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思考の友

(4年前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)


物事を考えるのに、ただじっと黙想するだけでいることも大切だが、ちゃんと人に説明したり、自分で納得できる表現を追究する必要があるときに、人はどんな方法を使うのだろう。


小説家などの文筆業ではひたすら原稿用紙に向かっているような姿を想像してしまうが、いざ自分が何かを書こうとすると、とても座っていてはまとまらない。今回、引っ越しで荷物を減らしはしたものの、できるだけ部屋の中に詰め込んでおこうという予防線を張っておいたのは、そんな自分の思考形態をわかっているからだ。


そりゃあパソコンもプリンターも無ければことは始まらないが、まとめようとして結局必要だったのは、ホワイトボードである。引っ越しを手伝ってくれた息子からは、「断捨離が足らない」と怒られたが、それでもやっぱりホワイトボードを残しておいて助かったのである。まあ、今なら、書けばすぐにパソコンやスマホに書いたものを転送できる高レベルのホワイトボードがあるらしいが、そんなものでなくてもマーカーペンで書けさえすれば、手と頭が共同作業を進めてくれて、思考がまとまるのである。


思考は頭でしているのであろうが、これまでの訓練過程に依存した入出力を働かせないと、私は思考が整わない。よく言う「身体性」なのかもしれない。せっかくタブレットとか持っているのだから、何か新しいアプリで解決できそうな気もするが、もうすでに使っているアプリが多すぎて、タブレット操作マヒを起こしている。それでも仕事の締め切りは迫ってくるから、物理的手段で解決するという選択に至り、ホワイトボードなのである。

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