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プログラムされた連鎖反応

(2年前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)

生物と非生物の境界について、長く考察を続けていたが、とりあえず中間的な結論を書いておく。つまり、生物とはプログラムされた連鎖反応を示すのであって、非生物と境界はない。なぜならば、還元主義と言われようが、上位構造が下位構造で説明されるという信念を曲げないとすれば、こう解釈するしかないのである。

連鎖反応については、ことさら説明するまでもないが、どう連鎖していくのかという機序について、あまり複雑なものが想定されていない言葉である。しかし、言うまでもなく生物は複雑であり、人間が理解できていないくらい複雑度は高い。しかしながら、他に適切な言葉が無いため、連鎖反応と呼ぶしかないのだが、そこに修飾語を加えることによって補う。それがプログラムされた連鎖反応という表現だ。

人間は、いろいろな連鎖反応について、利用したり面白がる傾向はあるものの、ある程度までの複雑度でしか見ることができない。これは人工知能の知識表現でも言及されたことがあるが、人間の知能などは論理的な組み立てができる規模があまり大規模でなく、せいぜい10段階くらいの論理構造しか把握できない。例えば、将棋の世界でも手を何手先まで読むことができるかという限界があり、それは論理的な枝刈りテクニックに依存するのかもしれないが、あるところで見通しがきかなくなるのであろう。

したがって、ここで言うところのプログラムは実のところ現状では人間の把握限界を超えた論理ではあるが、何らかの機序を示す現象であって、それが生物であるという結論である。だから、実のところ上位構造においても見逃されているプログラムが多数存在し、人間はまだ生物というものを科学的には把握できていないということになる。

ここから先は、ではどういう方法なら把握可能になるかという方法論の構築である。それを直接構築するのが困難であるならば、メタ的に把握するところについて考察してみる予定である。

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