードの有効期限

古いカードにハサミを入れた

新しいカードで買物をした

ゆうちょ銀行の通帳も17冊めに

子どもたちの進学

キリスト教神学の研究

仏教の実践

日本的霊性への関心

アタマがぐちゃぐちゃにならないように

整理整頓しなくてはならない

所得税も払った

消費税もずいぶん払った

いくつか曲も作った

詩も書いた

4月が静かに消えてゆく

地平線の彼方に

また来年お会いしましょうと

手を振りながら

 

 

◇中原くん

 

そうか、昨日は君の誕生日だったあね

108歳だったあね

煩悩の数

煩悩を燃やしながらの人生だったあね

ぼくはさきほど子どもたちに歌を聞かせていたんだよ

「春と赤ン坊」に素敵な曲をつけてね

苦労の多い人生にあって

君がいちばん幸福そうだった頃の詩だ

それから、ぼくがお気に入りの言葉があるんだよ

「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ」

これは「いのちの声」の最後のセルフだあね

一度でもそんな気分になれたらどんなにいいだろうと思うきょうこの頃だよ

 

 

 

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