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論文

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詩論を中心に独学おじさんの考察あれこれ。
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わたくしの吉原幸子研究2022年

☆吉原幸子研究その1。2022年1月1日から2月7日に記す。 2022から40を引くと1982。40年前わたくしは吉原幸子という詩人がこの世にいることを知らなかった。中1だった。興味はベストヒットUSAが教えてくれる洋楽のヒットチャートに限られていた。文学にも詩にも無関心だった。1932年生まれの吉原幸子さんは50歳。現代詩のど真ん中にいた。雑誌「現代詩ラ・メール」を新川和江さんと創刊したのが1983年であるからいよいよ戦闘開始の時期にあたっている。1982年9

わたくしの宮沢賢治研究2021年夏

吉本隆明『宮沢賢治』(ちくま学芸文庫)を参照しながら2021年8月に思索した事をここに記す。「銀河鉄道の夜」と七夕の関係について。カムパネルラの母をめぐる考察など。 いつのまにか机の上が吉本隆明だらけになってしまった2021年夏。夏目漱石と宮沢賢治に関する文献を集めるだけで大きな図書館いっぱいに本がうまるだろう。吉本隆明研究をしていてそう思った。 50を過ぎるといよいよ人生がわからなくなる。先行き不安という意味ではない。20代の時は人生の意味を求めて必死にもがいていた。何か

時間による支配から人類を解放するための第一試論:ダダイスト新吉の詩を例に。

『ダダイスト新吉の詩』と〈時間〉についての考察    2019.7.7  こががっこ 私が古書店で『ダダイスト新吉の詩』をみつけて購入したのは2018年12月4日の事である。前日の3日に49歳になった自分にじぶんでプレゼントをしたのだ。49を「詩句」と読み替えて勝手にしくしくと騒いでいた。が。この詩集が手元に来てから私の思考は狂い始めた。おそらく。 詩集を通読してみた。解読できなかった。それは特段めずらしい事ではない。他にも理解不能な詩集はたくさんある。そもそも詩人の言葉

アンチクロノス  時間を哲学する その1

◇アンチクロノス この論考の目的:1)デカルトのコギトエルゴスム(「わたしは考える。ゆえにわたしは存在する」)に新しい光を当てデカルト再読のキッカケを提供する。2)近代的な時間概念を「ふりだし」に戻して相対化する。そしてそこから再発見できるものがあるかどうかを確認する。3)プラトンのイデア論を再利用しながら形而上学を再構築する。4)意味不明なもの。辻褄の合わない話。ナンセンス。ダダ。難解と思われている詩的言語行為。それらに理解の余地をつくる。輪郭だけでも。 1. デカルト

アンチクロノス  時間を哲学する その2

その2 アンチ(反)とクロノス(時を司る神)を組み合わせた造語「アンチクロノス」という表題のもと私は探究を続けている。時間を止めてみたいという強い願望が私にはある。そして時間をじっくり観察しそれが一体何なのかを見極めたい。SFにはたくさん時間を止める話が出て来るのだがこれまでの歴史で実際にそれを成し遂げた者はおそらく存在しない。万が一いたとしても私はそれに気が付かない。そして誰も気が付かない。時間は「時間を止めた者」だけにしか「時間が止まっていること」がわからないという性質を

時間による支配から人類を解放するための第三試論:四季派の詩人たちを例に。

様々な詩論を通して「時間」の束縛から解放される道を探る。戦争に反対する。 1. 竹内勝太郎氏は「詩論一」の中で次のように云っている。 《表現と云うことを取り除けば芸術は成り立たないと一般には考えられているであろう。然し私の詩に要求する処は先ず最初にこの表現の否定でなければならぬ。》(『竹内勝太郎全集』思潮社。第三巻。17頁)。 竹内勝太郎氏が上記の言葉を記したのは1932年9月21日である。 私たちは小学生の頃から美術や音楽の時間に「表現しなさい」と教えられる。また国語の時

時間による支配から人類を解放するための第四試論:分類詩学を構想する。

耳の詩・目の詩 理性の詩・感情の詩 美術系・音楽系 1. 詩は耳にするものか。それとも目にするものか。私たちは文字に書かれたものとして詩を認識しているのではないか。本をパラパラとめくり。行分けされ。余白の多くなっている箇所を見ると。「あっ詩が載っている」と思う。句点や読点がなければなおのこと。つまり形式を見て判断している人が大半を占めるのではないか。これは詩が目にするもの(視覚に訴えるもの)であることをあらわしている。 ところが世の中には詩が音楽に乗って流れている。何気なく

時間による支配から人類を解放するための第五試論:行分けという形式の奥に隠された霊魂について。北園克衛氏の作品を例に。

行分けの意味の転換から見えてくる詩の霊魂。 1. はじめに北園克衛氏の作品を参照する。但し実際は縦書きであったことに注意。北園克衛氏には真に申し訳ないが横書き変換させてもらった。 「単調な空間」    1 白い四角 のなか の白い四角 のなか の黒い四角 のなか の黒い四角 のなか の黄いろい四角 のなか の黄いろい四角 のなか の白い四角 のなか の白い四角    2 白 の中の白 の中の黒 の中の黒 の中の黄 の中の黄 の中の白 の中の白    3 青 の三角 の髭

時間による支配から人類を解放するための第六試論:3回の読書会から得られた「銀河鉄道の夜」の新たな読みの可能性と知見。赤と白。そして青い照明。

1. 《太陽マジックのうたはもう青ぞらいっぱい、ひっきりなしにごうごうごうごう鳴っています。コロナは七十六万二百(註:実際は音符と共に「コロナはしちじふろくまんにひゃく」と書かれていてメロディーが付く)》。これは宮沢賢治氏の散文「イーハトーボ農学校の春」からの引用である。ニュース番組で新型コロナウイルスの感染拡大が話題となっている令和2年の2月2日にこの作文は書かれている。ここでもまた宮沢賢治氏は予言者たらんとしているかのようである。もちろん宮沢賢治氏の云うコロナは太陽表面の

時間による支配から人類を解放するための第七試論:作品と鑑賞の間にある正しい解釈について。大岡信氏と吉原幸子氏を例に。

1.詩が書かれる理由の一つは「詩とはなにか」という問いに答えるためである。わたくしは詩を書き始めてからずっとそのことが頭にあった。それで初めは模倣を積極的に取り入れていた。詩がなんであるかが分かって書いていたわけではないから。マネをしなくては詩にならないと思っていたのだ。萩原朔太郎氏の作品から大いに影響を受けた。そしてその隣にいた室生犀星氏からは異なる方角からの作り方を学んだ。 2.この二人の詩人はとても仲が良い。しかし詩のつくりはちがう。それを知るだけでも大きな価値がある。

恋するポエジイ 1990年3月。

☆3月1日。芥川龍之介氏の誕生日。大学合格の通知が届く。夜の大学。働きながら学士号を取得する道を選んだのは地元の先輩の影響である。きみは2年も浪人させてもらったのだから学費の安い大学に行くべきだ。夜なら昼の半額。しかも昼間働ける。そう云われて目から鱗が落ちた。わたくしは反省の気持ちと後ろめたさを抱えながら。ようやく手に入れた大学生という肩書に今は安堵している。これを機に大いに勉学に励もう。大学では新入生の中でいちばん本を読む人間になるつもりだ。それから日々の心境を言葉に綴ろう

恋するポエジイ 1990年4月。

☆4月1日。親鸞氏の誕生日。浄土宗から浄土真宗を作り出した人物。宮沢賢治氏の家はこの親鸞氏の教えを真面目に実践していた。阿弥陀如来は日本人にとても人気がある。シンプルな教えに人々は惹かれるのだろう。別役実氏は『イーハトーボゆき軽便鉄道』(リブロポート)の中で宮沢賢治氏の童話「山男の四月」を不安と関連させながら考察している。出だしの一文が面白い。《三月の春は気配だけであり、いわば「名のみ」のものだが、四月の春は実質的なのだ。ただそれだけに、体ばかりが先行して春を謳歌し、とり残さ

恋するポエジイ 1990年5月。

☆5月1日。北杜夫氏の誕生日。A介氏のお気に入り。彼の部屋には『どくとるマンボウ昆虫記』や『楡家の人びと』など北杜夫作品がほとんど揃っている。借りっぱなしの『幽霊』(新潮文庫)。何度も読む。『幽霊』に描かれた幼少期がわたくしのそれとあまりに似通っているため。なかなか手放せない。もしもわたくしが自分の幼少期について何かを語ってくれと頼まれたら迷わずこの本を差し出す。わたくしは東京都渋谷区千駄ヶ谷で生まれ育った。周辺には明治神宮。代々木公園。東郷神社。新宿御苑。神宮外苑。などがあ

恋するポエジイ 1990年6月。

☆きょうはエドワード・エルガー氏の誕生日。レナード・バーンスタイン氏の指揮で「威風堂々」を聴く。さあ勉強しよう。芸術は触発によって生まれる。そういえば芸術についてこれまでじっくり考えを煮詰めた事がなかった。言葉はいつも漠然と使い続けているだけでなんとなく分かった気になってしまう。だれもがゲイジュツという音の響きで何を意味しているかわかっているようだから不思議だ。絵のこと。彫刻のこと。音楽のこと。あるいは建築やファッション。映画。芝居。舞踊。写真。書。皿。壺。お花。お茶。そして