見出し画像

恋するポエジイ 1990年6月。

☆きょうはエドワード・エルガー氏の誕生日。レナード・バーンスタイン氏の指揮で「威風堂々」を聴く。さあ勉強しよう。芸術は触発によって生まれる。そういえば芸術についてこれまでじっくり考えを煮詰めた事がなかった。言葉はいつも漠然と使い続けているだけでなんとなく分かった気になってしまう。だれもがゲイジュツという音の響きで何を意味しているかわかっているようだから不思議だ。絵のこと。彫刻のこと。音楽のこと。あるいは建築やファッション。映画。芝居。舞踊。写真。書。皿。壺。お花。お茶。そして文芸。大学で知り合ったM・マサカズ氏はいつも長編小説をカバンに忍ばせている。わざわざ分厚い文庫を買って読む事にしているらしい。大学の仲間の内。中央線で新宿へ出て山の手線に乗り換え帰路に付くのはわたくしとM・マサカズ氏だけである。自然と色んな話をするようになった。彼には兄と弟がいて。わたくしには姉と妹がいる。彼は犬を飼っていて。わたくしは猫を飼っている。

☆わたくしもM・マサカズ氏も二浪。他のクラスメイトは現役か一浪なので年齢的にはわたくしたちが年上となる。さらにM・マサカズ氏は高校を一年留年している。しかし大学では年齢の上下はあまり意味を為さない。学年が同じであれば敬語はいらない。日本はどうも年齢の上下にうるさい。先輩を下に見る事が憚れる。特に高校までの上下関係は絶対的。年上にタメグチをきくような人物は特殊な人間であるとみなされる。そのタブーから解放されるという点でも大学という空間は特別なところだ。電車の中でM・マサカズ氏は『魔の山』を開いていた。わたくしは経済学の授業で興味を持ったアダム・スミス氏の本を持っていた。アダム・スミスの誕生日は6月5日でケインズと同じ。君はいつも誕生日にこだわるね。わざとそうしているんだ。借りる本をそれで選ぶんだよ。おっと。トーマス・マンは6月6日だぞ。M・マサカズ氏は解説のページを見せてくれた。

☆『トニオ・クレーゲル』と『ヴェニスに死す』は読んだよ。マン好きなの? 北杜夫の影響で。マンっていう名前いいよね。あこがれの存在には皆マンが付く。スーパーマン。バッドマン。ウルトラマン。レインボーマン。筋肉マン。なんか古いね。その中でもトーマス・マンは格別だ。ほらここ。きのう云っていた時間のこと。書いてあるよ。もう下巻を読んでいたのか。ああ。読むの速いね。慣れだよ。そっちはどうしてアダム・スミス? マルクス経済学の理解のためには必須なんだって。損得でしか人間は動かないという考え方。俺好きじゃない。この本によるとスミスの利己心という言葉は案外それだけの意味ではないようだよ。もちろん経済活動を支えているのは個々の利己心だというのは本当らしいからね。自利は生物的な本能だよね。でも私利私欲に走らない人間にこそ魅力があると思わないか。例えば? トルストイとか。ガンジーとか。宮沢賢治とか。

☆どうしてマサカズは文学部を選ばなかったの? 簿記をやって資格を取りたい。なんだやっぱり損得じゃん。このような会話をしてわたくしたちは品川駅で別れた。別れ際に『魔の山(下)』(新潮文庫)を渡された。下巻から読むつもりはなかったけれど開いてみた。第六章。《時間とは何か。これは一個の謎である──実体がなく、しかも全能である。現象世界の一条件であり、ひとつの運動であって、空間内の物体の存在とその運動に結びつけられ、混ざり合わされている。しかし運動がなければ、時間はないであろうか。時間がなければ、運動はないのであろうか。さあ尋ねられるがいい》(7頁)。ここにも同じ事を考えている人がいる。トーマス・マン氏は分岐点になるだろう。ここからゲーテ氏へ。トルストイ氏へ。あるいはシェイクスピア氏へ。またはリルケ氏や堀辰雄氏へ。思索は思索を引き寄せる。時間と運動については是非とも解明したいテーマである。第四次延長の問題。

☆『魔の山』の訳者高橋義孝氏の解説にこうある。《マンが『ヴェニスに死す』の対になるようなユーモラスな短編を書くつもりで『魔の山』の仕事を始めたのは1913年7月ごろであり、このとき彼は38歳であったが、これが一千二百ページの大作『魔の山』として世に出たのは1924年11月28日であり、彼は49歳になっていた》。1924年と云えば宮沢賢治氏が『注文の多い料理店』を刊行した年だ。短編の計画が次第に膨れ上がっていったというエピソードも実に興味深い。やはり解説に目を通しておくことは大切。『ヴェニスに死す』(岩波文庫)を読み返す。主人公のアッシェンバッハ氏は徹底的な観察者である。特に人物を観察させたら右に出るものがない。人間観察者の目を通して世界を切り取る五つの章。第一章では電車を待つ間見知らぬ男をじっと観察。第二章は自分自身を見つめている。第三章はヴェニスへ向かう船に同乗した人びとを。中でも青年の振りをしている老人を細かく観察。

☆そしてその醜い老人と対極にいるタッジオ少年と遭遇。第四章ではひたすら少年の美を堪能する。《そしてアッシェンバッハは、すでに度々感じたように、言葉というものは、感覚的な美をほめたたえることができるだけで、それを再現する力はない、と苦しい気持で感じたのであった》(80頁)。美に対して言葉を尽くす小説家がここであきらめてしまうほどの美。第五章になると疫病がヴェニスの街にも蔓延しているという情報を得る。しかしアッシェンバッハ氏は美少年の後を付け回すことがやめられない。そして大道楽団の一員を細かく観察。ホテルの理髪師に化粧を施されたアッシェンバッハ氏は青年の振りをしたあの醜い老人を図らずも再現することになる。老人もアッシェンバッハ氏もなぜか赤いネクタイをしている。ちなみにタッジオ少年も赤い絹のリボンを付けている。ここにも赤と白のテーマが隠れている。あるいは年齢の違うこの三者は過去現在未来を表わしているのかも知れない。

☆タッジオ氏はアッシェンバッハ氏の過去を。老人は未来を象徴している。すると主人公の小説家はひたすら自分の人生を追跡していた事になる。彼がヴェニスを旅するのは二度目である。これは反復だ。おお反復の主題まで隠れているとは。キルケゴールの『反復』の主人公がベルリンへの訪問を反復するように『ヴェニスに死す』の主人公はヴェニスへの訪問を反復する。そこから逃げ出そうと企てたにもかかわらず運命的に引きも戻されてそこで死を迎える。これは悲劇だろうか。わたくしの目には喜劇に映る。滑稽であわれな人間の話。『男はつらいよ』のテレビ版で寅次郎が蛇に噛まれて死んでしまったように。老人を蔑んだ目で見た観察者が同じような醜態を晒し美に噛まれて死に至る。30年後のわたくしはこの小説をどう読むだろう。その頃わたくしもちょうどアッシェンバッハ氏と同じくらいの年齢に達している。この話がちゃんと悲劇に見えるのだろうか。

☆6月の末に死んでしまうアッシェンバッハ氏。例えばコペンハーゲンからベルリンへ。ベルリンからヴェニスへ。いつかわたくしもヨーロッパを旅してみたい。6月生まれの作曲家は多い。8日ロベルト・シューマン氏。映画『男はつらいよ』を観ているとトロイメライがよく流れる。9日山田耕筰氏。「この道」や「赤とんぼ」などの作曲者。11日リヒャルト・シュトラウス氏。交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。音楽で超人を味わう。15日エドヴァルド・グリーグ氏。わたくしは「ペールギュント」が小学生の頃から好きだった。17日イーゴリ・ストラヴィンスキー氏。個人的にかっこいい名前の第三位。さあ今夜は順番に彼らの曲を聴いていこう。来週はバーベキュー大会がある。その次の週は海水浴だ。大学の仲間の輪がどんどん広がっている。Y・チカラ氏やH・トモヤ氏がそれぞれ別のクラスの女子に声をかけているようだ。明るいグループ交際。青空の下でタッジオ少年を探そう。

☆大学の仲間6人と二日続けてテニスをやった。汗をかいて上半身裸になって青い空を見つめる。ソーダーをぐっと飲み干してげっぷする。M・マサカズ氏はスポーツも得意である。ベンチに並んで座って友人たちのプレイを眺める。『魔の山』の話をする。サナトリウムというのはまるで大学だね。そこには出会いがあり講義があり議論があり探究がある。男と女。男と男。いろんな交わりの中で経験値を上げてゆく。我々学生が十分な時間を与えられているように患者たちは時間を持て余している。もしかしたらこの社会全体が大きなサナトリウムなんじゃないか。人文主義者セテムブリーニ氏とイエズス会士ナフタ氏の間で繰り広げられる論争が凄まじい。セテムブリーニ氏がフリーメイスンの一員だったというのは面白いね。トーマス・マンは今世紀の作家だから。我々の感覚にとても近い。読んでいると共感できる部分が沢山出てくる。政治と文化の話をしていてもバックボーンはやはり宗教だ。

☆4月にデカルト5月にキルケゴール6月にトーマス・マンを読んで一つの結論に達した。時間は存在しない。ずっと誤解していた。時間は流れているものだと。あるよ。ないわけないでしょ。今何時よ? 3時過ぎでしょ。4時になったらこのコートをあけわたさなきゃならない。時間があるからできることだ。ゲームだってそうだ。タイムがあるじゃないか。それは時間ではなく時計だよ。人間は自分たちの都合で時間を計測できると信じているけれど。ただ単に運動を区切っているだけなんだ。あの球も。ラケットも。人間も。みな運動しているだけ。そこに時間が流れている必要はまったくない。ボールは落ちるように落ちればいい。それを拾えるなら近寄って拾えばいい。君は何か書いてみたらどうだ。読ませてもらうよ。さあ。順番だ。プレイを楽しもう。運動しながら考えよう。ほら。時間がないぞ。ほら。やっぱり時間はないじゃん。はは。時間があるから時間がないのさ。

☆『魔の山』第六章の「雪」の節の描写はすこぶる美しい。主人公ハンス・カストルプ氏は吹雪に見舞われ遭難しかける。人里を目指して雪の中を進んでみたが結局もとの小屋に戻ってしまう。《ぐるぐる旋回し、悪戦苦闘しながら、心では筋の通ったことをしているつもりでいながら、人をたぶらかす一年の循環と同じようにふたたび出発点に戻ってくるという、ある広大なばかげた弧を描いたのだった。ひとはこのようにぐるぐるさ迷って、ついに帰途を見失うものなのである》(283頁)。小学1年生の時に親友のM・ダイ氏と二人で迷子になった日の事を思い出した。わたくしたちは自転車に乗って表参道まで冒険に出た。夕暮れになってそろそろ帰ろうと目配せしM・ダイ氏の道案内で帰路につこうとしたがなぜか同じ場所に出てしまう。次第に日が暮れて。とうとうM・ダイ氏は泣き出してしまった。しかも彼は既に失禁してズボンがびしょ濡れ。恐怖のどうどうめぐり。

☆大泣きする親友を励ますわたくしも実はウンチをもらしていた。ハンス・カストルプ氏は吹雪の中を一時間ほどさまよったと思っていたのに時計を見たら15分しか経っていなかった。迷子になった時わたくしも同じような時間の感覚に襲われた。どうどうめぐりは永遠に終わらないのではないかという不安の中で時間は長くびよーんと引き伸ばされた。『魔の山』の訳注をみると《「どうどうめぐり」の原語umkommenには「死ぬ」の意もある》と書かれている。声に出してみると「ウンコメン」。迷子になってウンチをもらしたわたくしは正解を出していたという事になる。仕事帰りの若い女性三人が近付いて来て声をかけてきて警察署に連れて行ってくれた。助かったという安堵感。警官もウンチメンを預かってさぞ臭かっただろうに。いずれにしても。自分がどこにいるのか。今がいつなのか。位置や時間を見失うという経験は文学を読み解くためには必要なのかも知れない。

☆岩波文庫から出たばかりのトーマス・マン氏の講演集『ドイツとドイツ人』を買った。一人の作家の思想遍歴についても考えなくちゃいけない。初めは国粋主義だった人物が世界市民になる場合だってある。コスモポリタンを目指さないといけない。コスモポリタンは食べ物じゃないよ。なんか腹減ったな。トーマス・マン氏はナチスと闘った。その点だけでも尊敬に値するとM・マサカズ氏は云っていた。引用する。《抒情詩は、戯曲や叙事芸術よりも目立ってはるかに強く批評と結び付いておりますが、これは抒情詩の主観性、すなわち抒情詩の表白には距離がなく、抒情詩にあっては言葉が感情や気分や人生観を表現するために直截的に投入されることと関係がありましょう》(202頁)。云われてみなければ気が付かなかった。叙事詩の方が批評的だとばかり思っていたが。そうか。抒情詩は批評に直結しているのか。すると詩を批評するということは批評の批評ということになる。

☆《言葉! 言葉というものはそもそもそれ自体が批評であって、──アポロの弓から射られた矢のように、ひゅっと飛んで行ってぴたりと当たり、的の黒い中心に刺さってふるえている、そういうものなのではないでしょうか。歌となってもなお、いや、歌であるからこそ、言葉は批評なのです──人生の批評なのです》(203頁)。素晴らしい! この言葉を忘れずにいよう。『魔の山』を読む上で知識不足を痛感する。わたくしはまだヨーロッパの歴史が分かっていない。一神教の事も理解していない。十字軍の事。宗教改革の事。20世紀の日本にいると全く無関係に見える。6月19日。ブレーズ・パスカル氏の誕生日。『パンセ』(中公文庫)を購入。初版のタイトルは『死後遺稿のうちから見出された、宗教その他若干の問題についてのパスカル氏の思想』である。パスカル氏はジャンセニウスの教えを奉じるポール・ロワヤル派に属していたという。そしてイエズス会との論争を繰り広げた。

☆『パンセ』もまたキリスト教の歴史と深く関わりのある書物だ。感動的な一節がいくつも見つかった。その一つ。《われわれは決して、現在の時に安住していない。われわれは未来を、それがくるのがおそすぎるかのように、その流れを早めるかのように、前から待ちわびている。あるいはまた、過去を、それが早く行きすぎるので、とどめようとして呼び返している。これは実に無分別なことであって、われわれは、自分のものでない前後の時のなかをさまよい、われわれのものであるただ一つの時について少しも考えないのである。これはまた実にむなしいことであって、われわれは何ものでもない前後の時のことを考え、存在するただ一つの時を考えないで逃しているのである》(115頁)。今を生きることができない人間は幸福になるための準備はできるが決して幸福ではないとパスカル氏は云う。バーベキュー大会の準備をしている。未来のことで今を忘れている。しょうがないよパスカルさん。

☆6月21日。ジャン=ポール・サルトル氏の誕生日。K・ケイ氏から『嘔吐』を薦められた。人文書院のサルトル全集第6巻改訂版を図書館で借りる。白井浩司氏の訳である。パスカル氏の後に読んだせいもあってなんだか腹が立って来た。無神論者に対する嫌悪。神なき人間の惨めさの実例を見せられている気分。しかしそこには20世紀の人間の精神性があぶり出されている。ともするとわたくしもM・マサカズ氏もアントワーヌ・ロカンタン氏になってしまうかも知れない。ここで不寛容になってはならない。実存主義を飲み込む必要がある。パスカル氏が指摘した事と『嘔吐』が示したかった事は同じ事だったとも云えるのだから。過去ではなく未来でもない現在を。土日を使って車で奥多摩へ。大学の仲間たちと河原でバーベキュー。運転をしてほとんど仮眠もせず。はしゃぐ。自然の中にいると体内にエネルギーがどんどん蓄えられるから元気なのだ。食べて呑んで歌って泳いで。鬼ごっこ。飛び込み。

☆6月27日。ラフカディオ・ハーン氏の誕生日。ギリシャで生まれアイルランドで幼少期を過ごしフランスで学んでアメリカへ渡る。凄まじい放浪の末に日本へ到達したのが1890年。ちょうど100年前のこと。出雲の松江中学に英語教師として赴任し9月の新学期から教壇に立った。そのあと熊本に3年。神戸に2年。上京して東京帝国大学に6年7カ月在職し。1904年4月から早稲田大学で教え。その年の9月26日に狭心症のために死去。この100年の間に生まれた日本人は実に幸せである。小泉八雲氏の残した文学によってどれほど日本人が豊かな恩恵を受けていることか。知らずともその影響の大きさは計り知れない。わたくしの母は「耳なし芳一のはなし」が得意であった。芳一の耳が引きちぎられてしまう場面は今でも脳裏に焼き付いている。まるで自分が経験した記憶ででもあるかのように。姉も妹も同じように感じているであろう。裏に墓地のあるアパートに住んでいた事も一役買っている。

☆6月28日。ジャン=ジャック・ルソー氏の誕生日。彼もまたさすがに放浪の人生である。どうして国家や社会のことにあれほど関心を持ち続けることができたのだろう。岩波文庫の『人間不平等起原論』を購入する。「ジュネーヴ共和国にささげる」という一文に感銘。彼の理想は高い。高いだけではなくひたすら正しい。《ひとたび服従に慣れた人民は、もはや主君がなくてはやってゆけません。束縛をふるい落そうと試みれば、彼らはますます自由から遠ざかります。それは自由とは反対の勝手気ままを自由ととりちがえるので、彼らの企てる革命は、ほとんど常に、彼らの鎖を重くするにすぎない煽動家たちの手に自分の身をまかせることになるからです》(11頁)。1754年6月12日の発言である。その後のフランス革命やロシア革命の先を見通しているかのような鋭い洞察。M・マサカズ氏は『孤独な散歩者の夢想』を読み出した。Y・ノリタカ氏がスペイン語の授業で知り合った女子を連れて来た。

☆6月29日。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ氏の誕生日。1900年に生まれているから生きていれば90歳。氏は『星の王子さま』を出版した翌年44歳の時に飛行機で偵察に出たまま行方不明になってしまった。日曜日にはいよいよ海水浴。授業の合間に打ち合わせ。Y・ノリタカ氏はウキウキしている。女子が三名も参加してくれる事になったのが嬉しいのだ。夜の大学はただでさえ女子が少ない。わがクラスメイトは全員男子だ。もちろん男性志向の男子もいるがM・マサカズ氏とY・ノリタカ氏は完全無欠の女性志向。総勢9名が自動車2台に乗って三浦海岸を目指す。F・ナガコ氏とS・ハルミ氏とS・メイ氏はいずれも真面目な苦学生。どうしたらこんなに真面目に育つことができるのか。大学に来て何かを掴もうという強い意志。単純に知りたいという好奇心。お互いが見ず知らずの他人であったことをいつか忘れてしまう。だからわたくしは彼女たちに「はじめまして」とは云わず「やあ久しぶり」と声をかけた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?