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さらば虎よ、また12年後に

私は趣味で茶道の稽古をつけてもらっているのだが、茶道は使う道具が異常に高価だったり並々ならぬこだわりがあるものにあふれているものである。

最初のうちはその道具の価値や見えないこだわりに一切気づかないままのうのうと過ごすことになるのだが、先生からいろんなことを教わる中で「なるほどそういうことか」とちょっとした所作の意味に合点が行ったり、ウン百年前のものを普通に扱っていたことに気づき「これ売ったら車買えるんですか」みたいなこともしばしばある。

茶道ではふくさという布をことあるごとに使うのだが、この布に描かれている絵が非常に美しい。偉い人が描いてくれていることもしばしばだ。
先生のご案内を受けて私は今年虎の絵が描かれているふくさを買ったのだが、このふくさは実は、寅年のときにしか使えないものだという。

買った当時は「なんだ1年使えるのか」と思っていたものの1年を終えようとしているいま「このふくさを次使うのは12年後になるんだな」という思いに変わっていた。


銀行員時代、新人研修で東北に行ったことがあった。その際に林業に携わっているひとから話を伺い、その際に言っていたことで非常に印象に残ったのが「同じことをただやり続けることでしかわからないことがある」という言葉だった。
茶道だって1~2年ですべてができるようなものでもない。細くても長く長く続けることで見えてくる世界がある。それは使っている道具の価値であったり、空間の価値であったりする。

昔の人なんかは寿命も今ほど長くはなかった。であれば、12年後にどうなっているかなど本当にわかってはいなかったであろう。さらにいえば道具によっては「ここでしかつかえない」と干支以上に縛りがきついものもある。
当時のひとたちには「この道具でお茶を出すのはおそらく最後なのだろう」という思いもどこかにあったのかもしれない。
常に「一期一会」の瞬間なのだという自覚が茶人にはあったのだろう。

虎の絵が描かれているふくさを見ながら、私にはその言葉の意味が本当の意味ではわかっていなかったのだということを自覚した。言葉こそ知っていても、その意味をまったくわかっていないのだ。

虎の絵が描かれているふくさとは12年後にまた出会うことになる。同じふくさに出会うといえど、そのときには一服の茶の意味もふくさの扱いもいろんなものが変わっていくだろう。
もっとも、茶の稽古という一つの物事をやり続けることでしか、その変化を知ることはない。これから広がる12年という時は実に長く思えるが、飽きっぽい私だからこそ継続とは重要なテーマなのである。

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