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恋するポエジイ 1990年4月。

☆4月1日。親鸞氏の誕生日。浄土宗から浄土真宗を作り出した人物。宮沢賢治氏の家はこの親鸞氏の教えを真面目に実践していた。阿弥陀如来は日本人にとても人気がある。シンプルな教えに人々は惹かれるのだろう。別役実氏は『イーハトーボゆき軽便鉄道』(リブロポート)の中で宮沢賢治氏の童話「山男の四月」を不安と関連させながら考察している。出だしの一文が面白い。《三月の春は気配だけであり、いわば「名のみ」のものだが、四月の春は実質的なのだ。ただそれだけに、体ばかりが先行して春を謳歌し、とり残された心が、何やら得体の知れない「不安」を感じることがある。秋は、心が先行してそれを体験するが、春は体が先行してそれを体験する。「四月の不安」であり、これをこのままにしておくと「五月病」になる》(151頁)。入学式を前にしてわたくしも不安である。だが心地よい不安というのもあるようだ。春の所為なのかも知れない。体が前のめりになっている気がする。

☆4月2日。ハンス・クリスチャン・アンデルセン氏の誕生日。デンマークの詩人であり童話作家。70歳まで生きて多くの創作童話を遺した。氏の死から21年後。宮沢賢治氏が日本で生まれた。わたくしには宮沢賢治氏がアンデルセン氏の続きのように見える。二人とも表現の場を詩と童話に求め。そして生涯独身であった。『注文の多い料理店』には9つの童話が収録されている。「山男の四月」もその一つで。1922年4月7日の作品。制作年月日から考察が広がる。例えばアンデルセン氏『童話集』の出版が1837年の4月7日。また4月7日は法然氏の誕生日。「山男の四月」と念仏。宮沢賢治氏は「山男の四月」を書いた次の日に「春と修羅」(メンタルスケッチ)を書いている。この二作品は同じ景色の中にあるように見える。夜おそく。中学時代の友人S・シゲミツ氏が訪ねて来た。わたくしが大学に入ることを聞きつけて一緒に呑もうと云う。彼は高校を出て家業の豆腐屋を手伝っている。

☆宇宙には不変の原理みたいなものがあると思う。とS・シゲミツ氏は云った。彼はずっと前から哲学に興味があったようである。でも特に本を読んだりはしない。独自の思想を自分の経験だけで練り上げるタイプだ。神のこと? とわたくしは訊いた。神は信じない。でも宇宙は存在している。それを人間は造れない。じゃあ誰が? てなるだろ。と彼は饒舌になってゆく。だから宇宙が自分で自分を生み出しているとしか云えないわけよ。人間は本を読んでも読まなくても同じ結論に至るのだろうか。しょせん人間の脳が考えること。言葉が同じなら同じ論理で思考は動く筈だ。わたくしは「裸の王様」を例に出して語った。不変の原理という言葉や宇宙の自己生成という言葉は我々にとって皇帝の新しい着物なんだよ。見えないと云うと恥をかくから。皆で。見える。見える。と云い合う。それで。本当はないのにあることになっちまう。いつの時代も子どものままでいることは難しいよね。

☆でもさ。子どもが幸福とは限らんぜ。とS・シゲミツ氏。見えないのに。見える。見える。と云ってしまう方がよっぽど楽なんじゃないか。一理ある。と思った。そう云えば『注文の多い料理店』の序文で作者はこう書いている。《またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました》と。童話の中に入るためには見えないものを見えると云える精神が必要なのだ。だから「なんにも着てやしない」と云ってしまう子どもには童話を理解することができない。アンデルセン氏がこの矛盾に気がついていたかどうか。山男は陳氏という中国人に薬を飲まされ六神丸に変えられてしまう。だが騙されても陳氏に同情してしまうほど山男は人がいい。もし山男が子どもの精神を持っていたなら陳氏が詐欺師であるとすぐに見抜けた筈だ。つまり山男もまた見えないものを見えると云える精神の持ち主なのだ。

☆4月8日。高校時代の友人K・ケイ氏が遊びに来た。彼女は大学2年生。現役で進学している。お互い何でも語り合える仲の良い友だち。履修の仕方を教えてもらう。授業の選択は個人に任されている。流石に自主性が重んじられている。なるべく授業内容が相互に関連しているものを選ぶよう勧めてくれた。最短で卒業単位を取得できるように三年先まで決めてしまうのが望ましいとも。第二外国語はドイツ語にした。ドイツ人の音楽家と哲学者に興味があったからだ。エドムント・フッサールの現象学。面白いよ。と彼女が云った。わたくしは最近デカルト氏の『方法序説』を読み始めたことを伝えた。デカルトの二元論を克服するための試みがフッサールにはあるから。『デカルト的省察』とか。読んでみたらどう。こういうアドバイスは有り難い。わたくしとK・ケイ氏はこのように知識を挟んでコミュニケーションを続けて来た。でもなぜ恋愛に発展しないのであろう。

☆人と人の間に生じる感情について。もしかしたらわたくしは人よりも鈍感なのかもしれない。K・ケイ氏がわたくしに特別の感情を抱いているとしたら。否。シグナルは一切送られてきていない。と思う。二人きりでわたくしの部屋でお茶をして。おしゃべりをして。とてもリラックスしている。去年も『なまいきシャルロット』という映画を二人で観た。帰りに喫茶店で感想を述べ合った。この距離の取り方がお互いとても気に入っている。周囲はわたくしたちが付き合っているのでは。と噂している。男は視覚的な刺激に弱いらしい。一方女性は目に見えない世界を敏感に感じるセンサーが鋭いと云われている。ムードを感じる感覚だ。本当だろうか。程度の差はあるだろう。わたくしはどちらかと云えばムードが苦手。壊す方は得意。だから努めてムードを作らないようにしている。moodとnude。ムードとヌード。MとN。そこから何か新しいものが見えてくるかも知れない。

☆ムードは見えないもの。ヌードは見せるもの。皇帝の服が見えるという大衆のムード。それに逆らう子どもが見たのは皇帝のヌード。現象学は男性と女性の差異をどう見るのだろう。ムードは無視してヌードだけを対象として考えるのではないか。なんとなくそう思う。ムードとヌードは性差に関係があるというよりか生活形態の違いに関係するのかも知れない。例えば狩りに出る人間は観察中心の生活になるだろう。一方留守を任される人間は気配中心の生活になる。人が視覚的な刺激に反応するのはこうした役割の違いからだったのではないか。見ることに関してはどんどん得意になっていった。原始時代の洞窟の中の絵は狩りに関係している。そして狩りをする者たちは己の気配を消す。見る者は同時に見られてはならない。つまり自然を身に纏う。カメレオンのように。だから変装や衣装の発達も狩りをする必要性から生み出されてきたのかも知れない。あるいは戦争の影響か。

☆住居を守る役割を持った人間は見えないものにアンテナを張る。火事や洪水。あるいは土砂崩れや雪崩。獣たちの襲来。大雨や地震。外から忍び寄る敵に対するセンサーが発達する。ムードを意識するようになったのはその習性からか。ムードの文化とヌードの文化。ムードの性とヌードの性。K・ケイ氏もあまりムードを作らない。だから二人は友だちのままでいられるのだと思う。ヌードの種族同士ということか。お互い裸でいるということか。裸の付き合いならば服を脱がせる必要がないわけだ。性というものに関する新しい視点がここから得られるかも知れない。4月9日。シャルル=ピエール・ボードレール氏の誕生日。K・ケイ氏がきのう安藤元雄氏訳の『悪の華』(集英社)を貸してくれた。彼女はフランス文学専攻だ。わたくしは『ヘッセ詩集』(新潮文庫)と『ドイツ名詩選』(岩波文庫)を彼女に貸す。フランスとドイツの文化交流に思いを馳せる。

☆きのう大学で健康診断があった。内臓は健康だが二年間の浪人生活ですっかり筋力が衰えている。勉強しながら運動もしなくちゃ。クラスが一緒になった連中の中にはスポーツをやっている者も何人かいた。テニスなんかをやるのが大学生らしくていいかもしれない。ラケットでボールを打ってネットの向こうの陣地に落とす。それを拾って再び相手の陣地へ。この作業を繰り返すこと。テニスは天体の運行と関係がありそうだ。バトミントンやバレーボールやバスケットボール。関連するスポーツについても調べる必要がある。相撲が神事であるならばこれらの球技も神事の一種であるに違いない。ボードレール氏の名前からボードゲームとプラレールが浮かんでくる。野球盤には変化球が投げられる機能があった。消える魔球もあった。プラレールには踏切やプラットホームや陸橋があった。幼馴染のM・ダイ氏は今どうしているかな。一人っ子だった彼のうちには玩具が揃っていた。

☆ゲームの由来に神事があるとすれば。ボードゲームで遊ぶ事にも宗教的な意味がある。野球盤でバッターやピッチャーを操作して対戦する時の眼の位置。地上を見おろす神々の視点。プラレールで線路をつなげて小さな街を作り出す行為。天地創造あるいは国生みの模倣。詩人もまた言葉を使ったゲームで神事を行っている。ボードレール氏について訳者の安藤元雄氏の解説には《あえて図式的に言えば、詩を書くという作業を水平にひろがることから垂直に深まることへと変えた。ボードレール以前のロマン主義が、さらにそれに先立つ古典的、客観主義的な詩の理解の仕方への挑戦として、強烈な主観主義的態度を投げつけたのが事実だとすれば、ボードレールはそのロマン主義の主観そのものの根に問いをかけたと言える》とあった。具体的には何を指しているのか今のわたくしには分からないが。バッハ氏からベートーヴェン氏。ベートーヴェン氏からドビュッシー氏。という音楽史を連想。

☆4月11日。小林秀雄氏の誕生日。駅前にある古本屋で『考えるヒント4』(文春文庫)を見つけた。同じく4月生まれの中原中也氏の思い出を語っている。気になったのは《汚れちまつた悲しみに》という小林秀雄氏による表記について。中原中也氏による原文では《汚れつちまつた悲しみに》となっている。「れ」と「ち」の間に「つ」がある。促音の「つ」が二回あるのだ。この違いについて研究することにどれほどの意味があるかは分からない。が。中原中也氏と小林秀雄氏の間に生じた軋轢のことを考える時。この「つ」の問題は案外重要なヒントを与えてくれるかもしれない。長谷川泰子氏を挟んだ三角関係。大正13年4月。中原中也氏は17歳の時に長谷川泰子氏と同棲。翌年二人は京都から東京へ。そして4月に小林秀雄氏と知り合う。4月の不安は偶然か。長谷川泰子氏が中原中也氏を捨て小林秀雄氏のもとへ行ってしまうのがその年の11月。その後すぐ中原中也氏は『春と修羅』を手にしている。

☆長谷川泰子氏のポートレートを見る。映画女優でモダンガール。どことなくK・ケイ氏に似ている。わたくしは彼女に恋をしてもいいのかも知れない。でも中原中也氏のような生き方はできそうにない。する必要もない。わたくしの傾向性は宮沢賢治氏の方角がふさわしいように思う。ストイックに勉学。禁欲と奉仕。少なくとも7年間は。利美度のバランス。小林秀雄氏と中原中也氏を繋いでいたのはフランス文学への傾倒であった。ランボー氏ヴェルレーヌ氏ボードレール氏などの象徴派の詩人たちが接着剤になっていたことは確かだ。だからK・ケイ氏はわたくしにとって長谷川泰子氏なのではなく小林秀雄氏なのだ。そんな事を彼女に云っても何のことだか分からないだろうけれど。中原中也氏の『山羊の歌』には「時こそ今は……」という詩がある。エピグラフにはボードレール氏の《時こそ今は花は香炉に打薫じ》という詩句が置かれている。

☆《時こそ今は花は香炉に打薫じ、そこはかとないけはひです。しほだる花や水の音や、家路をいそぐ人々や。いかに泰子、いまこそはしづかに一緒に、をりませう。遠くの空を、飛ぶ鳥もいたいけな情け、みちてます。いかに泰子、いまこそは暮るる籬や群青の空もしづかに流るころ。いかに泰子、いまこそはおまへの髪毛なよぶころ花は香炉に打薫じ、》。中原中也氏の『山羊の歌』には句読点を使用した詩とそうでない詩がある。どのような時に句点を打ち。読点を付すのか。規則性が見えない。その中でも「時こそ今は……」は最後が読点である。実に珍しい。あるいは校正ミスだったのか。句点で終わる場合がほとんどであることを考えると。この後にもう一行あったのかも知れない。例えば《そこはかとないけはいです。》と結ぶ。この可能性は大いに考えられる。14行詩にするために。推敲の過程でこれが削られ。読点をトリ忘れたか? もしくはあえて残して続きを読み手に委ねたか。

☆わたくしは句読点にこだわる。声に出して読むことが前提であるならば読点の使用には意味があるだろう。音読する側の立場に立っての書き手の配慮。そこで息継ぎして下さいと読点。詩句はそこで終わりますと句点。五線譜上の音符と記号の役割と同じである。わたくしはいつからか句点だけで文章を書くことに決めた。そしてそれを実践している。この方法を選んでから他の文章における句読点が異常に気になる。日曜日に高校時代のクラスメート女子4人と再会。高校3年の時。文化祭に向けてわたくしたちは自主制作映画に取り組んだ。この制作を通して男女の仲が急速によくなった。それから皆で土手に行ってバレーボールをやったりバンドを組んで合奏をやったりファミレスにごはんを食べにいったり機会あるごとに集まりおしゃべりして笑った。卒業して2年経ってもお互いの関係は変わらない。しかしわたくしはこの日に限って4人から反感を買うような話をしてしまった。

☆複数で討論するというのは難しい。1対1の対話でさえ誤解が生じるのだから。集団になるとそれぞれの動機や趣向がバラバラで。こちらの狙い通りには事が運ばない。わたくしは他人をコントロールする欲望を持っている。だから4人を相手にしても説得できると思い込んでいた。ムードを壊して平気な顔をしている。不遜というのはこういう態度のことか。わたくしは傲慢なのか。わたくしにはひとりひとりとの忘れがたい想い出がある。皆かけがえのない存在である。垣根はない。しかしそれが集合体となると微妙なバランスになる。得体の知れない力が働く。人間関係はずっとこの力との戦いである。望まなくても巻き込まれる。あるいはそれを利用することも。デスタンスの問題だ。この悩みは死ぬまで続くのだろう。あなたとあなたたちの違い。我と我々の違い。わたくしは集団に向かって語るのをやめよう。どこまでも話し相手は一人。その一人に向かって語ろう。そう。30年後のカムパネルラに向かって。

☆4月20日。オディロン・ルドン氏の誕生日。集英社の『悪の華』には挿絵が9葉ある。ルドン氏の版画だ。詩を活字だけで読むのと絵と合わせて読むのとでは印象が異なる。この本の構成はとても良い。詩の世界と絵の世界が調和して芸術がより高みへと昇っていく。ルドン氏は今年ちょうど生誕150年。ボードレール氏は169年。時間的なこのデスタンスが今のわたくしには心地よい。48頁と49頁に挿まれた絵をじっと見つめる。その横にある無題の詩には《夜の空にもひとしいものと私はおまえをあがめている、おお 悲しみの器、おお 丈高く無口なひとよ、恋しさはつのるばかりだ、美しい、おまえが逃げれば逃げるほど、そしておまえが私の目にも、わが夜ごとのいろどりよ、ますます皮肉に距離を重ねて 私の胸を 青い無限のひろがりに届かせまいとすればするほど。》とある。詩人には理想の人がいる。理想の人との距離を描いている。芸術がその距離を縮める。

☆4月22日。イマヌエル・カント氏の誕生日。日曜日なのでゆっくり読書。大学では哲学の授業が一番面白い。哲学だけは昼のコマで授業を受ける事にした。教授のF・ケンイチロウ氏は話し方も動きも独特で。大学にしか存在しない人間の模範を示している。ランチタイムに学食で見かけた時。メニューの看板の前でじっと考え込んでいる。他の人がどんどん注文して教授を抜かしていく。それでも考えている。そして意を決したように叫ぶ。味噌らーめん! わたくしは吹き出してしまった。これほど哲学的な意味が込められたミソラーメンという音を未だかつて聴いたことがなかったから。教授は年間の課題図書としてプラトン『ソクラテスの弁明』とデカルト『省察』とカント『道徳形而上学原論』を挙げられた。この人から基礎をしっかり学んでいこう。生きることと考えることのつながりがどうなっているのかを知りたい。生きるための言葉と考えるための言葉の違いについても。

☆赤ん坊が這い這いをする。その頃にバブバブと音声を発する。大人はそれを未熟な状態であると見る。その段階に留まっていることを望まない。這い這いから捉まり立ちへ。やがて二足歩行へ。そして言語の習得。人は立って歩く動物。そして同時に言語を操る動物。生きることと考えることが始まってしまう。但し。歩き方はみな同じではない。癖が出る。それは環境に影響を受けている。遺伝や生活スタイルに。言葉を操ることも同様だ。わたくしはすっかり日本語で考えて日本語を話すようになってしまった。歩く人は走る人にもなる。また踊る人にもなる。同様に。話す人は小説を書く人になる。また詩を書く人にもなる。4月30日。カール・フリードリヒ・ガウス氏の誕生日。正17角形が作図できることを発見した偉大な数学者である。素数研究の大先輩。言葉を話す前から計算ができたという逸話が残っている。一体それはどういう事なのだろう。思考は言語習得以前にも可能であるということか。

☆ヨハネによる福音書には《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。》(新共同訳)とある。言という漢字一字で「ことば」と読ませる。言と神と命と光が一文字ずつ。それから。あった。あった。あった。あった。成った。なかった。あった。あった。と過去形が続き。光は暗闇の中で輝いている。とここだけ現在形。そして。理解しなかった。過去形の問題点。言が神であったのは昔の話で今はそうではない。という解釈がここから出てくる。暗闇の支配が暗示されている。這い這いをする前にバブバブはあった。だがガウス氏は話す前に計算ができた。これは暗闇の支配と何か関係があるのか。行為と言語。これがわたくしの今後のテーマになるだろう。

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