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思考と好奇心、発想、そして理解

(3年半前にFBのノートに投稿したものです。FBのノートが使えなくなってしまったのでここに再掲します。)


問題解決のために何かを考え、その過程で必要な知識を調べていると、知らないことにぶつかりそれに引き込まれて時間を使ってしまうことがある。好奇心なのか知識欲なのか、元の問題解決を忘れたわけではないが、納得いくまで調べてしまう。そういうプロセスを繰り返していると、時間はあっという間に過ぎてしまい、空も白んで慌てて寝る始末というのは困ったものである。しかし、こういう繰り返しをしていると、時々自分なりの発想をすることがあり、その根拠を確認すべくまた別の知識を動員するという作業を繰り返して、やっと何か問題解決を自分の能力を総動員した気になる。そして全部を見直していると、いろいろ気づいて全体をまとめあげることができ、自分の作業をやっと全体で理解できる。


こんな作業をしていると、自分の能力はまだるっこしいことしかできないのかと、悲観してしまいがちだが、そのプロセスは熱中するほど楽しいものでもある。もし、人工知能がこういう考えるプロセスを示してくれたら、それはそれで面白いものができそうな気がする。だが、難しそうなのは発想である。堀浩一先生の発想支援は具体的にシステム化する方法を示してくれるが、どうしても飛躍する部分を作り込みたいと思う。何かノイズのようなもので一見関係なさそうなものを無理やりつなぎこむとか、遺伝的アルゴリズムのスキーマのように部分的にしか一致しないものをいくつか試行錯誤してつなぎ合わせてみるなど、方法はありそうで、そのうち試してみよう。


さらに、理解という状態は果たして何が基準となるのか、フレーム問題のにおいがして、ちょっと引いてしまう。こんなことを考えていると、肝心の問題解決はどんどん遠のいてしまい、席を離れた時に「こりゃあ、後の楽しみにとっておこう」と考え直してもとのプロセスに戻るものの、気が散って仕方がない。どうも私はこういう性格で、どんどん仕事を遅らせてしまうのが、損をする原因であろう。

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