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リスティアナへの依頼









スマラン、朝





リスティアナへの依頼



リスティアナへの依頼






”最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ”

スティーブ・ジョブズ








”リスティアナ”ではない、かなり以前に<SPIEGEL>でレトロ調で撮影した
妙に偉そうな猫







職場のメイン・エントランス






今回の舞台は、職場






ある休日の朝ごはん
<SPIEGEL>




その朝、わたしはいつもより早く目覚め、いつもより早いAM 6:30に家を出た

Semarangスマランの自宅から職場までは、ドライバーの運転する社用車で30分あまり




AM7:00ー


職場の警備ゲートを潜り抜けて、正面玄関のガラス扉の片側を持っている鍵で開けて、そのまままっすぐわたし個人のオフィスへと向かう




扉の右半分を開けるのがわたしの最初の「仕事」で、左半分はインドネシア人幹部が開錠




デスクトップの電源を入れ、そのまま席には着かずに再びオフィスを出る







わたしのここインドネシアでの仕事は、家具工場の運営管理だ


役職はGENERAL MANAGERで、要するにほとんど100%は日本向けに製造されて輸出される製品の生産管理と品質管理を行っている

この職場ー工場で製造される家具は、決して日本で一般の小売店やオンラインで購入できるものではなく、主に五つ星以上か、あるいは同レヴェルの結婚式場へと納められる、いわゆる高級家具の部類に属することになり
かつてヴェトナムでは日本最大手の有名小売店向けの大量生産、大量販売向けの同様の業務に就いていたという経験を、もちろんここで有効に使うことができる

それはどちらも優劣つけがたい内容で、あくまで製品の単価だけでみれば現在の仕事の方がおそらく数十倍の価格がつくが、だから良いというわけは決してない

家具に使用する、世界中から集められた材質はいずれも繊細で、加工方法も難解、決して大量生産できる構造の物ではなく、仕上げには異常に神経を使わざるを得ない複雑精致な家具が多いのだ

”芸術品”とまではいえないのだろうが、少なくとも”工芸品”とは呼べるはずだ

だから週末や連休は、職場から遠く離れたくなるように、小さな旅に出たくなるのだ

だがわたしは今の仕事の困難さは気に入っている

それはもちろん、ひとつの製品があらゆる工程を辿り、インドネシア人スタッフたちと製造図面を引っくり返して検証しながら、ようやく完成したひとつの製品は、少しだけ大げさに言うと、それはあるいは博物館に展示しても良い美しさとインドネシア人と日本人で作り上げた、共通の文化財とも呼べるのだ




原木




価格(単価)に関しても、もちろん使用する材質や形状、用途に拠って様々だが日本国産やヨーロッパ産に比べればやや落ちることは認めるが、世界の三分の一を占める東南アジア全域では、間違いなく最高の値がつく

ひとつの「物作り」に対して、価格の優劣などは必要ないという考え方は
わたしたち製造業の世界においては確かに存在しているが
わたしはそう考えない


誰もが認める良いものは、高く売られるべきなのだ


だから、失敗は許されない



作業風景



オフィスを出たわたしは、すぐに敷地左手にある最終工程の方へ歩いていく

向こうから歩いてやって来るのは顔なじみの男性警備員

ここインドネシアでは製造業の拠点となる工場に、三交代の二十四時間体制の警備を敷いている日系企業が多い

それはもちろん現地人からの盗難や放火、あるいは暴動を防ぐためでもあり
それに加えてこの国の特殊な事情としては”雨”が挙げられる

この水の国の雨はすさまじいのだ

何しろ首都ジャカルタがすでに水没を最大の理由をひとつに将来的に首都移転を余儀なくされていて、もちろんここSemarangスマランにも猛烈な
大雨スコールが雨季には連日降り注ぐのだ

数ヶ月前、やはりここSemarangスマランに展開していた異業種の某日系工場は雨漏りに加え、海からの浸水に拠って設備が水に浸かり、最終的には撤退まで余儀なくされてしまったのだ

夜中に降り始めた大雨スコールが、いつ天井に穴を開けて、一気に侵入してくるかの予測は実は難しい
どれだけ堅牢な屋根を作っても、この国の水の力に太刀打ちするには限界があるのだ

翌朝出社して、「全ては水に流されました」ということも十分に考えられる恐ろしさがあるので、二十四時間体制の警備が必要になるのだ・・・





インドネシア産の家具は複雑精緻な彫刻と極彩色が特徴
Solo City




タイトな警備服を着た男性警備員は、わたしを認めるとこういった


——”おはようございます、ミスター。今日はお早いですね”


わたしは頷き、すれ違いざまにかれにこう尋ねる


——”Listianahリスティアナはもう来ていますか?”


かれはいった


——”ええ。来ていますよ。さきほど入室しています”




やはりもう来ていたか、、、、、、、、、、




わたしはもう一度頷き、そのListianahリスティアナがいる最終工程への鋼鉄の扉を開け放つ




ある製品の部分拡大



鋼鉄の扉の向こう
工場の家屋にさらに独立した家屋が最終工程エリアだ

ここは縫製を行うエリアで、だからチェアやソファの張り地を裁断し縫い合わせて加工するエリアで、工場内で唯一空調が効かせてある場所でもある



この最終工程を司るSPVボスは紅一点で、名前はListianahリスティアナ
通称、Lisリス





この日は彼女に用があって早く来たのだ




手前は大理石のサンプル類




縫製エリアーインドネシア語で”JOK”の家屋のガラス扉が見えてくる


この中にいるLisリスと、彼女が間違いなくしていることを考えると
まるでブルース・リーのように鋭い奇声を発しながら扉を蹴破りたい衝動に駆られたが、もちろんそのようなことはしなかった
そもそもわたしはブルース・リーの映画を観たことがなかった笑


わたしは小さく息を吸い込み、ガラスのスライド・ドアを故意に大きな音をたてて開ける




いた——




進行方向向かって20m先の右手、自分の執務机に座ったLisリス
一心不乱に、まるで何かに取り憑かれたかのように麺料理を
勢いよくずばずば啜っていた




最近、ここインドネシアでも人気のシンガポールの麺料理
牛肉河粉




わたしは低く、よく通るといわれる声でこういった




——”Lissssssリーーーーース!!”




彼女はわたしの姿を認めると、身体をビクッと震わせ、持っていた箸をデスクの上に落とし、何かをぶつぶつ呟き始めた

間違いない

イスラムの神々に祈っているのだろう




”おお、神よ、この異教徒の日本人からわたしをお守りください”





インドネシアの彫刻家具のモチーフは、ヒンドゥー教の神話に基づくものが多い





もちろん、工場内での飲食は厳禁されている



それは何もここインドネシアに限ったことだけでなく
ベトナムでもスペインでも、いや世界中の製造業の基本ルールだと言って間違いない


LESSON:ZERO




衛生面——

特に高温多湿の東南アジアでは、食事の匂いや残り滓が、大小様々な虫を引き寄せてしまい、もしそれらが製品に混入されでもしたら——

たとえ米粒ひとつでも製品に付着すれば、その米粒ひとつで顧客との信頼が大きく損なわれ、これまで現地スタッフたちと築き上げてきた「モノ作り」が砂上の楼閣のように消え去るのだ



常に小事が大事なのだ
大事も些事も同じ平面に存在している


ここは些細なミスが致命傷にもなりかねない世界なのだ



そしてわたしは、日本人幹部としてそれを厳しく取り締まり、注意を与えるのも重要な仕事のひとつであり、この女ーLisリスはいわばその常習犯だった



少なくとも、前科三犯はある

その三犯のこれまでの注意の仕方は以下の通り




1回目:ここではご飯を食べないでください

2回目:だから、食べたらだめだよ

3回目:食うな!





そして今回は4回目



日本のことわざには確か、”仏の顔も三度まで”とあったはずだ


加えて、工場内で飲食を禁止する代わりに、この工場の敷地内には従業員のための「食堂」が完備されている
それはインドネシア古来の、「バリ島建築」の技術を用い、一切、鋼鉄製の釘を使わずに建設された見事なヴィラ式の建物で、その場所を利用して食事を取れば良いだけの話なのだ



わたしはまるで世界中の時間を独占したかのように、ゆっくりと彼女のデスクの向かいの椅子を静かに引き、そして彼女の目を見ながら座り
偉そうに足を組んでからインドネシア語で静かにこう言った



——”Selamat PagiおはようLisリス



イスラム教徒の衣装——漆黒の”ジルバブ”を頭からすっぽり被った彼女は完全にうつむき、か細い声で、英語で



——”おっ、おはようございます。ミスター・・・す、すいません・・・”



沈黙




長い沈黙




長い長い沈黙





それを受けてわたしは、しかし、まるで初恋の相手に20年ぶりに再会し、あふれ出す愛を告白するような優しい口調でこう言った



——”Listianahリスティアナ、いいんだよ。まだ誰も来ていないし、誰も何も見ていない”



もしも彼女の手がデスクの上にあったら、わたしはその上から優しく重ね、もう一度こう言ったに違いない




——”Listianahリスティアナ、いいんだよ”






Lisリスは咄嗟に顔を上げ、困惑し訝しげにわたしの顔を見た
その瞳は疑心暗鬼に塗られ、まるで怪物を見るかのような目つきだった


彼女の顔にはこう書いてあった


こいつはこんな優しいことを言うヤツではない・・・
何かがおかしい・・・



とち狂ったの!?ミスター







もちろん、わたしは狂ってなどはいない





世界中から集められた生地類(一部)





では茶番はこの辺で終わりにして、用件に入ろうか



わたしは小脇に抱えていた紙袋から、帰国時に実家から持ってきたタフ仕様の一枚のレザー・シャツを広げる


CARPE DIEM今を生きる
のレザー・シャツー”3代目ブラック”


長年愛用してきた思い入れのある一着で大事にしてきたが、すでに全てのボタンが緩み、取れ始めていた



実家の母に何度かボタンの付け替えをお願いするも、素人でどうにか補修できる内容ではなく、ここ数年はクローゼットの奥に厳重に封印しておいたのだ



そこで登場するのが、縫製チームを率いるSPVのListianahリスティアナ

数量だけでいうと、ここで製造される家具は圧倒的にチェアが多く、それだけに彼女は膨大な仕事を抱え、だからわたしもこのエリアに直接顔を出すことが多い
加えてここは最終工程でもあるので、たとえば前工程で遅延が生じると、最終的にどうしてもこの工程にしわ寄せが被さってくるのだ

納期を厳守しながらも、品質を落とすことが決して許されない特に厳しいエリアなのだ



だから仕事上では、大事な相棒パートナーとも呼べる存在でもあるのだ





ここは本物のプロに依頼し、この思い出深い一着を再生させることにしよう

彼女とわたしは普段は主に英語で会話をするが、しかしこの先はいわば言語は不要だった



Lisリスは眼鏡をかけてシャツを手に取り、あらゆる箇所を素早くチェックしてこういった


——”良いレザーですね。イタリア製の牛革カウですね。しかも全てのボタンが取れかけています。わたしに直させたいと?”



わたしは黙って頷く



Lisリスとはこれまで二年間一緒に仕事をしてきたが、彼女は世界中から送られてくる生地やPVC、各種レザーを魔法のように縫製し、複雑な図面を解しながら、それを椅子やソファに縫い付けていく確かな腕を持っている




それは間違いない事実だった





そしてそこから先は彼女のひとり舞台だった





——”経年劣化でボタンを通す糸の繊維そのものが崩れかけています
シルバー製のボタンの小さな口径に糸を通すのは素人には容易ではないし
間違えばボタンとレザーそのものを傷めてしまうかも知れません
ん・・・確か・・・同色の強化糸があったのでそれを使いましょう
No.18のドイツ製の強化糸です
仕事の合間をみて、今日の夕方には・・・それでいい?ミスター?”




拍手喝采!!



わたしはLisリスの目を見つめ、静かにメッセージを送る
それは立場上は決して口には出せない、言外の恫喝だった



——”今回の買い食いは見て見ぬふりをしよう。そのかわり、直すんだ
やってくれ、Listianahリスティアナ!!”



去り際にさらにListianahリスティアナ教授の五分間のレザーのメンテナンス講義を受けて、椅子から立ち上がったときにLisリスは茶目っぽく笑い、こう言った



——”ミスター、それで報酬は?”



次回の残業時には個人的に特別食を差し入れることを約束し、商談成立


わたしは再び出入り口に向かって歩きながらLisリスにこういった


——”食べ物の空き容器はここで捨てるのではなく必ず敷地外に捨てるんだ
そして消臭スプレーを撒くことも忘れるな
わたしは今朝はここには来ていないし、Lisリスとは会ってもいない”





ラタン・チェア
<SPIEGEL>




夕方にはLisリスがオフィスまでそのシャツを届けに来てくれて、その仕上がりの素晴らしさに感激

それはまるでまた新たに生まれ変わったような新鮮さ・・・





C-DIEM
ミンクオイルまで塗布してくれていて、感謝




心の底からTerimakasihありがとうが言えたのはいったいいつ以来だろうか・・・






そしてどのような世界にもギブアンドテイクはある





KOTA LAMA
敬虔なイスラム教徒示すジルバブをかぶった女性たち







おしまい




NEXT
2023年10月22日(日) 日本時間 AM 7:00公開予定

”44歳、スカートを履く”


わたしが・・・狂っているのか・・・
それとも、この世界が・・・
いずれにせよ、もう、「帰り道」が・・・わからない・・・





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