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アフリカで暮らす日本人親子の何気ない一日のこと。

いつものように、13時になる少し前に家を出る。5歳の息子と3歳になった娘が通う幼稚園は、家から徒歩5分ほどの場所にある。

到着して門が開くのを待つ大人たちを見渡すと、お迎えに来ている男女比率はおよそ半々。半年前まで通っていた幼稚園もそうだった。ここセネガルで駐在する人の中には僕のような専業主夫も多く、妻が働いて夫が家事をする構図は日本で珍しがられても、セネガルではわりと普通らしい。

13時ぴったりになると門が開き、大人たちが幼稚園内に入って行く。待ち構えていた子どもたちが一斉に、それぞれのお迎えに来た大人たちのもとへと駆け寄ってくる。

その喧騒を縫って少し歩いた先、息子はいつものとおり、リュックサックを手に持ってニヤけながら待っていた。他の子たちのように駆け寄ってこないのは恥ずかしいからなのか、それでも数時間ぶりに親に会えた嬉しさを滲ませている。

息子と合流してすぐ横にあるクラスに行くと、娘も僕の顔を見るなり、舌を出しながら嬉しそうな顔をしてくれる。2人とも1年半前にはまるでできなかったフランス語に少しずつ慣れ、セネガルというアフリカ大陸最西端で一丁前に幼稚園児をやっている。

「À demain(また明日ね)」と言い合う子どもたちを見ていつも思うのは、その多様さだ。

見た目も違えば、体格も、人種も、宗教も、国籍も、家で話す言語も、おそらく価値観だって違う。クラスには障害を持つ子もいるし、ひとり親家庭で育っている子もいたりと、境遇もさまざまだ。

そんな多様性の宝庫みたいな環境で過ごす生活は、なんて自由なんだろうと思う。彼らはたぶん違いなんて意識していない。違うことも同じことも、あるがままをそのまんまに受け入れている。それは5歳だからとか3歳だからというのもあるけど、それ以上に環境がそうさせているんじゃないかと思う。

3歳の娘はもちろん、5歳の息子もまだ多様性なんて言葉を知らない。むしろ多様性なんて言葉を知らないまま育ってほしい。いろんな人がいるのが当たり前で、その当たり前なことが常識なんだと、ここで育っていく中で教えられるまでもなく自然に感じてほしいなと思う。

その日の帰り際、幼稚園を出るタイミングがある兄弟と一緒になった。その兄弟とは、兄は息子と、弟は娘と、それぞれ同じクラス。仲が良いらしく、いつも帰りのタイミングが重なれば少しの間手をつないで一緒に歩き、ある地点でバイバイをしていた。

ところが、その日はなぜか兄弟は曲がるはずの角を曲がらず、手を繋ぎながら、うちの方向に歩いて行く。

あれ?と思いながら様子をうかがっていると、兄弟が「ねえ、きょうさ、おうち行ってもいい?」と息子たちに聞き、息子が嬉しそうに「いい?」と僕に聞いてくるから、「うん、うちはいいけど?」と返答した。

困った顔をしながら子どもたちに身を任せていた彼らのお迎えのおばちゃんも「いいの?」という感じで、一緒にうちに帰ることになった。

道中で現地飯のチェブジェンを買い、うちに帰ってみんなで食べる。子どもたちはフランス語で何かを言い合っていて、フランス語がほぼできない僕にはあまり理解できないけど、なにやらとても楽しそうだ。

その日はとくに予定はなかったから、かえってその子たちが来てくれてありがたかった。というより、予定がある日の方が少ない。ここセネガルでは、僕ら海外駐在家族の子どもが通うことの多いフランス系の幼稚園は大抵どこも午前までだ。

公園のないセネガルで午後の時間をどう過ごすのかは、幼稚園児の親としてなかなか難題だ。その難題に応える場は幼稚園の内外にもいろいろある。

でもそれなりのお金がかかるし、うちは基本的に誰かと遊んだり買い物したり家でのんびりして過ごしている。何より日常の余白が大きいほうが、この日のようなたまたまにも柔軟になれる。

お昼ご飯を終え、子どもたちが取っ組み合って遊んでいると、娘の幼稚園の別の友達の親から「今から家に来て、子どもたちを遊ばせないか?」と連絡が来た。

いきなりそんな連絡が来るのは珍しいのだけど、連絡をくれた彼は、僕が所属するサッカーチームの仲間だ。ひょんなことから娘同士が同じ幼稚園で、しかも仲良しであることを知り、お互いの家を行き来するようになった。

うちに遊びに来ていた兄弟も行きたいと言い、でも兄弟のおばさんは予定があって帰らないといけないというから、その子らもまとめて連れて行くことになった。

15分ほど車を走らせて連絡をくれた子どもの家に着くと、やはり親はいない。ここでは子どもたちを遊ばせるのに親がいないことも多く、その場合はnounou(ヌーヌー)と呼ばれるベビーシッターのような人が子どもたちの面倒を見ている。

こういうとき、僕もついつい一緒にいてしまうのだけど、今回は子どもたちを預けて去ることにした。つい先日、息子の友達のお母さんに「うちの子どもたちは全然親離れしなくて…」と軽く相談したら、「あなたたち親からもっと子どもと離れないと」とアドバイスされたからだ。

部屋に入ってしばらくした後、「じゃあ、17:30くらいに迎えに来るから」と子どもたちにいきなり告げると、「えっ」と一瞬驚きつつ、「うーーん、OK」とあっけなく了解された。

うちとは比べものにならないほどのオモチャの力もあるけど、2人のあっけなさに子どもたちを見くびっていたことに気づいた。子どもが親離れてできていなかったというより、親の僕が子離れできていなかったのかもしれない。

セネガルに来て、いろんな親と接するなかで学んだことの一つに、もっと子どもを信用して、意思を持って放置してみる、というのがある。子どもたちは親が思っている以上に、どこででもなんとでもやれる。

いきなり4人の子どもを人の家に預け、自分はカフェでお茶する図々しさを発揮するのは、新鮮でもあった。でもこれでいい。そして、久しぶりに受けた仕事の続きをする。

日本の子ども向けに、セネガルの子どもの紹介を通じてセネガルという国について知ってもらうという、ある雑誌の仕事だ。

まさに自分がやりたかった仕事であり、取材や撮影、記事を書くのも何もかもが楽しい。家や小学校、モスクなど、取材じゃないと、なかなか入り込めない場に“地べた”のセネガルを覗いているような気持ちになる。

コーヒーを片手に先日取材した内容を少しずつまとめていたら、あっという間に時間になり、さきほどの家に戻る。

子どもたちは相変わらずおもちゃに夢中になって遊んでいた。案の定まったく問題はなかったという。ヌーヌーさんにお礼を言って車に乗り、同じクラスの兄弟たちを家まで送り届け、ようやく家に帰る頃には19:00近くになっていた。

帰り道、ふと主夫業はやっぱりいいなと思った。仕事をすることも好きだけど、それと同じくらい主夫でいることも楽しい。久しぶりに仕事をしたことで、余計にそう感じたのかもしれない。

主夫として、子どもと濃密に関わるこの何気ない日常はとてつもなく貴重だ。ずっとこんな日々が続いたらなと思う。でもそうはいかないのが人生だし、だからこそ今をこうして書き残して、いつか振り返る日がくればなと思っている。

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