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私の「やりたいこと」

(3年半前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)


たいていの人は、自分のやりたいことが多すぎると思うだろう。おいしいものも食べたいし、スポーツで汗も流したい。珍しいものを見てみたい。わからないことを徹底的に調べたい。など、いくつもでてくるだろう。


私は、高校生の時に生物の共通性に関心が湧き、神経の規模の違いと意識の有無について考えた。しかし、どうしてもわかるところまで到達することはできなかった。そして、それは自分の「やりたいこと」の根源となった。おそらく生涯にわたって、これを出発点とする探求を続けたいと思っていて、それ以外の楽しみとは比べ物にならないと感じている。


いろいろな紆余曲折を経て、人工知能・人工生命の分野で、「やりたいこと」が継続している。そのために試してみたい実験などがいくつかあるのだが、なかなか進まない。もちろん前述したモチベーションに加わった知識を動員して芽を出したようなものばかりだが、それがあちこちに広がっている。これらをどうやって統合的に考えて進めるべきか、と悩むのである。一定の期間、どれかに集中して進めることができれば、きっと一つずつ進むことができるのかもしれない。だが、その途中で解決しなければならない問題が枝葉に分かれてたくさん出てきている。それらを解決できなければ進めないというのでは望みなどはないので、何かしらの策を弄して刈り取って進める。それでも時間は全く足りていない。


私の「やりたいこと」は、これらで膨らみすぎて、それ以外に手を出す余地があまりない。もちろん、お金があれば解決することも多いから、稼ぐことを先決にすれば良いのかもしれないが、そちらにはあまり能力が無く、わずかな結果しか得られない。だから、もっぱらできることを進めるしかないのだが、そのままではいくら時間があっても充足することなどかなわないとわかっていて、少しは打開策を検討していた。


昨年、交通事故のため入院し、生活・仕事のリズムがまったく変わってしまった。もちろん先述の「やりたいこと」の進行など停滞してしまった。兼務の大学は雇用が終了し、仕事も赤字が大きくて耐えられそうもなく、経済の困難も予想される。加えて老親には自分が近くに居ることを望まれている。そこで、いったん大きく方向を変更する決断をして、仕事を極小化し、実家に拠点を移した。そして、なんとか「やりたいこと」を進めるべく少しでも時間を使おうとしている。しかし、以前とは異なり、生活のための時間を多く使わねばならないことや、ふいに体調を崩して動けなくなったりして思うようにはならない。


ただ、頭だけは「やりたいこと」のために動き続けていて、生活時間の中でちょっとでも隙があればアイディアが湧き続けてはいるのだが、形にする時間がなかなか取れない。幸いに、最も理想的な研究室に出入りできる許可が下り、この11月からお世話になっている。少なくともそこにいる時間はすべて「やりたいこと」のために使うことができるので、今まで考えたことを形にする作業を進めている。


もちろん、こういうことは仕事であれば最も幸福なのであろうが、いまのところそこまで結果が伴っていない。いずれそういう状況を目指すべく計画をしているが、計画通り行くという保証は何もない。だが、事故以前には予想をしていなかった展開となっていることは、今後に大きな期待がきると思い始めている。現に、少しずつではあるが、形にする方向性が明らかになってきた。


追記:もちろん人並みの楽しみも少しは望んでおり、旅行やスポーツなどにもわずかながら時間を使っている。

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