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時間による支配から人類を解放するための第四試論:分類詩学を構想する。

耳の詩・目の詩 理性の詩・感情の詩 美術系・音楽系


1.
詩は耳にするものか。それとも目にするものか。私たちは文字に書かれたものとして詩を認識しているのではないか。本をパラパラとめくり。行分けされ。余白の多くなっている箇所を見ると。「あっ詩が載っている」と思う。句点や読点がなければなおのこと。つまり形式を見て判断している人が大半を占めるのではないか。これは詩が目にするもの(視覚に訴えるもの)であることをあらわしている。
ところが世の中には詩が音楽に乗って流れている。何気なく耳にするフレーズが私たちを励ましてくれたり慰めてくれたり戒めてくれる。私たちは街に流れる歌を通じて最もよく詩に触れているのである。歌をじっくり聴いて感動し自分でも口ずさんでみて言葉が心に浸透したら歌詞は詩として立ち上がってくる。この時。詩は耳にするもの(聴覚に訴える芸術)としてあることになる。
詩を鑑賞する際にこの分類は案外有効に働く。北原白秋氏の詩は〈耳の詩〉である。私は自作朗読をする彼の声を聴いていてそれを確信した。彼は歌っているのだ。そして彼の詩には耳にして心地好いフレーズが意図的に配置されている。例えば。
《君は切る、/色あかき硝子の板を。/落日さす暮春の窓に、/いそがしく選びいでつつ。/君は切る、/金剛の石のわかさに。/アブサンのつよきひとすぢ/つと引きつ、切りつ、忘れつ。/君は切る、/色あかき硝子の板を。/君は切る、君は切る》。
これは北原白秋氏の「硝子切るひと」という詩であるが声に出してみればすぐに分かるように「ki」と「i」いう音が繰り返されてそれが耳に残るようにできている。試しにカタカナで表記すると。
 《キミハキル イロアカキガラスノイタヲ イリヒサスボシュンノマドニ イソガシクエラビイデツツ キミハキル コンゴウノイシノワカサニ アブサンノツヨキヒトスヂ ツトヒキツキリツワスレツ キミハキル イロアカキガラスノイタヲ キミハキル キミハキル》。
耳のために北原白秋氏が意図して選んだ語彙がこうして音として機能すると詩は限りなく音楽に近づいていく。これは仏典の陀羅尼呪(だらにしゅ)に類似している。漢訳されたインドの仏典を見ると呪を漢字で表記して音写している部分がある。例えば法華経の陀羅尼品には。《安爾、曼爾、摩禰、摩摩禰、旨隷、遮梨第、……》(アニ、マニ、マネ、ママネ、シレ、シャリテ、……)。などの呪を説いて薬王菩薩が法華経を説く者を守護することを釈尊に誓う場面が出てくる。この時の呪が意味不明であっても音が意味ありげに連続していることは耳にすれば分かる。そして呪は文字としてあるより音としてあることに価値が置かれるようなものだから。ここでは文字が発音記号のような役わりを持っていれば良い。北原白秋氏はそれを自分の詩作の中に上手く取り入れたと言ってよいだろう。
2.
次は〈目の詩〉である。


(前略)

一羽の後を  一羽
      一羽
     一羽
    一羽
   一羽
飜転── 
 側定──
   旋回──
各々
 弧線の尖は
渦に懸かる  


上の詩は平戸廉吉の「飛鳥」という詩の一部である。見ての通り視覚効果を意識した文字の配列(但し実際は縦書であるが)。これは読んでいるだけでは伝わらない。書かれているからその狙いが分かる。アバンギャルドの詩人たちは視覚芸術に多くの影響を受けていて。もともと美術家であった者たちが言葉の世界に革新的な運動を巻き起こしに参入してきたようなところがあるので必然的に書き言葉の中であらゆる実験がなされた。
私たちに馴染み深い宮沢賢治氏もまた〈目の詩〉の重要な作り手である。彼は自身の詩作を「心象スケッチ」と呼んだ。絵を描くように心の中を言葉で描いて見せる行為として詩が存在している。例えば「蠕虫舞手(アンネリダ タンツエーリン)」という詩には。
《(えゝ 8 γ e 6 α/ことにもアラベスクの飾り文字)》。
という暗号のような言葉が登場する。これはボウフラが水溜りの中でくねくねと動いている様子を文字によって表現しているもの。小さなミミズやゴカイなどの蠕虫を観察した事のある人ならその素早い動きが。8からγへ。eから6へ。そして時にαになって見えること。ピンと来る人は感がいい。これを耳にしてもその意味は分からない。しかし宮沢賢治氏のすごいところはこれを声に出して読んでもいいのだと言わんばかりに。最終的にこの文字をカタカナで表記して締めくくっている。
《(はい まつたくそれにちがひません/エイト ガムマア イー スイツクス アルフア/ことにもアラベスクの飾り文字)》。
これは共感覚の持ち主ならではの展開ではないだろうか。いずれにしても文字で書かれていることが前提になっているこのような詩を彼らは新しい試みとして造形していく。
ここまで私は詩を大きく二つに分類し〈耳の詩〉と〈目の詩〉について論じてきた。耳にして心地好い詩は音楽になって聞こえる。また目にして快適な詩は絵画になって見える。日本人は表意文字である漢字のおかげでその両方の効果を「詩」というジャンルの中で融合させることができる。そして本当に良い詩にはその両者が具わっているのではないか。


3.
次に理性と感情の二分法で話を展開してみよう。理性の詩は脳みそをフル回転させて鑑賞することを要求するもので。それに対して感情の詩は感情のままに味わうべきもの。詩を引用する。


昆虫が電流のやうな速度で繁殖した。
地殻の腫物をなめつくした。

美麗な衣装を裏返して、都会の夜は女のやうに眠つた。

私はいま殻を乾す。
鱗のやうな皮膚は金属のやうに冷たいのである。

顔半面を塗りつぶしたこの秘密をたれもしつてはゐないのだ。

夜は、盗まれた表情を自由に廻転さす痣のある女を有頂天にする。


これは左川ちか氏の「昆虫」という作品である。モダニズムの詩はつかみにくい。何かが書かれているに違いないのだが何が云いたいのかは簡単には分からない。まるで読者の頭の出来が悪い事を責めているかのような。そういう断片。行間の距離にたじろぐ。脈絡をつけようと必死になってもどうもつながらない。読解力の無さを私たちは嘆くしかない。前衛芸術は嫌いだ。結局やつらは俺たちを馬鹿にしているんだ。と思わず云いたくなる。
そこで私は工夫してみる。彼らの狙いを先に見通すという方法。アバンギャルドつまり最前列で行進する部隊。彼らは新しいということに価値を置く。とにかくまだ誰も踏み入れていない領域へ。勇気の一歩を踏み出そうとする。シュールレアリスムと云ってもダダと云ってもモダニズムと云ってもポストモダンと云っても。前進あるのみで。前しか見えない。青年の情熱と革命精神が原動力だから。そこにコミットする気持ちがあれば近づいたって怖くない。
結論を云えば。私の解釈では「読解の必要はない」という事。特に左川ちか氏のような〈理性の詩〉に対しては意味を探すことはむしろ逆効果。意味を拒否するものと思えばいい。私はそう考えてからとても気が楽になり。かえって彼女の作風が面白く感じられるようになった。彼女は青が好きだし緑が好きなんだね。視覚の芸術。〈目の詩〉でもある。色が見えて物が見えればそこから想像が翼を広げて飛んでくれる。青い上着の村長さん。緑色の新聞紙。青い仕官。緑の階段。コバルト色のマント。緑色の手。青い血。緑の門……。彼女も言葉で絵を描いた。その絵はピカソやカンディンスキーのようなものだったかも知れないしミロやクレーのようなものだったかも知れない。こうなって来ると左川ちか氏の難解さが俄然面白くなってくる。難解という認識が誤解で実は描きたい目標が見えてきて。その自由な振る舞いにむしろ共振してみたくなる。
4.
さて。次は〈感情の詩〉の代表選手として竹内浩三氏を取り上げよう。感情の詩に触れるためにはそれなりの覚悟が必要だ。感情とはつまり身体。読めば涙があふれたり激昂したり悔しくてたまらなくなったり身体が反応し直接行動に移ってしまう可能性があるからだ。宮沢賢治氏の「雨ニモマケズ」で清貧の生活をよしとする人は多いし。革命家の言葉に鼓舞されて労働運動や革命運動。果てはテロルへと導かれた若者も多くあるのだから。実はこちらの詩の方が理性の詩よりも多くの支持者を持っている。言葉は分かりやすく心にしみ込んでくるからだろう。
《あの街 あの道 あの角で/おれや おまえや あいつらと/あんなことして ああいうて/あんな風して あんなこと/あんなにあんなに くらしたに/ /あの部屋 あの丘 あの雲を/おれや おまえや あいつらと/あんな絵をかき あんな詩を/あんなに歌って あんなにも/あんなにあんなに くらしたに/ /あの駅 あのとき あの電車/おれや おまえや あいつらと/あああ あんなにあの街を/おれはこんなに こいしがる/赤いりんごを みていても》。
これは誰の言葉? ただの道楽息子が田舎に戻って東京を懐かしんでいるだけの話なら私たちはこの言葉に同情もしなければ感心も抱かない筈。しかしこれが兵隊になってこれから戦死する若き青年の遺した言葉だったとしたら。その色はガラッと変わる。もう二度と戻れない東京を。そこで繰り広げた青春の日々を。友を。恋人を。彼は思っている。これは竹内浩三氏の「望郷」というタイトルの詩。そこには「東京がむしょうに恋しい。カスバのペペル・モコみたいに、東京を望郷しておる」と添え書きがされているのだ。戦時下の日本。数え切れない青春が犠牲になった時代。そこに生きた青年の生の声を。リアルな叫びを。私たちは竹内浩三氏という銘柄で現在も聞くことができる。そして私たちは彼の思いを心で受け止めようとする。感情なしにその言葉は機能しない。感情の詩には感情で応えるほかないのである。
《上衣のボタンもかけずに/厠へつっ走って行った/厠のまん中に/くさったリンゴみたいな電灯が一つ/ /まっ黒な兵舎の中では/兵隊たちが/あたまから毛布をかむって/夢もみずにねむっているのだ/くらやみの中で/まじめくさった目をみひらいている/やつもいるのだ/ /東の方が白んできて/細い月がのぼっていた/風に夜どおしみがかれた星は/だんだん小さくなって/光をうしなってゆく/ /たちどまって空をあおいで/空からなにか来そうな気で/まってたけれども/なんにもくるはずもなかった》。
あまりにも悲しい。悔しい。「夜通し風がふいていた」という題の竹内浩三氏の詩である。彼は同情してくれとは言わないだろうけれど。戦争を知らない私たちは戦場へ送られる運命にある彼の境遇をどうしても憐れんでしまう。星を見つめていたのだ。月を見つめていたのだ。今私たちが見上げた夜空となんら変わらない情景を彼も見ていたのだ。そう思えばなお悲しい。
「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるやあわれ/とおい他国で ひょんと死ぬるや」(「骨のうたう」より)と兵隊の死にゆく運命をあわれんだ竹内浩三氏。昭和20年4月9日比島バギオ北方1052高地にて戦死。23歳だった。そのことを知ってしまったからには彼の言葉を斜めから眺めるようなことは決してできない。心して傾聴しなくてはならない。竹内浩三氏が反戦詩人であるかどうかは読み手の立場が決めること。私は反戦のために彼の詩と死が大きな役割を果たす事に異論はない。しかし彼の感情はただそれだけに納まるようなものではない。あえて私は彼を「未完成への信頼」と呼んでおきたい。どのような未熟な作文であっても人は心の方向がどこへ向かっているかによってその言葉の中に自分を息づかせることができる。その好例が竹内浩三氏だと思う。
5.
《詩は工芸のように材料を選び、設計を洗練し、熟練した技術によって周到に作られなければならない。すくなくとも、詩の発達史のなかに長くのこることができるような作品を作るためには、それだけ慎重な努力と熱情が必要なのである。それは詩に限らず、すべての芸術のジャンル(分野)に於いても同様である。ある詩人は、自分の努力はもはや極限的なものであると考えているかもしれない。しかし更に驚くべき努力をしている詩人がないとは言えないのである。そして結局、その詩人が最後の勝利を得ることになるのだ》(北園克衛『2角形の詩論 北園克衛エッセイズ』リブロポート144頁より抜粋)。
北園克衛とは何者ぞ。というわけで図書館から取り寄せた文献にこのような言葉を見つけ目から鱗が落ちた(二枚から三枚ほど)。私はこれまでそれこそ自然にペンを走らせてきた。感情の赴くまま。または頭脳の制御のもとに。これはオリジナルだと思えるような〈内容〉を盛り込んで。自信たっぷりに詩を書いてきた。しかし北園克衛氏の言葉によって「ちょっと待てよ」とこれまでの自分のやり方を反省しなくちゃならないことに気づかされた。私たちは文芸作品から何を取り出しているのか? 
おそらく作者がその作品に込めた「思い」とか「願い」とか「思想」とか「信念」とか「発見」とか「理論」とか「提案」とか「政策」とか「歴史」などを読み取って「はい。確かに」と受け取り理解し納得しましたと報告するのだろう。読後に広がる心の景色に自己満足して本を閉じるのだろう。もしこれが本当なら。記述された言葉はどのような紙にどのような字でどんな風に書かれていてもあまり問題にならない。大事なのは〈字〉ではなく〈内容〉だから。単行本であろうと文庫本であろうと縦書きであろうと横書きであろうと〈内容〉が同じであれば。選択は自由。こういう通念は長い間多くの人々に支持されてきたし。今も厳然とまかり通っている。この次元で考えているかぎり作品の作り手にまわったとしても同様で。〈内容〉が伝わればよいのだからという意識でものを書くことになる。私もそうしてきた。横書きのものを縦書きに変えたっていいし。英語にしてもいいし。鉛筆で書いてもいいし。ワープロで打ち直してもいい。こっちにはどうしても伝えなくちゃならない〈内容〉という王様がいるのだから。
以上のような固い信念を北園克衛氏は打ち砕く。
《吾々は『決して意味に依って詩を書かない』必ず『詩に依って意味を形成した』に過ぎない》(北園克衛「秩序の詩人」1932年5月)。
作者が読まれるべき〈内容〉をあらかじめ用意し。それを伝達する手段として言葉を選び。選ばれた言葉が読者の目に触れ。読者の読解によって〈内容〉が取り出される。というプロセスは一つの妄想である。だいたいそんなに上手くいかない。否。上手くいくかどうか。%の問題ではない。〈内容〉がいらないのだ。王様は裸だったのである。例えば次のような作品。


白い四角
という緑
の立体

黒い円筒
という

の平面

つぎは
黄いろい空間
のある
直線
の街



非常に円いハンカチ
のために
青くなる


または

のなか
の言

それらのため

完全に重いピンクの薬

(北園克衛「ある種のバガデル」)


注意しなくてはならないことは。これが実際は縦書きであったこと。〈内容〉だけを問題にするならばそういうことを気にしなくてもよいのだが。北園作品の場合はそういう訳にはいかない。だから引用するにしてもこちらの都合で形式を変えてはいけない筈なのだ。北園さん。ごめんなさい。続ける。〈内容〉を取り出そうとしてみよう。作者の「思い」とか「願い」とか「思想」とか「信念」なんかを読み取ることはどうやらできそうにない。色だけで考えても。白なのか緑なのか黒なのか紫なのか? 形はどうか。円筒が平面で空間が直線? 夜や髭や薬は何を意味している? だから《吾々は『決して意味に依って詩を書かない』必ず『詩に依って意味を形成した』に過ぎない》のである。
あるインタビュウ記事にはこうある。
《☆自分の詩を自分で音読されることはありますか。◎全くありません。僕の詩はしばしば作曲されるのですが、たまらないですね。僕の作品では、ラインは言葉の高低や強弱を計算したことになっているのに、音をつける人や歌う人は別の観念で強めたり弱めたりするので、ぶつかってしまう。僕が書いた時の観念とぶつかる。だから朗読や作曲されることは好きではありません。音にする以上はラインの区切りを別に考えなければなりませんね。》(鼎談 北園克衛×杉浦康平×松岡正剛 「白のなかの白のなかの黒」 『遊』1975年8月号より)。
例えば絵を声に出すことはできない。絵は観るもので語るものではない。では文字で絵を描いた場合はどうか? 文字を読み。声に出すことはできるだろう。しかしそれは絵なのである。声になっても。観なければならない。観るために描かれたのだから。北園克衛氏のpoemは耳の詩ではない。目の詩である。読まないで観てみる必要がある。絵として。図として。デザインとして。だから作者は朗読しないし。朗読される事も好きじゃなかった。
そうか。読んじゃいけなかったのか。文字を使っているからついつい読んでしまうし。そこから意味なるものを読み取ろうとしてしまう。絵として詩を観る。これをさしあたって〈美術系〉と呼んでおきたい。
私の高校はABCDEFGHの8クラスあって。美術系。音楽系。書道系。に三分されていた。考えてみれば。詩における美術系。詩における音楽系。詩における書道系。という分類があってもおかしくない。今まで詩は一つのジャンルでしかなかったので。美術系の詩人で音楽系の詩を批判してみたり。音楽系の詩で書道系の詩人を馬鹿にしてみたり。して来たのだと思う。そこがはっきりしてくれば詩作の上でも混乱が少なくなり。安心して書き進むことができるのではないか。
《自然の現象や自己の心境がどれ程特殊なものであっても、それを表現することは愚かしい事だ。従ってそうした観点からなされる、如何に表示すべきか、と言う意味での詩の技法に関する思考は興味薄いことである。何となれば、自然現象を表示する事に於てはあの無限の抱擁性をもった散文の手段に及ぶ可くもなく、自己の心境を表示する確実性よりすれば哲学の方法に如かないからである。このように従来の詩の概念のなかから、詩以外の要素を分解して行くことに依って二つの極限に吾々は到達する。即ち純粋直感の部と純粋形式の部とがそれだ。言葉を変えれば音楽的の部と造形的の部に達する。この二つの極限は必然的に詩人としての二つの態度を明示する。即ち純粋直感の部に属する詩人は音楽的であり印象的でもある処の感性による詩人を意味し純粋形式の部に属する詩人は造形的であり批判的でもある処の知性による詩人である》(北園克衛「秩序の詩人」)。
私がこれまでに展開してきた詩論が上の一文に言い尽くされていることに驚いてしまう。すなわち。
・純粋直感の部に属する詩人は音楽的であり印象的でもある処の感性による詩人→〈耳の詩〉〈感情の詩〉
・純粋形式の部に属する詩人は造形的であり批判的でもある処の知性による詩人→〈目の詩〉〈理性の詩〉
ということだ。
6.
《芸術は、アポロ的なものとディオニュソス的なものとの二重性によって進展して行く。》。これはニーチェ氏の『悲劇の誕生』冒頭の一節である。視覚を刺激する建築や彫刻や絵画などの造形芸術(アポロ的)に対応するのが〈美術系の詩〉で。聴覚を刺激する歌や音楽などの非造形的芸術(ディオニュソス的)に対応するのが〈音楽系の詩〉であると便宜上二分することができる。
これまで見てきたようにモダニズムの言語芸術の多くは美術系の傾向を強く打ち出している。それに対して音楽系の詩は伝統的な文化の中で脈々と受け継がれてきており。能楽や歌舞伎。和歌や連歌。俳句や川柳。浄瑠璃。長唄。浪曲。民謡。演歌。フォーク。ロック。ポップス。ヒップホップ。ラップに至るまで。詩がリズムと旋律の中で生き続けてきた歴史は圧倒的である。そして音楽の中の詩がもっとも活き活きと主役の座に君臨していた時代の代表選手はやはり北原白秋氏になるだろうか。耳の詩としても取り上げたが聞いていると自然とメロディをつけたくなる。例えば。
《青いソフトに降る雪は/過ぎしその手か、ささやきか、/酒か、薄荷か、いつのまに/消ゆる涙か、なつかしや。》。
私たちが文章を書く時に。何を表現しようとしているのかに意識的であれば。言葉というものは映像を想起したり音を喚起したりする道具であることに気がつく。そして読者がそれによって絵を見たり音楽を聴いたりするのと同じ経験をしたならば言葉は一応目的を果たした事になる。青いソフトの帽子をかぶっている人がいる。その上に粉雪が降ってくる。これは映像。そして帽子の上で雪は瞬間的に消えてしまう。詩人はそれを象徴する譬えとして。手。ささやき。酒。薄荷。涙の五つを選び。七五調のリズムにはめ込む形式でひとつの言語的旋律を奏でる。こうして言葉が音楽へと転化するプロセスに私たちは立ち会うことになる。
《あめあめふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえ うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ラン ラン ラン》。
これもまた言葉で音をあらわし。形式が音律を奏でる好例。その他にも。
《からたちの 花が咲いたよ 白い白い 花が咲いたよ、》や《この道は いつか来た道 ああ そうだよ あかしやの花が 咲いてる》は誰もが耳にしている。これらは歌として歌いつがれて音になって記憶されているものばかりだ。しかし音楽系の詩がすべて歌になっているわけではない。やはり詩のままで音楽性を保って存在し続けている詩もたくさんある。そしてそういう詩にはあえてメロディをつける必要がない。例えば宮沢賢治氏の「春と修羅」。
《 sin syou no hai iro hagane kara / akebi no turu wa kumo ni kara mari 》。
出だしの一節。ここではあえてローマ字で表記してみた。繰り返し声に出してみれば分かるのだが《 ro ra ru ri 》などのラ行の音を出すときの舌。そして《 ga ka ke ku 》のカ行の息を出す時の喉の快感。さらに《 akebi / kumoni / karamari 》の脚韻が効果的に配置されている。
《心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり》。
これを早口言葉のように10回繰り返せばその効果がはっきりとわかる。そして「春と修羅」には朗読のための言葉の配列が全篇に貫かれている。
《正午の管楽よりもしげく/琥珀のかけらがそそぐとき》。
《唾し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ》。
《ZYPRESSEN春のいちれつ/くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ》。
《日輪青くかげろへば/修羅は樹林に交響し》。
どのフレーズも耳に残り。そして朗読しがいのある音の連鎖。喉を使い舌を使い歯を使い唇を使って言葉は鮮烈なイメージを伴いながら音楽となって空気を振動させてゆく。これは「春と修羅」というタイトルにすでに予告されているのではないかと私は考えている。
《 haru to syura 》を10回繰り返してみよ。私には「ツァラトゥストラ」と声に出すのと同じ快感をこのタイトルから受けるのだが。ハルトシュラ。ハルトシュラ。ハルトシュラ……。《若しこの夏アルプスへでも出かけるなら私は『ツァラトゥストラ』を忘れても『春と修羅』を携へることを必ず忘れはしないだろう》と云って宮沢賢治氏の出現を賛嘆したのは辻潤氏であった。ちなみに宮沢賢治氏と『ツァラトゥストラ』の著者であるニーチェ氏はともに作曲家でもある。才能があったかどうかは別にしてそれほど二人は音楽に精通していた。

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