マガジンのカバー画像

歴史あれこれ

346
歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
運営しているクリエイター

#戊辰戦争

丹羽家ファミリーヒストリー~前編

丹羽家ファミリーヒストリー~前編

さて、今度は「丹羽家ファミリーヒストリー」についてです。二本松藩の作品をいくつか書いている割には私もきちんと調べるのは初めてで、どちらかというとその家臣団に注目しがちでした。ですが、「中興の祖」とされる「丹羽長秀」は、織田信長の家臣としてご存知の方も多いのではないでしょうか。

丹羽家の出自三説丹羽家発祥のざっくりとした歴史については「大谷家」のところでも説明しましたが、実は三つの説があるようです

もっとみる
「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(後編)

「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(後編)

前編は、こちらからどうぞ!

丹波との対峙ラストに向けてちょくちょく伏線が張られていたのが、丹羽丹波です。
お気づきだったでしょうか?

ところで、二本松藩の人には怒られそうですが……。
丹波様、家老座乗の割に存在感が抹消されていませんか?

いや、マジで。
一応他藩の戊辰戦記(長岡藩、仙台藩、仙台藩など)も読みましたが、家老座乗(代表格)がこれだけ正史(二本松藩史)でちゃんと取り上げられていない

もっとみる
「直違の紋に誓って」~こぼれ話2

「直違の紋に誓って」~こぼれ話2

涙・涙の場面が続いた第2章を、全て公開しました。
多少はフィクション要素も入っていますが、ほぼ二本松藩史に登場するエピソードを基に小説にしています。
私にしては結構残酷な場面が多めということもあり、書いている最中、二本松藩史を読み返しては涙ぐんだこともしばしば。

さて、上記の悩んだ点の回答を。

剛介と一緒に生き延びる人を誰に設定するか?

二本松少年隊研究者の第一人者と言えば、紺野庫治氏。

もっとみる
「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(前編)

「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(前編)

全ての話を公開いたしました。約三ヶ月余り、長かった^^;
書いている側も、途中で何度も涙した作品です。
第三章は前二章から飛躍して大人になった剛介を描いており、父親としての姿も入れてみました。

この作品を書くに当って、当初から決めていたことがあります。
それは、「単なる戊辰の悲劇モノ」にはしない、ということ。
カクヨムのキャッチコピーにしていた拙句は、その思いの現れでもありました。

そうでない

もっとみる
自治都市須賀川

自治都市須賀川

間もなく「直違の紋に誓って」の連載が終わりますが、第一章の白河戦争の際に、東軍の前線基地となっていた「須賀川」。
そういえば、その頃の須賀川って「そもそもどこの藩よ?」というのが
ずっと引っかかっていました。学校でも、「宿場町として発展した」としか教わっていないですし。

結果的には「一応、白河藩」。
「一応って何だよ?」というツッコミが来そうですが、調べる方も難儀な実態が有りました^^;

そも

もっとみる
歴史は続いているから面白い!

歴史は続いているから面白い!

noteを始めた頃にも書かせていただけましたが、私が歴史好きになったキッカケは小学校6年生の時に観た大河の「国盗り物語」です。

そこから3年後に司馬遼太郎による原作を読んで、あらためてツボにはまりました。

ですから、日本史は戦国時代から入り、人物的には織田信長のファンとして目覚めたのが最初です。

戦国、おもしろ~い!というのが最初なのです。

その後はたくさんの作家を読み漁り、そうする事で他

もっとみる
使えなかったエピソード

使えなかったエピソード

 数日前に、奥州では世良修蔵が嫌われ者だったというトピックを上げました。

 小説執筆に当たり、二本松藩史を始めとする各種歴史書の読解もしていたのですが(歴史小説の宿命でしょうね)、作中で使いたくても使えなかった、そんなエピソードもいくつかあるのです。
中でも印象に残ったのが、こちら。

頑固過ぎる会津人 こちらは、日付を確認したところ(4月29日)、二本松からの出席者がいないところでやりあってい

もっとみる
Spin Off~母成峠からの退却~黒田傳太氏回顧記録抄より

Spin Off~母成峠からの退却~黒田傳太氏回顧記録抄より

八月二十一日早朝。二本松の軍監、黒田傳太のところへ敵が押し寄せてきたとの知らせがあった。傳太は、このとき大谷鳴海、大谷与兵衛の両隊の軍監を務めていた。前日夕刻に山入村で西軍と遭遇し、夜半に母成峠に引き揚げてきたばかりであった。
(まだ朝食を取ってもいないというのに……)
 朝食を取れなかった恨めしさは残るが、止むを得ない。
 傳太は各隊の兵糧の手配をして、後から運搬する手筈になっていたので後方に残

もっとみる
白虎隊の横顔

白虎隊の横顔

 本日は、「白虎隊の日」。あの、飯盛山の悲劇があった日です。
 ただ、悲劇ゆえに「白虎隊は全員討死」なんていう誤解をしている人も多いのではないでしょうか。

「白虎隊士」はもっといる白虎隊が誕生したのは、慶応4年正月、鳥羽・伏見の戦いで会津藩が薩長に破れてからです。会津藩主松平容保は、鳥羽・伏見の戦いの責任を徳川慶喜から押し付けられる形になり、それに反対の意を込めて、御用部屋の出仕を拒否。藩主の座

もっとみる
色々と状況がリンクする

色々と状況がリンクする

大変なことになっていますね。

現在、二本松少年隊の小説に取り掛かっている私。
後半が「明治編」になるのですが、主人公は、自分の住む土地や故郷が「賊軍」とされた世相の中で、生き延びていきます。
で、どうしても「薩長閥」中心の世の中なわけで、会津を始めとする東北諸藩への差別を描かざるを得ない。
もちろん具体的な事例はフィクションではあるのですが、結構きついのが、そのフィクションを描くために当たってい

もっとみる
河合継之助の生き様~「峠・最後のサムライ」より

河合継之助の生き様~「峠・最後のサムライ」より

司馬遼太郎作品の映画・「峠」を観てきました!

このテのマニアックな映画を一緒に観るのは、やはりレキジョークルのチコさんです。
歴史好き同士でないと、ツッコミどころの判別もできないし、後で余韻を楽しんで語り合えないのです。

結論から言うと、シブい映画だった!
昨年見た「燃えよ剣」よりもっとシブい!
これこそ、意味が分かるには歴史を熟知していないと、その真意はサッパリわからないでしょう。。。

もっとみる
戊辰戦争をめぐる歴史観の違い

戊辰戦争をめぐる歴史観の違い

ここしばらく、飛び石的に戊辰戦争の話題にふれる機会が多いです。
そこで、気になったのが「東西で、かなり視点が変わる」ということ。

福島と言うと、奥羽列藩同盟の一翼を担っていた会津藩の悲劇がよく知られています。
ただ、詳しく調べると実際には、もっと複雑。
それをよく表しているのが、戊辰戦争の末期には既に出来ていたとされる、次のような俗謡です。

出典元の本にもあるように、猪突猛進の猪や米沢藩の狸・

もっとみる
名君か?暗君か?明治維新への決断

名君か?暗君か?明治維新への決断

幕末、すっかり徳川政権が弱体化した頃、ありとあらゆる考え方や思想が錯綜して、260年間の平和が崩壊しようとしていました。

そんな時、肝心かなめの立場にあったキーパーソンたちは、結局ただの暗君だったのか、それとも名君だったのか?

今回は、日本史上のもっとも大きな革命となった幕末から明治維新を生きたリーダーたちを振り返ってみます。

そうしてみると、現代にも通用するような教訓が見えてきました

もっとみる
「一心寺」は我が家の第二の菩提寺

「一心寺」は我が家の第二の菩提寺

「一心寺」は国内最大の永代供養の寺子供たちがすっかり成人した熟年夫婦にとって、二人揃って出かけるのは、寺か神社ぐらいかもしれないです。

大阪市天王寺区にある「一心寺」は我が家の第二の菩提寺です。
和歌山の田辺市に第一の菩提寺があるのですが、遠いのでここにすでに故人となった主人の両親の遺骨を分骨しているのです。

コロナ禍以前は、主人は毎月、私は少なくとも3ヶ月に一度はお参りに来ていましたが、緊急

もっとみる