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あえて宗教について考えることが必要
以前、https://note.com/yunai/n/nb2909f1e1405で触れたように、脳と宗教に関係があるということから、人が宗教に容易に感化されやすく、大勢の信者がいるということになる…
あえて宗教について考えることが必要
以前、https://note.com/yunai/n/nb2909f1e1405で触れたように、脳と宗教に関係があるということから、人が宗教に容易に感化されやすく、大勢の信者がいるということになる。しかしながら、現状の日本では宗教によっておこされる社会的事件も多いのが現実であっても、なるべくそれに触れないようにしている傾向がある。少なくとも安部元首相の暗殺事件が起こるまではその論調だった。
歴
「伝えたいこと」について
コミュニケーションの正体は何か
人類の言語文化が文字によって残され始めてから、映像やアプリによるコンテンツに至るまで、人が他者へ伝えたいことについて考えている。
以前、人工知能から見たコミュニケーションとは知識の表現であると書いた。が、それはそのとおりであるのだが、問題はそのコミュニケーション内容は何なのだろうか、ということである。
知識の移転目的
自然要因・社会的要因などさまざまな事象によ
プログラムされた連鎖反応
(2年前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)
生物と非生物の境界について、長く考察を続けていたが、とりあえず中間的な結論を書いておく。つまり、生物とはプログラムされた連鎖反応を示すのであって、非生物と境界はない。なぜならば、還元主義と言われようが、上位構造が下位構造で説明されるという信念を曲げないとすれば、こう解釈するしかないのである。
もはや人間の活動は地球規模を超えている
(8年前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)
人間の活動が環境に影響を及ぼしていることは自明ながら、それを客観的に自戒することは少ない。なぜならば自分自身の生活の質を低下させたくないからだ。だが、いまや71億もの人口が存在し、その食料・エネルギーをまかなうためには、もはや自然のままの地球では供給できないのも事実である。
一方、人間の身体
思考と好奇心、発想、そして理解
(3年半前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)
問題解決のために何かを考え、その過程で必要な知識を調べていると、知らないことにぶつかりそれに引き込まれて時間を使ってしまうことがある。好奇心なのか知識欲なのか、元の問題解決を忘れたわけではないが、納得いくまで調べてしまう。そういうプロセスを繰り返していると、時間はあっという間に過ぎてしまい、
私の「やりたいこと」
(3年半前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)
たいていの人は、自分のやりたいことが多すぎると思うだろう。おいしいものも食べたいし、スポーツで汗も流したい。珍しいものを見てみたい。わからないことを徹底的に調べたい。など、いくつもでてくるだろう。
私は、高校生の時に生物の共通性に関心が湧き、神経の規模の違いと意識の有無について考えた。しか