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心の休息が必要な今

新型コロナウイルスの登場でパンデミックが発生し、続くようにロシアの身勝手な論理でウクライナ危機が発生し「核戦争」の危険が迫る今、すべての人類の心に不安が起き続けている。それでなくても個人の生活のためにかなり懸命な努力を強いられている人がほとんどであるから、二重三重に強いストレスがかかっている。これではかなり社会としても不安要素を抱え込むことになり、ただならぬ状況となっている、と思う。

人間の心はそれほど強くはない。それが証拠に年間の自殺者の数はいっこうに減る気配がない。それでなくても子供の出生率は低下し、このままでは精神的に弱った人が主体の社会をどう維持していくか、が問題となる。それはかつては少数者であった弱者が多数を占めるということでもあり、より社会福祉的な体制が強化される必要が増すということでもある。

弱った心をどう回復させるか、いろいろ方策はあるはずで、まだそれをできる余裕のあるうちにできるだけ実行して少しでも弱者とならないように努力する姿勢がまず求められる。少なくとも日本では、コロナ禍で痛手を受けている旅行業の救済策と称してGOTOキャンペーン政策が実施されたが、実のところはそういう「心の救済策」として必要なのだと考えている。もちろん、政治家の我田引水策であったという面は否めないが、図らずとも場違いなものではなかったのではないだろうか。

あるいはゲーム機やスマホゲームが席巻して、我を忘れて埋没・逃避する時間を持てるようにする面もあるのかもしれない。あるいはペットによる癒し効果も大きいから、ペットの飼育率はかなり高止まっている。さらには映画・アニメ・音楽から園芸などの趣味に至るまで、様々な方法が可能である。もちろん、心の休息というのは個人で異なるものであるから、一様にこうすれば良いという完全策はないだろうが、すべからくそういう優しい視点というのが大事で、他者を思いやることはもちろん、自身をもより労わる態度が必要な時期だと思う。

こんな気持ちになるのは、なかなか自分でもめずらしいと思うが、それこそが心の求めであることに気が付いたからで、生きるということは心を維持することでもあろう。

ただし、宗教も同様な助けになるのであろうが、安易に信仰に近づくことには危険がある。もちろん、いろいろな宗派があるから、間違いのない方法もあるに違いない。だが、たとえは悪いかもしれないが、生活苦のために泥棒をすることが許されることではないのと同じで、安易な信仰はその後の人生を変えてしまう危険があるということを認識しておかなくてはならない。いったん依存することで、そこから二度と引き返すことができないような方法を選ぶべきではない。

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