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一時はプロを志した人が「音楽は怖い」と言っていた話

取材先の広報の方に、いっときプロのミュージシャンを目指していた人がいる。これは「大学のころにバンドを組んでミュージシャンを目指して挫折しました」とかそんなレベルではない、割とガチンコのやつである(多分なろうと思えばなれたレベル)。

当然カラオケに行けば歌もめちゃくちゃうまい(というか声量がすごい)のだが、帰り道が同じになったときにちょっとした音楽談議になった。

私は1970~80年代のいわゆるニューミュージックと呼ばれた音楽が好きで、最近の音楽ではなかなかビビっと来るものがない、と思っている。
だからこそ懐古厨よろしく昔の音楽に聞きほれ、自分が生きてもいない時代のノスタルジアに浸ることがある。

「昔の音楽、いいですよねー」などと相槌を打ってくれていたのだが、その方が少しずつ音楽の話を始めた。

「私は音楽ってすごく怖いものだと思うんです」

という。はて、という顔をした私にその方は続けた。

「ミュージシャンというのは、わかってもらえない苦しみがあるから、なんというか黙ってはいられない叫びがそこにあるものなんだと思うんですよね。よく言うじゃないですか、ミュージシャンってなんだか生きづらいから音楽に頼る、みたいな。
でもその本来は届かない声を叫んで、誰かに届くようになったら、その人が叫ぶ理由はなくなるわけですよね。本来、満たされない叫びが受け入れられてしまった時に、歌手は叫べなくなってしまうから――」

一つの物事に人生を投じたこともない身の私からすると、感じたこともない感覚だった。
歌手が仮に生きづらさを抱えてそれをどうにかしたいと思って叫んできたのに、生きやすくなった時に叫んできたものはどこにいくんだろう。歌い続けることはできても、それは自己内部が強烈に欲求していた「若かったあのとき」と「年を取ったいま」では、その意味が全く異なることになる。
あのときは本当だった歌詞が、時を経て自分にとってウソになるのだ。

「だから、音楽は怖いんです。シンガーソングライターの難しさはそこにあるし、歌い続けられるってすごいことなんですよね。
これって聴く側もそうだと思っていて、昔の歌の方がよくて今の歌はだめだって思いがちなんですが、それって単に自分が、歌手の叫びに無自覚になっているだけではないのかと思うことがあるんです。
だから私は、感受性を失わないように人と会って何かを感じられるようにしていたりするんですよね。音楽は生き様が出るんですよ」

感受性の喪失はほかでもないいま進んでいたのだということに気づかされた。社会人になってから私自身が心から柔軟な感性の喪失は嫌っていたはずなのに――人間は知らずに衰えていくものだ。
私はその方に「ミュージシャンをあきらめたときに『叫べなくなる』みたいな思いってあったんですか?」と聞いてみた。

「叫び続けられるのかなという思いはありましたよ。昔だったら『俺は音楽で何億も稼ぐぞ』と思っていたのに、あるとき愛するひとに「ごめんね」といいながら夢を追うより、求められたら応えられる自分でありたいという自分のなかの欲求が強かったことに気づいたんです。
だから音楽をあきらめました。29歳の時でしたね」

29歳――ほかでもないいまの私と同い年だ。いくら振り返ってもこれほどに大きな決断をしたこともない人生の薄っぺらさを感じた。

そしてその薄さに無自覚な自分の感性を、初めて怖いと思ったのである。

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