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29歳男性、クリスマスにJKから電車で席を譲られたの巻

12月25日。日曜早朝に、お茶の稽古に向かっていた時のことである。

私は、基本的に電車で座ることはない。高齢者や子持ちの人、障害者の人がきたときに「どうぞ」とすぐに譲るだけの勇気が私にはないので、最初から立っておいたほうがいい、という算段だ。

いつものように電車にのって、ドア付近のところでぼーっと突っ立っていた。部活の試合でもあるのだろう、ボールを持った高校生の少女たちがなぜか私のほうを見ている。
(なんか変なところでもあるか…?)と思いながら別段気にしていなかったのだが、次の瞬間その少女たちがぞろぞろと立ち始め、そして私の顔を見て

「席、どうぞ」

と言ったのである。

予想しない展開に「いやいやいやいや」などと芸人よろしくリアクションしてしまったのだが、彼女たちも部活で鍛えた精神的なガッツがあるのか「どうぞどうぞ」とゴリゴリと譲ってくる。
結局彼女たちは席から立って、電車の座席がぽかんと空いてしまった。

譲ってもらって座らないというのも失礼だなと思い、別段座る必要もなかったのだがとりあえず電車の席に座って、目をつぶって10分ほどしのいで「なんか恥ずかしいな」と思いながら目的地の駅に降りた。不思議な体験だなとは思ったが、はじめて席を譲られてしまい色々感じたことがある。

まず譲られる側の本人にも、「譲られるであろう」という心構えがないといざ譲られたときに動揺してしまうということである。
年を重ねれば予想もできるようになるだろうが、若いうちは妊婦でもない限りはなかなか席を譲られることはない。いつでもなんでも起きるという心構えが必要である。

そして逆に、譲った時というのは勝手に立ってしまえば人は座らないといけないかもという心持になるということだ。これは譲ろうとして断られたらどうしようなどと心配する人に朗報である。「後は野となれ山となれ」の精神で無視して立ってしまえば良いのだ。

最大の謎はなぜ私が席を譲られたのかということだ。疲労しているように見えたか、席に座りたそうな目をしていたか、はたまた単に老けていただけかーー考えればキリはないのだが、いずれにせよ彼女たちに「あの人に譲ったほうがいい」という気持ちを呼び起こしてしまったのがわたしだったのだ。

自分という最も近くにある存在でありながら自分から見えないのが、自分の見られ方である。
席を譲られ目をつぶってしのいだあの10分は、座ってしまった私と席を譲られた私という、二重の見られ方への恥じらいに耐える時間であったのだろう。

しかしまあ12月25日にアラサーがJKから席を譲ってもらうなどということは今後そう起きはしまい。
彼女たちの施しはサンタなどいないと信じて過ごしてきたわたしへのクリスマスプレゼントだったのかもしれないーー。

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