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「直違の紋に誓って」~こぼれ話2

涙・涙の場面が続いた第2章を、全て公開しました。
多少はフィクション要素も入っていますが、ほぼ二本松藩史に登場するエピソードを基に小説にしています。
私にしては結構残酷な場面が多めということもあり、書いている最中、二本松藩史を読み返しては涙ぐんだこともしばしば。

さて、上記の悩んだ点の回答を。

剛介と一緒に生き延びる人を誰に設定するか?

二本松少年隊研究者の第一人者と言えば、紺野庫治こんのくらじ氏。
剛介の行動についてはこの方の著書に頼るところが大きいのですが、発表されている著書の発表時期によって、剛介と一緒に落ち延びる人が微妙に変わっているのです^^;

ざっくり書くと、

二本松少年隊(昭和五十一年刊、FCT)
→剛介+久保豊三郎+後藤釥太しょうた

武士道―二本松少年隊の記録(1994年刊、歴史春秋社)
→上記3人に加えて、丹羽寅次郎、山田英三郎。

さらに古いところでは、
二本松少年隊の話 : 戊辰戦記(1962年刊、カメヤ書店)
でも、若干触れられています。

ですが、同行者を確定するには、これといった決め手に欠けるのです。絶対的に動かせないのは、豊三郎くらい。
また、現在剛介が会津の「丸山四郎右衛門(秋月悌次郎の父親)」で保護されたという根拠になっているのが、恐らく『二本松少年隊の話 : 戊辰戦記』の「久保豊三郎」についての記述。
この話自体は、紺野氏が直接剛介様にインタビューされた話を元にまとめたと、私は推測しています。
ただし、その内容もよくよく考えると、辻褄が合わない部分もあるのです。
もっともここから先はネタバレになるので、後日触れてみたいと思います。

まあ、あまり集団で動くと西軍に見つかるよなあ~とか、丹羽寅次郎は身内の丹波(これも、丹波との血縁関係が不明)を追った可能性の方が高そうとか、色々考慮した末に、最終的には剛介と豊三郎の二人の行動に絞り込みました。

大壇口の戦いの後の行動

主人公補正も若干入っていますが、母成峠の戦い(おまけで山入村の戦いも)に参戦させました。
これは、はっきりとしたエビデンスは取れていませんが、残された証言からすると剛介や豊三郎は母成峠の戦いに参戦していると思います。
ちなみに盗賊のエピソードはほぼ事実で、剛介氏の背中にはこのときに負った火傷の跡が生涯残っていたのだとか。
かぼちゃ汁を振る舞ってもらったのも史実通り。「あのときほど美味いご馳走はなかった」と伝えられています。

そして、斎藤一との邂逅。
これも、「会津の山中で惣髪の美丈夫を見かけた」という伝承が残されていて、母成峠の戦いに参戦させた理由の一つです。
問題は、「惣髪の美丈夫」を土方歳三にするか、斎藤一にするか(笑)。
ご子孫の方は、長いこと土方歳三だと信じられていたそうです。ただし私は、土方は会津をさっさと見捨てていたと推測しているので、最終的には齋藤一にしました。

後は、母成峠からの逃走場面については、黒田傳太氏の回顧録や水野進氏の手記を参考にしています。
他に、母成峠の地形や戦闘シーンは、猪苗代町史や戊辰戦争全史(戎光祥出版)、水野氏の手記を参考に。

ちなみに、斎藤一が洋装だったとしたら(これは、新選組の洋式化の時期からしてあり得そう)、薄桜鬼の斎藤一のようなイメージなのではないでしょうか。
残された写真を見ても、かなりのイケメンだったのは間違いありません。

死を選ばずに「生き延びる」ことを選択した理由

生を選ぶか死を選ぶか。二本松少年隊のそれぞれの少年の間でも、かなり動機が異なったのではないのでしょうか。その時の少年たちの行動は、ささやかな出会いや敵との遭遇などによって、枝分かれしていったのでしょう。
剛介の場合は、「藩の御子=戦後の二本松の担い手」としての自覚が、生き延びる動機になりました。

ただし、当時の大人が「何も知らない子供たちを、無意味に戦闘に参加させた」とは思っていません。
成田才次郎と彼の叔父のやり取りの場面を考えても、武士としての建前上、大人たちは少年たちを「一人前の兵士」扱いした一方で、人としての情から「生き延びさせたい」という思いとの狭間で、非常に揺れ動いたのではないでしょうか。

ちなみに剛介と同じく生き延びた水野少年の場合は、母成峠で敗れた後に秋元湖方面に向かい、そこで姉の嫁ぎ先である下河辺しもかべ一家と再会。そのまま米沢に向かっています。
剛介と豊三郎の母成峠~坂下までの逃走ルートは、現代の地図だとこんな感じ。

距離にして、1日で50km近く移動していますね。
さすがに全て徒歩での移動は無理があるので、おそらく丸山四郎右衛門に保護されたであろう猪苗代酸川すかわ村からは、馬で移動させました。
一応、酸川村には駅亭(=馬がいる)があったようですし。

やらかした丹波たんば様がこの後秋元湖で目撃されているのも(これは、会津戊辰戦史に出てきます)、鳴海様が喜多方方面に向かったと言われているのも、まあ説明がつくかな?

剛介&豊三郎の潜伏先を「坂下ばんげ」にしたのは、作中でも触れたように、丸山四郎右衛門の領地が坂下町にあったため。
会津若松城下の屋敷にすると、どう考えても23日以降の若松の城下戦で戦火に見舞われていて、見知らぬ二本松藩の子を潜伏させている余裕がないはずなんです。

丸山家の屋敷は、日新館の近くです。画像出典:会津若松市デジタルアーカイブ

そして坂下で、「恭順降伏」の知らせを聞いたときの剛介や豊三郎の衝撃は、いかばかりのものだったでしょうか。
文字通り故郷を失い(敗戦直後は、因縁の三春によって支配されています)、親兄弟はどうなったかわかりません。
ですが、大人からは「生き延びろ」との厳命。
精神メンタルがやられて正常な思考ができなかったとしても、不思議ではなかったでしょう。

そこへ救いの手を差し伸べたのが、遠藤一家。
ここで、あの「剛介の初恋」のスピンオフの世界へと、つながっていきます。
少し前の作品なので、マガジンでも下部に埋もれていますが(苦笑)、未読の方は、戦闘シーンの合間の気晴らしにでもどうぞ!

前編
中編
後編

本来は戊辰戦争の8年後の世界から明治編が始まるのですが、唐突感が否めなかったのと、明治編で行き詰まっていたこともあり、気晴らしも兼ねて恋愛ネタにしてみたものです。

明治編

さて、明治編について。
精神的に書くのがしんどかったのが第二章ならば、ほぼ情報ゼロから書き上げ、想像力とリサーチ力をフル回転させて書いたのが、第三章。
ご子孫の方に残されていた情報も、「会津で遠藤家の養子に入った」「会津で妻子もいた」「田原坂で戦った」という情報のみ。
これらの情報から、剛介がどのような選択をしたのか。そして、西南戦争が彼の人生にどのような影響を与えたのか。
それについては、今後の展開に期待していただきたいと思います。

遠藤家のモデル

ちなみに養子に入った遠藤家も特定を試みたのですが、会津藩の遠藤家は60家もあって、さすがに無理でした。
ただ、設定だけ頂いた「遠藤家」はありまして、「遠藤敬止けいし」が「遠藤敬司」のモデルです。
会津藩に詳しい方なら、「鶴ヶ城の敷地保存のために私財を投じた人」というと、分かるかもしれません。

彼の弟の嘉竜二かりゅうじは、白虎隊寄合隊の一員として、熊倉の戦い(現在の喜多方市)で戦死。
敬止も籠城戦に加わっていたそうで(年齢からすると朱雀すざく隊に属していたと思われます)、そのためでしょうか。上野増上寺に流刑になっています。
流刑後、大蔵省の役人や仙台の七十七銀行の頭取として活躍した人物です。

西南戦争

そして、西南戦争。剛介にとって、2度目の大きな戦いです。
ご子孫に伝えられていた「田原坂に行った」という情報と、残されていた写真から、「別働第三旅団に所属=警官として出征」という構図が浮かび上がりました。
後でご子孫の方に伺ったところ、やはり警官として出征。それも、西南戦争の各地の戦いの中でも、一番の激戦と言われた戦いに参加していたことになります。

西南戦争は「賊軍扱いされた」会津・二本松藩の人々にとって、どのような意味を持っていたのか。
後の剛介の言動を考えた際に、単なる「戊辰の恨み節にはしない」というのは当初から決めていたこと。ですが彼の心情の変化を追い、その変化の動機づけをするのが、一番難しかったかもしれません。

西南戦争の資料としては、「征西戦記稿(参謀本部陸軍部編纂課)」と『西南記伝(黒龍会)』をメインに読解。

征西戦記稿


西南記伝

正直なところ、第一章・第二章のメイン資料だった二本松藩史の読解よりも、こちらの方がよほど大変(苦笑)。
西南戦争を題材とした小説が少ないのも、頷けます。
しかも戦線規模がグローバルすぎて(ほぼ九州全土)、補助兵的な役割である警官隊も、少しずつ各地に部隊単位で派遣されているという読解難易度の高さ。
剛介が田原坂に出征していたという事実から所属部隊を割り出し、それをヒントに転戦させていきました。

西南の地の庶民の悲哀

調べていくうちに感じたのが、西南戦争の悲劇性。
場合によっては、親兄弟や顔見知り同士が殺し合わなければならない。
戊辰戦争とは異なった悲劇が、そこにはありました。
私も今回の小説を書かなかったら知らないままだったでしょう。
その象徴として登場したのが、「薩摩の戦友」。彼にはローカルカラーを出すために意識的に薩摩弁を喋らせていますが、薩摩弁の翻訳をするのは楽しかったです(笑)。


まあそんなわけで、第三章の剛介は22歳。明治8年の秋から、物語は始まります。
二本松の大人たちの願いを背負いつつも、会津の人間として生きた剛介。
父親としての彼の心境にも、注目して頂ければ幸いです。

<マガジン>

https://note.com/k_maru027/m/mf5f1b24dc620

©k.maru027.2022

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