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仕事の選び方

自分で営業して自分で開発し顧客に納品するスタイルになってから、はや40年ちかくが経とうとしている。それまでは技術系の会社で営業部門があったから、自分で仕事を取ってくることなど必要なかった。しかし、その営業部門の人たちは、営業とする内容ついてのポリシーはあいまいで、営業成績だけが求められるような感触があり、良いイメージではなかった。加えて、最後の2年間では、自分の週間スケジュールさえも勝手に営業部門のメンバーが押さえてしまったり、過度の支配的態度があからさまになり、かなり営業職の人間に対する不信感を持つことになった。そのためばかりではないが、その後自分で営業をするようになって、自分ながらのポリシーを持つことにした。それは「誰かの役に立つ」という条件だ。だから、今回の応募に十分な動機を持つと思い書き込むことにした。


私の仕事

私の仕事はさまざまな組織の研究開発部門からの受注案件が多く、特に人工知能系が多かった。40年前となると、第二次人工知能ブームの最盛期だった。そのころの人工知能は、今のブームとも似ていて、盛んに研究成果をビジネスに結び付けようとする時期でもあった。当時かかわった人工知能は、エキスパートシステムに代表される「特定の知識を機械に教えて問題解決に利用する」もので、知識工学(Knowledge Engineering)とも呼ばれた。そしてそれを作り上げる職人をKE(Knowledge Engineer)と呼ばれ、その一人として活動した。ただし、それも90年代前半までにブームが終わり、その後はもっぱら計算機科学としての手法開発に携わってきた。特にニューラルネットワークや遺伝的アルゴリズムなど、かなり成果を得たこともあったが、それより一般の会社での計算機利用が増加したことが営業活動の幅を広げた。

会社設立は次世代の計算メカニズムを目指した

会社の設立は1994年である。すでに知識工学はGOFAI(Good Old Fashion AI)とも呼ばれ始め、ニューラルネットワークにもあまり前進が見られず、自分が興味を持つ生物的な計算機構こそが次世代の計算メカニズムになるはずだという確信からそのための会社のつもりで新会社を設立した。しかし、そう容易いものではなく、もっぱら大学・企業等の研究機関向けに新しい人工知能のための研究をサポートする仕事を得るようになった。それは自分が主体でないため、完成したことによる成果は顧客のものであったが、その研究成果がいずれ誰かのためになるはずだと信じて続けてきた。

ユーザーインターフェース(UI)・ネットワークアクセスの向上

パソコンの普及で一般の会社の人々が容易に計算を実行できるためには、使い勝手の良いユーザーインターフェース(UI)が重要であることは今でも変わっていない。しかし、実は人工知能で使われたマシン(LISPマシン)では、最も早くからマウスやウインドウというものが用いられてきたために、どう使うのが効果的なのかよくわかっていて、それを新たなシステム開発にも活かすことができた。そしてそれは付随的に発生する営業効果もあり、利用しやすいプログラムの提供として多くの人の役に立てたと感じた。もちろん現在ではWeb技術がそれを担っており、多くの技術者がそれを提供できているのは当たり前だと思っている。ネット利用技術も同様であり、私は1983年から電子メールを使い始めており、現在のインターネット利用に至るまで、リモート監視や共有業務管理システムなどもかかわっており、全体の技術で顧客の役に立つことを意識してきた。これらをここで書いたのは、研究テーマにかかわらず、システム全体で提供できてこそ役に立つということを幾度となく経験してきたということで、専門性にこだわるのではなく、最初のポリシーに則った仕事を選んだということを示した。

断った仕事

この間に営業問い合わせがあっても請けることがなかった仕事がある。それは、明らかに誰かの役に立つというよりも、特定の法人の利益だけにしか結びつかないということがはっきりしたものであった。はっきり言えば下請けである。その仕事の元請け会社から仕事は回ってくるとしても、かなり多くの中間利益を引かれて単なる零細企業の労働提供という意味合いしかなかったというものである。そこには当方の研究成果を背景とした技術力を利用しながらも、金額の上ではいっさいそのようなリスペクトを含まなかったというのも、断った要因であった。中には公共発注案件で7次下請けのエキスパートシステムの構築を依頼されたものの、元請けの5%の金額だった。これは衝撃的で、こちらの作業が開発案件の中心業務なのに、その中間業者らが95%の代金を吸い取ってしまうことに、ひがみではなく、システムの完成度等に関して自分一人で対応するにはあまりにも荷が重いため断らざるを得なかった。今でもその要求仕様に対しては自分だったら完成させることができたという自負はあるが、結局その案件は受注者の技術力が足らずに中止になった。

今でも続く研究支援

年齢を重ねて私の仕事はかなり減ってしまったが、まだ続いている研究支援の仕事はいずれ「誰かの役に立つ」と信じている。これまで数えきれないほどの仕事を完成させてきたが、どれも研究的に意義のある仕事ばかりであったから、最初に決めたポリシーは守ることができたと思っている。

#誰かの役に立てたこと

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