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人生に使う時間と自己の存在

今年も自分の誕生日が過ぎて、あとどれくらい時間が残されているかを考えている。もちろん、何か深刻な疾病があるわけではないが、取り分けて健康に留意して生きてきたわけでもないため、寿命も平均的もしくはそれ以下だろうと想定しているからである。

自分は何をすべきか、と何ができるかとのせめぎ合いで生きる

もちろん、自分の能力に自信があったからこそこれまで自営業なんぞが可能であったのだが、この年齢に至っては、その能力も半減してこれからを考えればさらなる減退を予想できる。とすれば、できることの中から何かを選んでそれに集中しないとそれは完遂しないということがわかる。そしてその選択基準は自分の価値観・思想に依存しているのはもちろんだし、これまでの知識の蓄積量にも依存して内容の豊富さが決まることもわかっている。しかし、一番の基準は自身の動機である。それがなければ何事も継続できない。

言わずにはいられないもどかしさを解消したい、という動機

自分のこれまでの行動だけでなく、一般に知られる情報においてあまり書かれていないことでとても気になることを書いておきたい。もちろん、若い時期にはそれは考えもしなかったのだが、それはかなり浅はかであったかのようにも感じる。例えば、私の完成させたシステムは、世に100以上存在はするのだが、それを作成している最中には没頭して可能な最高のものを求めたのだが、本当にそれは十分だったのか、いまだに完全な自信はない。それでも、それに費やす時間は人生の中でわずかであって、次にはもっとレベルを上げたシステムを作るという目標を常に持っていた。だが、それはあたかも無限に時間があるかのような錯覚であったようだ。という次第である。

過去と現在ではシステムはまるで異なってきている、のではあるが

何もコンピュータの世界に限らず、社会環境・教育環境・医療環境など、全て変化が著しい。しかしながら、人間側の行動はそれほどの違いが感じられない。つまり、その環境に対して、自分の取るべき行動は何か、調べて解決する、という過程にそれほどの違いはない、と感じる。例えば、私は起業に際して会社設立をしたのだが、書籍や文書を参考にして、すべての手続きを自分の手で行なった。別にそれはそんなに珍しいことではないかもしれないが、会社法や税法などで関連する項目は時代とともに変化しているし、それを容易にする環境もまるで異なっている。弁護士、司法書士、会計士や税理士に相談する/依頼する、というのが正当な方法だと思われるのだが、いっさいそのような外部への関係を持たないまま現在に至っている。それでも、現在のような良い環境があっても自分で全部こなす人は少なからず存在している、ということもわかっていて、それらの人はネットで調べたのかもしれないから、情報源は異なるかもしれないが、その努力の道にはあまり変わりがないと思うのである。

問題はリソースマネジメント

自分の時間をどのように使うのが最適なのか、自分の納得度を抜きに判断できる人はかなり沈着・冷静な性格の持ち主であろう。しかし大抵の人は、「経験しておかなければ他者に依頼するとしても内容の判断が困難」だと感じるに違いなく、筆者も例外ではない。私などは、いわゆる「文系的」「事務的」な仕事に興味がなく、「理系」「技術的」な仕事を専門にしているのだが、それでも場合によってはやらなければ通過できないと考える時があった。だが、今にして思えば、何らかの方法で誰かに教えを願って、リソースをマネジメントすべきだったと考えるのである。つまり、世の中で同じようなシチュエーションは「山のように」存在しており、その経験を言葉で教えてもらってそこから考えればより最適に近い方法があったはずである。「自分のケースを一般的な類型に当てはめることはできない」「経験することこそが次の段階に進むことができる」など、いくらでも理由は考えられるが、マネジメントとは、可能な限り多様なリソースを有効に使うことこそが最適である、という前提に立つから、すべからく自分で解決することが全てではない。何もこんな事務処理ばかりではなく、コンピュータのシステムや、家族の介護などにおいても、どうマネジメントするか、ということが自分の人生を決めるのだとしみじみ自覚せなければならない。

「誰も自分を制御できない」から、「自分で自分を制御する」へ

周りの意見をよく聞く、という「聞き上手」というのは、自分が無いのではなく、自分をより高いレベルに持ち上げる、ということになるはずだが、あまり良い対人関係がなかったり、信頼していた人に裏切られたりすると、とてもそれは勇気の必要なことである。だが、自分の鑑識眼の向上と模索の努力を惜しまずに努力すれば、いずれそれは可能になる。その結果、沈着・冷静な判断によって自分で自分のリソースを制御できるようになるはずである。だが、最も重要な意思だけは誰からも制御されない、というのも必要である。

最適解と正解は異なることがある

もちろん、リソースマネジメントからすれば、多様な方法で問題解決をする方が最適解に近くなるのは確かである。だが、一方で評価軸というのも変化するため、結果からすると実は異なる方法が正解だったということもある。しかし、あまりそれを事前に深慮していては時間がかかり過ぎて解決にならないかもしれないから、とりあえず自分の信じる方法で解決できれば何らかの解決にはなろう。重要なのは、その後の再評価である。事後で再評価してみて、その方法は正解だったのかどうか、あるいは他の方法だったとしたらどうだったとかを知ることである。同じような問題に対して、次回がないとは限らないし、問題の分野は違えど、マネジメント手法の考察に広がりが豊かになるはずである。

頭の中を整理する

もちろん、どんな人でも自分のマネジメントを考えて行動しているに違いないのだが、それをあえて文書にしてまとめてみる、というのがおすすめである。それは、頭の中で考えていたものが文書で表されて初めて気づくことが多く、あるいは自分のマネジメントを自分で客観視することにつながるはずである。

リソースは同じように存在し続けるものではい

リソースを考察することは、自身の使える時間や資金のみならず、健康、力量、人脈など、自身に関係するあらゆる対象を考察すべきものとする。場合によっては、どれかを優先または別のものを制約して行動するなど、状況判断を伴う。そしてそれは常に変化しているから、あえて認知し直す作業が必要である。

以上、自分に対して最も苦手であったことを述べたてた。

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