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恋するポエジイ 1990年5月。

☆5月1日。北杜夫氏の誕生日。A介氏のお気に入り。彼の部屋には『どくとるマンボウ昆虫記』や『楡家の人びと』など北杜夫作品がほとんど揃っている。借りっぱなしの『幽霊』(新潮文庫)。何度も読む。『幽霊』に描かれた幼少期がわたくしのそれとあまりに似通っているため。なかなか手放せない。もしもわたくしが自分の幼少期について何かを語ってくれと頼まれたら迷わずこの本を差し出す。わたくしは東京都渋谷区千駄ヶ谷で生まれ育った。周辺には明治神宮。代々木公園。東郷神社。新宿御苑。神宮外苑。などがあり。都会でありながら森林に囲まれていた。コガネムシやカミキリムシはもちろんのことカブトムシやクワガタそれに虹色のタマムシそして多様な蝶や蛾などを簡単に捕まえることができた。将来は昆虫博士になりたいと思うくらい世界は虫に満ちていた。住んでいたアパートの裏が墓地で。近所の少年少女たちの絶好の遊び場であった。

☆わたくしはそこで蟻の結婚飛行に遭遇。羽根アリたちがらせん状に舞い上がるその中心になぜかわたくしの視界はあった。それはあまりにも幻想的で。眩暈を起こすほど神秘的な体験だった。ある時はスズメバチにも刺された。仔猫を拾って密かに育てた。蛇が出た。蜘蛛とカマキリを対決させた。フナを釣った。メダカやゲンゴロウを獲った。ザリガニを釣った。カエルを強制的に冬眠させようとして窒息死させた。わたくしは生き物を殺しすぎた。永いことそれを忘れていた。『幽霊』には次のようにある。《幼年期というものは、ただ育つこと大きくなることだけが目的なのだと。それならば、彼等が自らの成長にとって妨げとなるすべての体験、あらゆる記憶を、体内のどこかにじっとおし隠してしまうというようなことだってあるかも知れない。ちょうど侵入した結核菌のまわりを、石灰の壁がおのずからおしくるんでしまうときのように》(48頁)。

☆なんでもかんでも覚えていれば確かに生きづらい。不要な記憶は消してしまった方がよい場合もある。だが本当に消せるか。《しかしこうして、ひとりの人間は目にみえぬ影を背おうようになる。すなわち、それが〈無意識界〉なのだ。その影は主人の死に絶えるまで、次第にふくらみながらどこまでもつきまとってゆく》(48頁)。人はなぜ無意識という言葉を意識することができるのだろうか。A介氏の心の病はだいぶ悪化しているようだ。先日もお母様から電話があった。久しぶりに会いに行ってみようか。でも今はなんとなく気がひける。会えば大学の話になる。気を遣う必要はないのだが。『幽霊』の感想文でも書いて出そうか。うん。それがいい。北杜夫氏はわたくしを幼少期に誘導してくれた。そしてドイツ文学への入り口となった。この事実を彼にも伝えなくては。ハインリッヒ・ハイネ氏は歌う。《五月は来ぬ、樹も草も花咲きぬ、おおぞらの青さの中をばら色の雲は過ぎゆく》(片山敏彦訳)。

☆幼少期を回想する全ての文学に栄光あれ。『幽霊』第四章に《ときとすると、ふりそそぐ光の粒子と極度に透きとおった大気の中で、自分がひょっとすると自分とはおよそ縁どおいあるもの、たとえば世間でいう詩人とかいうものではないか、という観念がひょっこり浮かんでくることもあった》(161頁)とある。興味深い事に人が詩人になり損ねる瞬間を描写している。《しかし、それは喉元で渦をまき、胸を波だたせるばかりで、やがてたゆたって、ゆらいで、消えてしまった。どこへとも知れず、がらんとした空虚さをあとに残して》と続く。この小説は全体で十分に詩になっているのではないか。主人公は知人の家で何気なしにパステル画を描く。それを見たその家の少女に「なんだか、わかる?」と尋ねると少女は「ゆ、う、れ、い」と答える。ここで小説『幽霊』が長篇の形をした一篇の詩であるとわたくしには思われた。A介氏の枕元に時々亡くなった先祖が現われると云う。ああ繊細な心よ。

☆生活のリズムが崩れかけているぞ。仕事を終え。日暮れに中央線に乗る。大学に行き授業を受ける。眠い目をこすって必死にノートを取る。授業が終わって友人たちと飲み食いをする。終電で帰る。部屋に戻ると猫が5匹待っている。一人暮らしのマンションの一室。読みたい本をひらく。朝まで夢中になる。シャワーを浴びて無理やり目を覚ます。アルバイト先へ走る。このくり返しで疲れが溜まってしまった。寛容主義という言葉を思いつく。エゴイズムについての研究を始める。5月病が始まっている気がする。真理を求めること。キリスト教哲学についての探究。風邪気味。中学時代の仲間3名と連休を使って軽井沢へ。自炊しながら若者論と日本論を語り合う。わたくしたちはどうしてこうも話し合うことが好きなのか。おしゃべりは無駄。価値のある大いなる無駄。彼らと過ごすことで少し元気を取り戻す。軽井沢は文学の街でもあるので心が休まる。

☆5月5日。セーレン・オービエ・キュルケゴール氏の誕生日。わたくしの髪もキュルケゴール氏のようにボサボサ。今度の旅には岩波文庫のキルケゴール『反復』とキュルケゴール『死に至る病』を持参。『反復』の翻訳者桝田啓三郎氏がキルケゴールと表記しているのに対し『死に至る病』の翻訳者斎藤信治氏はキュルケゴールとしている。わたくしはどちらの表記を採用するべきか。全くあれかこれかだぞ。マスダという名前も漢字にすると桝田の他に増田や益田などがある。サイトウという名前も斎藤の他に斉藤や齋藤などがある。あれかこれか。それぞれの解説を見よう。斎藤信治氏は書いている。《もともとこれは渾名なのである。デンマーク語のKirkeはドイツ語のKircheないし英語のchurchに、Gaardはドイツ語のGartenないし英語のgardenにあたる》(226頁)。チャーチのガーデン。なんと素敵な名前だろう。もし漢字にしたら寺庭さんかな。

☆《寺屋敷に住んでいる一家のことを部落の人達がキルケゴールと呼びならわしていたのが、そのまま家名となったのである。後にキュルケゴールの父が、セディングから首都コペンハーゲンに移るに及んで、寺屋敷という普通名詞そのままではいささか気になったのであろう、Kirkegaardのなかに無意味なeの一字を挿入して、キュルケゴールという固有名詞に転化さしたという》(226頁)。それでKierkegaard。それはまた墓場をも意味していたらしい。お墓の裏に住んでいたわたくしにとっては実に意義深いエピソード。このeの挿入を忘れないためにはやはりキュルケゴールと表記するのが望ましいのかもしれない。だが果たしてキルをキュルとしてしまって本当に良いのだろうか。これは「汚れつちまつた」を「汚れちまつた」に変える以上の難題かもしれない。この話を友人たちにしても相手にされないだろう。彼らにはどっちだって構わない話なのだから。

☆斎藤信治氏は《実存主義とマルクス主義とが現代の二大思潮であるといわれるにつけても、キュルケゴールへの関心は世界を通じてマルクスへのそれに迫っているともいえる》と記している。カール・マルクス氏はキュルケゴール氏の5年後同じ5月5日に生まれている。偶然にしては実にへんな運命だ。端午の節句に生まれたこの二人を鯉のぼりにしてなびかせたら面白いだろう。解説は1957年の5月7日に書かれている。一方の桝田啓三郎氏の解説。《キルケゴールは、1837年に知り合いの女友達を訪ねて、そこで計らずも生涯の運命を決定することになった一少女レギーネ・オルセンにめぐり合い、そのレギーネと、1840年9月に婚約したが、しかし1年後の翌1841年8月11日、突如、次のような手紙を添えて婚約の指環を送り返し、10月11日、正式に婚約を破棄したのであった》(301頁)。こっちの解説は長いけど。続きが知りたくて一気に読み通してしまった。

☆キルケゴール氏の虜になる。1983年5月に書かれた解説だ。ああ。あれも5月。これも5月。これを5月病と云わずしてなんと云う。朝の空気はひんやりしている。でも吸い込むと森の香りがして美味しい。マイナスイオンたっぷり。彼らはまだぐっすり。眠れる森の友だ。さて読書の感想を少し記しておこう。世界を絶望の相のもとに見ることは哲学的に大きな意義がある。なぜなら世界観の選択だけで真理に到達することは出来ないことをそれは前提しているから。まことの救済とはおのれ自身の救済。ところがこの救済は常に世界の救済と同義でなくてはならない。世界の救済とは如何なることか。勢い良く考えよ! 宇宙の全貌を捉えることなど決してできない。だがわたくしは全宇宙との恋愛を希望する。より広い世界に属することを求めよ。詩人の使命は覚醒を促すこと。どこに所属しているかが問題なのではない。何に所属していると自分が考えているか。それが問題なのだ。

☆永い思索の果ての直観! 精神にとって重さを増すことが上昇を意味し反対に軽くなることが下降を意味する。気づけば気づくほど気づかぬ者が気の毒になる。存在を忘却させる関係。お金を稼ぐための協働。恋愛や友情。仲間たちとの遊び。それらは幸福の一つであるが。存在を忘れさせる。ゆえに最大の不幸をもたらす。わたくしはわたくしが存在するということが不思議でたまらない。すべての存在忘却の罠に抵抗せよ。心象スケッチという方法。色彩による表現。音による表現。映像による表現。身体による表現。様々な手段がある。だが心を描き出すには言葉によるスケッチが最適であることを宮沢賢治氏は知っていた。心の中身は絵にできない。音楽が聴こえ。物がぶつかり合い。光が観える。熱いもの。冷たいもの。大きなもの。小さなもの。対立したり融合したり。そして生まれるより以前の時間と死後の時間に至るまで。有限の中で永遠を求めるこの心の不可思議。

☆キルケゴール氏の『反復』はそれを実践している。書名の副題にちゃんと「実験的心理学の試み」とある。引用する。《ギリシャ人は、あらゆる認識は追憶である、と教えたが、同じように新しい哲学は、全人生は反復である、と教えるだろう。近代哲学者のうち、この点にうすうす感づいていたのは、ライプニツただひとりである。反復と追憶とは同一の運動である、ただ方向が反対だというだけの違いである。つまり、追憶されるものはかつてあったものであり、それが後方に向かって反復されるのだが、それとは反対に、ほんとうの反復は前方に向かって追憶されるのである》(8頁)。前方に向かっての追憶。おお。これこそがわたくしの意図するところ。読書の不思議を思う。『幽霊』のでだしの一文は《人はなぜ追憶を語るのだろうか》であった。北杜夫氏もまた追憶についての考察を貫いていた。知らず知らずのうちに『反復』の主題をわたくしもまた生きることになるかも知れない。

☆東京へ戻る電車の中で萩原朔太郎氏の詩を思い浮かべていた。《ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん。汽車が山道をゆくとき みづいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ 五月の朝のしののめ うら若草のもえいづる心まかせに。》(旅上)。5月6日。ジークムント・フロイト氏の誕生日。夢の働きに関する考察は繰り返し読まなくてはならない。自分が見た夢を自分で分析する力を身につけるために。この作業はいちばん手間のかからない実験。但しリビドは手強い。わたくしは覚醒時と睡眠時の境を見極めたくてしかたがなかった。『幽霊』の主人公のように。北杜夫氏はわたくしをフロイト氏へと導く。『精神分析学入門』(中公文庫)からいくつか抜書きしておこう。《夢は全体として或る他のもの、すなわち無意識的なものの代理であり、夢の解釈の課題はこの無意識的なものを発見することである》(147頁)。

☆《私どもは、夢の要素が意味している代理物から、夢の要素のなかに隠されている無意識的なものにおしすすもうとするときには、きまって抵抗に会います》(151頁)。《夢は、眠りをさまたげる〔心的な〕刺激を幻覚的な充足によってとりかたづけるものです》(179頁)。《人生において最愛の近親者たち、すなわち両親、兄弟姉妹、配偶者、わが子に対する復讐や死の願望すらけっして珍しいことではありません。これらの願望は検閲を受けてはいますが、まことに地獄から湧きあがってくるかのようにみえます》(188ページ)。《精神分析がここでいっていることは、プラトンが言ったことば、すなわち善人とは悪人が現実にしていることを夢にみて満足している人間である、ということ以外のなにものでもありません》(193頁)。夢という言葉を芸術に置き換えても命題は真であろう。叶わぬ願望は映画になり舞台になり小説になり詩になるのではないか。推理小説の中で人はたくさん殺される。

☆5月7日。ラビンドラナート・タゴール氏の誕生日。軽井沢で借りた別荘の高台には氏の銅像があった。調べてみると。1916年に来日したタゴール氏は7月に日本女子大学で講演を行っている。宮沢賢治氏の妹トシ氏はちょうどこの時在学生だった。そして8月には軽井沢で女学生たちに瞑想法を教えている。つながりはあるものだ。彌生書房の『タゴール詩集』から好きな詩句をいくつか引用する。山室静氏の訳である。《夜も昼も私の血管を流れる同じ生命の流れが、この世界を流れて、リズミカルな韻律で舞踏している それは地上の塵をぬけて歓声をあげながら数知れぬ草の葉に迸り、葉と花のざわめく波となって砕ける、あの同じ生命》(87頁)。《わが生命の生命よ、私はつねにわが肉体を清浄に保つべくつとめましょう。あなたの生きた手が私の四肢の隅々に触れていることを知っていますから》(89頁)。《われ存すということが不断の驚きであるのが人生である》(77頁)。

☆5月11日。サルヴァドール・ダリ氏の誕生日。『アート・ギャラリー現代世界の美術18ダリ』(集英社)を眺めている。岡田隆彦氏の解説には《1938年7月、ダリは、ステファン・ツヴァイクらに伴われて、ロンドンに亡命中のフロイトを訪問し、この「ナルシスの変貌」を見せた》とある。この画集には「ポール・エリュアールの肖像」もある。1929年の夏。エリュアール夫妻とダリ氏は運命的な出会いを果たす。この時ガラ夫人はエリュアール氏のもとを去りダリ氏の伴侶に。5月12日午後6時から渋谷で飲み会。高校時代の仲間が集結。帰りにK・ケイ氏とエリュアール氏の話をした。1929年の『ラムウルラポエジイ』という詩集はガラ夫人に捧げられているとの事。おお。なんという出来事。詩を捧げた男と絵を捧げた男の間にひとりの女が存在する。さっそく古書店で安東次男氏訳『エリュアール詩集』をみつけて購入する。

☆《恋の色 赤よ おまえの悦びを分かちあうためにぼくはぼくを苦痛で彩る。ぼくが燃え尽くすと、おまえは眼をとじぼくの中にたたまれる、ぼくの中でおまえは生きはじめる。反復されるものは ぼくには理解できない、おまえは、昔の僕が映っている鏡の中に生まれる》とエリュアール氏。なぜか「赤と白のテーマ」や「反復」が関連している。エリュアール氏からダリ氏へ移ったガラ氏。中原中也氏から小林秀雄氏に移った長谷川泰子氏。時代もほぼ同じ。なんだこれ。詩人には必ず運命の人がいるということか。しかし運命の人とは結婚できない。キルケゴール氏にとってのレギーネ・オルセン氏のように。永遠に恋焦がれるための存在。ダンテ氏にとってのベアトリーチェ氏。ファウスト氏にとってのグレートヒェン氏。占星術によればわたくしの運命の人は5月14日に生まれているらしい。未来少年コナンはラナと出会って冒険を始める。わたくしの冒険はいつ始まるのだろう。

☆5月14日。斎藤茂吉氏の誕生日。高3の現代文の教科書には「短歌道一家言」という氏の文章が掲載されていた。担当の教師は近代短歌の流れについてとても熱心に教えていた。きっと彼女のツボだったのだろう。斎藤茂吉氏の次男が北杜夫氏である。わたくしの運命の人なのか。でも髭のおっさんだ。やだな。それに故人じゃないか。斎藤茂吉氏は云う《短歌の大道は、実際を詠ずるにある。ことばを換えて言えば、実相に観入して成るものである》。実相とはイデアのことか。観入とは観て入ることか。《一見客観的に見えるものでも、一見主観的に見えるものでも、これを「実相観入」の語に打って一丸となすことができる》と云う。歌人は歌の中で主観と客観を超えることができるのであろうか。五七五七七の世界。31音の世界。31という数字は吉数の中でも強力な数。高2の教科書には斎藤茂吉氏の代表作である「死にたまふ母」が紹介されている。「のど赤き玄鳥」や「赤々と」など赤が登場する。

☆斎藤茂吉氏の母が亡くなったのが1913年5月。そして処女歌集『赤光』が刊行されたのがその年の10月。赤い光。この年の7月には師の伊藤左千夫氏も逝去。二つの大きな死を乗り越えて生まれた歌集である。死と赤をめぐって文学は交差する。「銀河鉄道の夜」とリンクさせて読んでみたい。5月21日。アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー氏の誕生日。わたくしは氏の絵が無条件で好きだ。特に「眠るジプシー女」は永遠の憧れ。氏が独学であった事にも共感する。ダリ氏のような知的で難解な絵も好きだがルソー氏の素朴な抒情の絵にも強く惹かれる。わたくしのゴールはシュルレアリテと優しさの融合にあるのかも知れない。二人の描くライオンと楽器に乾杯。5月25日。ラルフ・ウォルドー・エマソン氏の誕生日。岩波文庫の『エマソン論文集』上下を購入。イエスを神としない宗派があることを知る。人間の宗教という考え方に興味を抱く。5日間かけて熟読する。

☆《キリスト教の牧師としてつとめるばあい、心をこめてすることのできないことは何ひとつしたくないというのがわたしの願いなのです》(上の30頁)というエマソン氏の言葉に感銘を受ける。ああこれこそ座右の銘にふさわしい。5月31日。ウォルト・ホイットマン氏の誕生日。エマソン氏は彼の最初の理解者だったという。なんという5月のつながり。5月病は癒された。《わたしはわたし自身を称揚し、またわたし自身をうたう、そこでわたしが身につけるところのものは君にも身につけさせる、なぜならわたしに属する一切の原子は同様に君にも属するのだから》とホイットマン氏は謳った。氏の詩集のタイトルは『草の葉』。タゴール氏の詩句の中に「草の葉」という言葉が出て来たこともまた偶然とは思われない。《われは見る。廃園の奥、折ふしの音なき花の散りかひ。風のあゆみ、静かなる午後の光に、去りゆく優しき五月のうしろかげを。》(三木露風氏の「去りゆく五月の詩」より)。

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