鈴木洋平|Yohei Suzuki
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なぜ「死にたい」は“メディア”になるのか? コミュニケーションとして捉える「死にたい」の意味
なぜ「死にたい」は、現代社会において、とりわけ強力なコミュニケーションの媒体となりうるのか――。
そんな問いを出発点とする本『「死にたい」とつぶやく――座間9人殺人事件と親密圏の社会学』を読んだ。久しぶりに貪るように読みふけってしまう本だった。
この本は、SNSにあふれかえる「死にたい」の声にどう向き合うかを考える本でもあり、自殺念慮を抱えたある2人の対話から始まる。そこで「死にたい」という言
読書しないことで気づけたこと。
去年2023年は大人になってから、たぶん最も読書をしない一年だった。意識的にそうしていたわけではないけど、なんとなく読む機会がなく、読書を必要としていなかった。
でもその分、いろんなことを考えた、考えられていた一年だったのかなと思う。
もともとはたくさん本を読むほうだし、読書は常に生活の一部だった。新卒で出版社に入ったのも本が好きだったからで、編集者になってからは本を読むのが仕事になって毎日む
アフリカ|セネガル🇸🇳という、「助け合い」社会に生きる。
アフリカにあるセネガルで暮らす日本人と話していると、セネガルの良いところとして「助け合い」をあげる人が多い。
何のデータか忘れてしまったけど、アフリカ社会について日本人が語るとき、最も象徴的なことに「助け合い」があがっていたデータを見たこともある。
実際に、セネガルないしアフリカで生活をすれば、「助け合い」がいかに社会に深く根付いているかを実感する機会には事欠かないはずだ。そんな「助け合い」の
海外生活(アフリカ)の主夫が、日本で買ってよかったもの|2024年
丸2年にわたって専業主夫を経験したからか、それまで無頓着だった日々の暮らしを豊かにするための消費に興味を持つようになった。
アフリカにあるセネガルで暮らしていると、現地で製造されたものはやはり安い。一方で、日本人が求めるような日用品は輸入品であるものも多く、そうすると物価はそれなりに高くなる。
だから、ふだんはなるべく、以下の本のような「あるものでまかなう」という生活をしつつ、セネガルで買えな
アフリカから日本の子どもの「窓」になってみる。
その写真は「窓」か、「鏡」か――。
写真について語るとき、そんな問いが発せられることがあるという。
これはアメリカ人の写真家であるジョン・シャーカフスキーが提唱していた概念で、「窓」は写真を通して外の世界を探究することを指し、「鏡」は写真を自己表現の手段として用いること、だそうだ。
「窓」は、わかりやすい。実際に写真を見る側からすれば、その多くは「窓」とも言え、「窓」の向こう側に自分の知らな
長期より短期な視点で考える子育て。
家族でセネガルに移り住んでから、2年が経った。妻の仕事の任期は2年だったから、当初の予定では先月ごろに帰国するはずだった。
それが、セネガルの子育て環境や暮らし心地、妻のキャリアの観点からも、もう少しセネガルで暮らせたらという話になり、運良く任期を延長することもできて、少なくともあと2年はセネガルに住むことになった。
延長が決まったことを受けて、僕も新しく仕事を始めた。
それまでも主にセネガ
子どもに「気をつけて」より「ゆっくりね」と言ってみる。
少し前から、3歳の子どもがお昼ご飯や夜ご飯のお皿を自分で運びたがるようになった。そして案の定、中身をこぼしたりひっくり返したりして、なぜか本人が泣く、というのが日常化していた。
それが最近になり、少しずつ上手に運べるようになってきた。当たり前だけど、子どもは大きくなるにつれて、いろんなことを自分でやりたがるようになる。そして、少しずつできるようになっていく。
でも失敗することが多いうちは結構大
「ダメ出し」から「ポジ出し」という発想へ。
この数年、「生きづらさ」について聞く機会が増えた気がする。その中身は多様で、いろんな「生きづらさ」があることが、社会的にも理解されるようになっきた。
一方で、「生きやすさ」とか「生き心地のよさ」について聞く機会は、そんなに多くないように思う。
あくまで感覚的なものだけど、「生きづらさ」に関するコンテンツは多くあっても、「こんな社会は生きやすい(あるいは生きづらさが解消された先にあるもの)」など
何気ない日常と、地続きにあるもの。
最近読んだ『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』という本の中に、こんな一節があった。この本が出版された2010年当時、日本国内の自殺者は3万人に上っていた。
それが10年以上の歳月をかけて少しずつ年間自殺者数は減少傾向になり、この数年は2万人台前半を推移、2022年は2万1881人だった。
自殺の多くが「追い込まれた末の死」であり、個人の問題ではなく社会の問題だという認識は、ここ数年でそ
子育ても人生も、「なるようになる」と思えるようになってきた。
少し前にセネガル人家族の家に遊びに行ったとき、こんなやりとりがあった。
西アフリカに位置するセネガルで子育てするようになってから1年半。感じるのは、こっちの人の子育てがとにかく大らかだということ。
子どもが寝る時間一つとっても、「21時までにはなんとしても寝かせたい」と思ってしまっている僕とは大違い。べき論なんてなく、子どもに多くを求めないし、常に自然体だ。
逆に、子育てで「こうしたい」とか