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エッセイ・コラム

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2022年12月の記事一覧

さらば虎よ、また12年後に

さらば虎よ、また12年後に

私は趣味で茶道の稽古をつけてもらっているのだが、茶道は使う道具が異常に高価だったり並々ならぬこだわりがあるものにあふれているものである。

最初のうちはその道具の価値や見えないこだわりに一切気づかないままのうのうと過ごすことになるのだが、先生からいろんなことを教わる中で「なるほどそういうことか」とちょっとした所作の意味に合点が行ったり、ウン百年前のものを普通に扱っていたことに気づき「これ売ったら車

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29歳男性、クリスマスにJKから電車で席を譲られたの巻

29歳男性、クリスマスにJKから電車で席を譲られたの巻

12月25日。日曜早朝に、お茶の稽古に向かっていた時のことである。

私は、基本的に電車で座ることはない。高齢者や子持ちの人、障害者の人がきたときに「どうぞ」とすぐに譲るだけの勇気が私にはないので、最初から立っておいたほうがいい、という算段だ。

いつものように電車にのって、ドア付近のところでぼーっと突っ立っていた。部活の試合でもあるのだろう、ボールを持った高校生の少女たちがなぜか私のほうを見てい

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おじさんを反面教師に

おじさんを反面教師に

会社にいると、本当にいろんな人が社会にいるものだということを痛感する。
信じられないほどにいい人もいれば、何を食べたらこんな人間性になるんだ?と思うくらいいけ好かないやつもいる。
特に顧客(私の場合は取材先だが)とのやり取りにおいて、それを強く感じたことがある人は多いだろう。

しかし、社内だって閉じた世界ではあるもののいろんな人がいる。
信じられないほどにいい人もいれば、何を食べたらこんな人間性

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学ぶことで、人は前に歩みだせる

学ぶことで、人は前に歩みだせる

「なぜ人は勉強しなくてはいけないのか――」

小さいころであれば、誰しもがその疑問を抱いたはずである。
特に、膨大な宿題を目の前にしたときや、わからない問題にぶち当たったときにそう感じただろう。

大人になれば仕事のことも含め、勉強し続ける日々が否応なしに続くわけで「なんで勉強しなくちゃいけないんだ」などと考える暇もなく、時間は駆けるように過ぎていく。

学ぶことというのは、世界に対する様々なまな

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共にするということ

共にするということ

共にするということが、非常に大切だと最近感じるようになった。

2021年の東京五輪は無観客となった。人生に一度あるかないかの五輪本番が無観客というのはさみしいものだが、昨今の状況からすれば致し方ない。スポーツを一緒に見るということは、興奮や感動を共にする経験だ。

私自身結婚してからよくわかったが、結婚するということは、人生を共にする、という経験だ。
人生に起きた、あらゆる出来事を共にする。日常

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幼年期に新鮮だった日常は時とともに腐敗し、大人はそれに「退屈」という名をつけている

幼年期に新鮮だった日常は時とともに腐敗し、大人はそれに「退屈」という名をつけている

お稽古でやっているお茶で、時々子供を連れてやってくる人がいる。
和室でダッシュしたり寝転んだりドラを鳴らしたり、私のことをなぜか「せんせい」と呼んだりと自由気ままであるのだが、まあそれはそれでかわいいし良いかと思いながら適当にお稽古をしている。

フランスの哲学者であるジョルジュ・バタイユはこんな言葉を残している。

日常を単なる退屈にせず、ただ幼い少年少女のごとく鋭いアンテナを張り続け、平凡な何

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中学の時に一瞬ついたあだ名が「シロクマ」だった件

中学の時に一瞬ついたあだ名が「シロクマ」だった件

出勤するときに「さみーな」と思いながら朝の道を歩いていると、家の近くに小学校があるせいか、沢山の少年少女たちとすれ違う。

少女はある程度の良識があるのでそんなことはないが、こんな寒い時期にも関わらず一部の少年は半袖半ズボンである。
シンプルに頭がおかしいのかなと思うのだが、すたこらと私の横を風のように走り去っていくさまは実に壮観である。同時に、季節感がないとはこのことを言うのである。

しかし、

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私はうどんが食べたいので反「反小麦」である

私はうどんが食べたいので反「反小麦」である

最近、右寄りの人たちの中で「反小麦」の主張を展開している人が結構いる。「日本の伝統的な食事はコメであり、小麦ではない!」みたいなやつである。

確かにそうなのかなとは思うのだが、よく考えてみると伝統的な食事って何だろうという話になる。
古典落語なんかでもうどんを題材にした作品があったりするし、少なくとも江戸時代からうどんが存在していたとみられるわけだ。なら十分伝統的じゃないの、という気もする。

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積み重なる手帳たちへ

積み重なる手帳たちへ

デジタル隆盛の時代にあって、何でもかんでもデジタル化している。
ものを調べるにしてもインターネットを使い、本を読むにしても電子書籍を使い、道案内もグーグルマップで、文章を書くにしてもまさに今の私のようにパソコンのキーボードをカタカタと打つ。
確かな手触りのあるものを使う機会がすっかり減っている。

そういうなかで「スケジュール」というものもまた、デジタル化したもののひとつだ。
確かにメールやらオン

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私たちはちゃんと3次元に生きられているのか

私たちはちゃんと3次元に生きられているのか

哲学者のM・ハイデガーというおっさんが、「存在と時間」という本を著している。
内容を読むと一体全体何をいっているのか分からないという代物ではあるのだが、いまになってみると、時間と自己の存在とは、人間にとって実に重要なテーマだとわかる。

最近は一層時間の流れが早い。大学の頃も大概早ぇなと思ってはいたのだが、そんな比ではない。
1日の長さが明らかに短い。圧縮機みたいなものに入った感覚である。

また

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一時はプロを志した人が「音楽は怖い」と言っていた話

一時はプロを志した人が「音楽は怖い」と言っていた話

取材先の広報の方に、いっときプロのミュージシャンを目指していた人がいる。これは「大学のころにバンドを組んでミュージシャンを目指して挫折しました」とかそんなレベルではない、割とガチンコのやつである(多分なろうと思えばなれたレベル)。

当然カラオケに行けば歌もめちゃくちゃうまい(というか声量がすごい)のだが、帰り道が同じになったときにちょっとした音楽談議になった。

私は1970~80年代のいわゆる

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