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積み重なる手帳たちへ

デジタル隆盛の時代にあって、何でもかんでもデジタル化している。
ものを調べるにしてもインターネットを使い、本を読むにしても電子書籍を使い、道案内もグーグルマップで、文章を書くにしてもまさに今の私のようにパソコンのキーボードをカタカタと打つ。
確かな手触りのあるものを使う機会がすっかり減っている。

そういうなかで「スケジュール」というものもまた、デジタル化したもののひとつだ。
確かにメールやらオンライン会議やらなにやらといろんなものがデジタル化してしまうと、ネット上で一元化して管理したほうが楽だしわかりやすいよね、というのはごもっともな発想である。

ただ、実は私はいまだに紙の手帳を使っている。
一度手帳をオンライン化しようとしたのだが、クラウドで管理するとなるといちいちネットにつないでいないといけないし、ローカルだと同期も面倒くさく、結局作業フローが面倒くさくなってしまって、どうにも性に合わなかった。

デジタル化していれば当然手帳を買う必要はないわけだが、紙なので私は11月の終わりくらいになると、毎年手帳を買いに行くことになる。
このときにふと「もう年の瀬になるのか」と、一年を振り返るきっかけを得ていたことに気づいたのである。

ふと、今年の手帳の最初のほうを見てみる。
今年は〇〇をしたい、などといろいろ書いていたのが懐かしい。個人的には結構図らずして達成できたものが多いのだが、なかには「本物の榮倉奈々に会う」など「どう考えても無理」みたいな目標まで掲げてある。

昨年、一昨年の手帳なんかを引っ張り出してみると、またこれが面白い。
スケジュールをぺらぺらとめくるだけでも「2019年のいまごろはこんなことをしていたのか…」などと記憶が鮮明に思い浮かぶものだ。
例えば2015年は私が就活をした年でもあるが、5月の面接の予定なんかを見るとNHK、朝日、読売、MBS、新潮…などとマスメディアが並んでいる。しかし後半になるとアデコやらランスタッドやら人材系に手を出した様子がうかがえ、「いろいろ迷走してんな…」という感が否めない面接のスケジュールになっている。

こんな風に、手帳は毎年積み重なっていく。
春があり夏が来て秋が訪れ冬の季節となる、そんな一年をただただ繰り返すことが人生ではあるけれども、しかしその一年の姿はそれぞれ違うものだということを、手帳は雄弁に語ってくれる。

視点を未来に向ければ、手帳はいうなれば未来の自分へのタイムカプセルみたいなものなのかもしれない。「あー懐かしい!」と振り返り、そして当時を思い出す大切な「きっかけ」だ。

はてさて、10年後のわたしがいまの手帳のページを繰る時、一体何を思うのだろう。「しょうもない人生だ」と笑われぬよう、充実した時間を手帳に刻めるような年にしなくてはならない。2022年はいよいよフィナーレを迎えるのである。

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